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連載

つながりとゆらぎの現場から――私たちはそれでも介護の仕事を続けていく vol.4

六車由実の、介護の未来02 死者とつながる(後編)

つながりとゆらぎの現場から――私たちはそれでも介護の仕事を続けていく

介護という「仕事」を、私たちはどれだけ知っているのだろう。そしてコロナという未曽有の災禍が人と人との距離感を変えてしまった今、その「仕事」はどのような形になってゆくのか。民俗学者から介護職に転身、聞き書きという手法を取り入れた『驚きの介護民俗学』著し、実践してきた著者が、かつてない変化を余儀なくされた現場で立ちすくんだ。けれどそんな中で見えてきたのは、人と人との関係性そのものであるという介護。その本質を、今だからこそ探りたい――。介護民俗学の、その先へ。

 ◆ ◆ ◆

>>前編はこちら

問いかけても返ってこない答え

 私の考え方も、すまいるほーむという場も大きく変えてくれた高木さんを、私は、利用者さんという存在以上に、この場を一緒に作っていく頼もしい「同志」のように感じていたのかもしれない。
送迎の時間を使って、私は自分が今疑問に思っていることや関心を持っていること、すまいるほーむで問題になっていることなどを、高木さんとよく話すようになった。複雑化していく介護保険制度の問題点とか、認知症の当事者の方たちが発信していることとか、利用者さんが増えなくて困っていることとか、話は尽きなかった。高木さんは、私の話に対して、同調したり、感心したり、反対したりしながら、自分の知識と経験からそれに丁寧に答えてくれた。必ずしも意見が一致するわけではなく、話が堂々巡りして平行線のまま車が到着してしまうことも多かったが、片道30分以上の送迎の道のりは、私にとっては、高木さんと対話できる楽しい時間だった。
 また、私がすまいるほーむの運営において行き詰まっていたり、追い詰められていたりする時には、敏感にそれを察して、こんなことを言ってくれることもあった。
「あんたは本当によくやっている。俺は感心しているんだ。だけど、あまり周りに気を遣わないで、もっと自信を持って、自分がやりたい、やるべきだと思ったことは貫いた方がいい」
 私は苦笑いをしたが、高木さんがそうやって見守って気遣ってくれることが心から嬉しかった。実は、高木さんは、利用し始めてからまもなく、拙著『驚きの介護民俗学』と『介護民俗学へようこそ!』(『介護民俗学という希望』の単行本版)の朗読を録音したCDを市立図書館から借り、何度も繰り返して聴いてくれていた。そして、すまいるほーむでの私の活動に共感してくれて、ずっと応援をしていてくれたのである。
 高木さんが亡くなった昨年の4月、私は、精神的にぎりぎりのところまで追い詰められていた。すまいるほーむが我が家の1階に移転してきて、プライベートな時間が無くなってしまったことや、移転を機に何人かのスタッフが辞めてしまい休みが全くとれなくなってしまったこと、新しい場所で地域の人たちとの関係の作り方を模索していたことなど、様々なストレスが重なっていたのだ。そんな状況の中で頼りにしていた高木さんともはや話をすることができないという現実は受け入れがたく、より一層私を辛くした。
 今年になってからのコロナ禍の中でも、私の心は、たびたび高木さんの姿を探し、語りかけていた。新型コロナウイルスをめぐる政府の政策や沼津のPCR検査の在り様について、高木さんと議論がしたかった。すまいるほーむで、感染対策のために利用制限を行うことになったが、これで本当によかったのか、高木さんの意見を聞きたかった。
「高木さんだったら、どう考える?」「私はどうしたらいい?」
 何度問いかけても、答えは返ってこなかった。
 もし高木さんが生きていたら……、そんなどうしようもない思いで頭の中はいっぱいになり、私は孤独感に苛まれた。高木さんの死を乗り越えられないまま、みんなで「すまいるほーむのご先祖様」を迎え、想いを馳せる季節が今年もめぐってきたのであった。



哀しみを抱えたままでいい

 今年の七夕祭りと灯籠流しは、いつもと様相が違っていた。新型コロナウイルスの影響で、沼津市は早々に灯籠流しの中止を決めたからだ。例年は、狩野川灯籠流しの運営を担当する沼津市の社会福祉課で事前に灯籠を購入し、七夕祭りでその灯籠に亡くなった方の名前を書いてもらって、灯籠流しに持っていき流していた。だが、灯籠流しが中止となり、さあどうするか、ということが問題となった。
 利用者さんたちとスタッフとで話し合いをする中で、スタッフのまっちゃんがこう発言してくれたのが、私は嬉しかった。
「灯籠流しはできないけど、灯籠に亡くなった方の名前やすまいるほーむのご先祖様の名前を書いて供養することは今年もやりたいと私は思うよ」
 8年間を生活相談員として共に支えてくれたまっちゃんも、死者と向き合い、死者を想う、この行事を大切に思ってくれている。それはどんなに心強いことか。拙著を読んで、昨年の7月からすまいるほーむで働き始めてくれた亀ちゃんも、まっちゃんの意見に賛同してくれた。そして二人は、今年は灯籠を手作りして、灯籠流しの代わりに、七月盆の明けに、すまいるほーむの駐車場で焼いて送ったらどうか、と提案してくれたのだった。
 6月中旬から、七夕祭りに間に合うように、レクリエーションや昼休みの時間を使って、利用者さんひとりひとりに灯籠を作ってもらった。そうしてできあがった灯籠は、折り紙を切り抜いた草花や家紋などの模様を貼り付けた半紙を角柱状に折り、その四つ角に割り箸で脚を付けたものだ。半紙を飾る色とりどりの模様が美しく、更に、ろうそくに火を点けて灯籠をかぶせると、模様の影が黒く浮かび上がり、趣が増す。



 七夕祭りでは、思い思いに彩られた灯籠に亡くなった方の名前を書いてもらい、部屋の明かりを消して、灯籠に火を灯した。そして、「すまいるほーむのご先祖様」たちの名前も灯籠に記し、いつもと同じように、賑やかに思い出を語り合った。
 高木さんの名前を記し、思い出を語る番になった時、玄関アプローチに朝顔のアーチを作ってくれた六さんが、高木さんへの思いをぽつりぽつりと語り始めた。
「ひな祭りの時に高木さんはちらし寿司をおいしい、おいしいって言って、お代りして食べていたんだ。それが私が高木さんに会った最後だった。……高木さんが居たから、私はここに来ようと思ったんだ。それなのに、すぐに居なくなってしまって……」
 六さんの声は、くやしさと寂しさと哀しさで震えているようだった。
 昨年の2月からすまいるほーむへ通い始めた六さんは、高木さんとは1か月余りの付き合いしかなかったが、視力を失っても悲観することなく、何事にも主体的に関わろうとする共通点があったからか、お互い意気投合して、よく政治談議をしていた。だから、高木さんが亡くなった時の六さんの哀しみはとりわけ深く、お別れ会の時にも、六さんは遺影に向かってこう語りかけていた。
「高木さん、もう会えないけれど、肉親のように、今でも傍に感じているよ」
 高木さんを肉親のような存在として感じていた六さんもまた、それから1年以上が経っても高木さんが亡くなったことの哀しみが癒えないままでいたのだ。
 ぼんやりとした灯籠の灯りの中で六さんの震える声を聞きながら、私は思った。簡単に乗り越えられない死があってもいいんじゃないか、と。私も六さんもそれぞれが哀しみを抱えながら、これからも時折心の中で高木さんを探し、語りかけ続けるだろう。そうやって死者を想い続けることは辛いことだが、死者とつながり生きていく、一つの形なのではないかと、そう思えたのだった。
 7月16日の夕暮れ、私とスタッフ、母、そして六さんとで、送り火を焚き、灯籠を燃やして静かに送った。利用者さんたちやスタッフの亡くなった身内や、「すまいるほーむのご先祖様」たちの灯籠が次々と炎に包まれ、煙となって空へと舞い上がっていった。六さんは、「またな」と言って高木さんの灯籠にも火を点けた。
 高木さん、私はこれからもあなたを探し続けるよ。それでいいよね。



※次回は9月26日(土)に掲載予定


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