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連載

杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.51

赤ちゃんの命の火を前に、畏れの感情を抱く人へ――杉江松恋の新鋭作家ハンティング『コークスが燃えている』

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

『コークスが燃えている』書評

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、現代の女性が置かれている実相を描いた一冊。

 物事があるがままに流れていく。その流れに手を差し入れることはできない。読者は、そしておそらくは作者も。
 櫻木みわ『コークスが燃えている』(集英社)はそういう小説である。一口で言うならば、現代の女性が置かれている実相の小説ということになるのだろう。語り手の〈私〉ことひの子は、間もなく四十歳になる独身の女性だ。今は東京で一人暮らしをし、新聞社の契約社員として日々を送っている。三年間の契約期間はもうすぐ折り返し点を過ぎる。新型コロナウイルス流行が始まり、業務も自宅でのリモートワークが主となった。そんなひの子の視点から、二〇二〇年七月から十二月までの間に起きたことが描かれていくのである。
 東京都目黒区駒場にある、バー・コークスでひの子が会食をする場面から小説は始まる。九州から上京してきた沙穂という女性に誘われ、食事を共にすることに同意したのだ。店員に対して沙穂は、ひの子を「親族みたいなものかもしれないですね」と紹介する。だが、まったく違う。ひの子は叫びたい気持ちになる。「五年前、一回会ったことがあるだけなんです」「それもうどん屋の駐車場で」と。
 そのとんでもない出来事が回想として描かれる。沙穂という女性は、ひの子の弟・立央が研修医として働いていた病院の看護師だった。二人は関係を結び、沙穂は子供を宿したと主張したのだ。立央によれば「自分は妊娠しにくいから避妊はしなくていいって、ゴムを外されたんよ。それでまた着けようとしたら、信じてないのかって殴られ」たという。そんな女性が弟の子を産むのだと言って現れた。やはり修羅場になった。ウエストの駐車場で。ご存じない方のために書いておくと、福岡県ではたいへん人気のあるチェーンのうどん屋である。結局立央は沙穂ではない別の女性と結婚した。
 それきり縁は切れたものと思っていたのだが、五年経って突然沙穂はひの子に連絡してきた。産んだこどもは立央の子ではなかったかもしれないと認め、語る。
「あたしは、立央くんが本当にすきやったんです。どんなことをしてでも立央くんの子どもがほしかったし、ぜったいに立央くんと結婚したかった。おねえさんやお母さんに邪魔されずに結婚できとったら、あたしは全力で、彼をしあわせにしてたでしょうね」
 この率直な物言いに、ひの子は好感を抱く。確かに聡明な行いではないし思慮も欠いていたが、沙穂が取った行動や言葉は自分自身に対して嘘のないものだった。二人はLINEを交換して別れる。
 さて。
 ここまで紹介した部分は、実は『コークスが燃えている』という作品の、前置きに相当する部分なのである。前置きといっても結構長い。前置きというよりは変形のフラッシュフォワード、つまり主人公に未来を見せるための仕掛けと言っていい。なぜならば、この後ひの子は沙穂をなぞるような体験をするからである。
 三十七歳の沙穂は、八歳下の立央を愛し、その子を産みたいと願った。ひの子にも別れた恋人がいる。三十九歳の彼女は二十四歳の春生という男性と付き合っていたが、自分が小さな文学賞に応募したことがきっかけで初めての著作を出せることになり、慌ただしい日々の中で仲違いをして、別れてしまったのだ。今ではLINEもブロックされている春生に思い切ってメールを出した。意外なことに返事が来て、二人は会うことになった。
 小説の冒頭、ひの子と沙穂がウニを食べている場面がある。ウニの可食部は生殖巣である。それが展開の先で起きることの前触れになっている。ひの子は春生と寝て、妊娠する。三十九歳は高齢出産の部類に入るだろう。彼女が直面する出来事を一つひとつ作者は丁寧に描いていく。通院、公的な届の提出、そして何よりも大切な父親である春生との話し合い。キャリアのために海外に行くことを春生は考えている。ひの子のことは好きだと言うが、自身の進路について考えることも大事だ。春生の両親とも会う。一つひとつを経るごとにひの子はすり減っていく。初めての体験であり、二本の腕で受け止めなければならないことがあまりに多く、一人の女性が受け止めるにはあまりに重いということが次第にわかってくる。だが、これは特別なことではない。高齢出産であり、春生との関係がやや普通ではないものである、という条件を差し引いても、世の女性がみな直面させられていることなのだ。それが書かれている。
 春生は善意の人であり、ひの子に対しても非常に優しい。しかし男性であり、ひの子の側に立つ存在ではない。自分は孤独が好きなのだ、と春生は言う。だが、それは本当に孤独というものなのか。一人で事態に当たっていくしかないひの子は、本当の孤独がどういうものかを思い知らされる。
――孤独というのは、こころや身体がくるしいとき、その痛みやかなしみをほんのすこしでも共に分かちあってほしいひとに、そうしてもらえないことをいうんじゃないか。わかってもらえないまま、ひとりきりで引き受けるしかないことをいうんじゃないか。たったいま、この瞬間の自分のように。でも私はひとりなのだから、このことに慣れなければいけない。これからもこういうことがある。つわりが酷くなったり、思いがけない病気をしたり、赤ちゃんが高熱を出したり、経済的に行きづまったり、きっと何度も、こういうことがある。そういい聞かせ、かたいアルミのチューブを絞っては、身体にくすりを塗りつづけた。
 ひとりのひの子に手を差し伸べてくれる女性はいる。遠いところに移住してしまった人であったり、日本にやってきた外国人であったりして、立場が異なるのは作者の工夫だ。直接の助けになってくれることはないが、心の支えを与えてくれる。小説の中では井手川泰子『火を産んだ母たち』(葦書房。一九八四年)に何度も言及される。炭鉱で坑夫としてこどもを育てた女たちのノンフィクションだ。書物もまた心の支えになる。目に見えない網がこの世のどこかに存在し、ひの子のように誰にも頼れない女性の下にそっと張られているのだということを作者は書いている。女性たちはそのように連帯していく。
 コークスという題名は、ひの子の力になってくれる有里子さんという女性の言葉から採られている。赤ちゃんは焚火のようである。いるだけでその場を明るく暖かくしてくれて、でも危険がないよう、火が消えないように目を離さないで世話をし続けなければいけない。
 でも、と前置きをして有里子さんは続ける。
「でも、ひとりで抱えこむことはないんだよ。むしろ、ひとりで抱えこまないように気をつけてほしいの」
 命の火を前に、誰もが畏れの感情を抱く。自分には手に余るものではないかと不安になる。そんな人のために書かれた小説だと思う。初めに触れたように、ひの子の人生に手を出すことはできない。誰も。しかし、その連帯の網を一緒に支え持ちたいと思う。すべての、ひとりである人のために。


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