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連載

杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.34

新しい青春小説の、基本図書――杉江松恋の新鋭作家ハンティング『君の顔では泣けない』

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、デビュー作にして発売前重版! 大注目の小説野性時代新人賞受賞作。

『君の顔では泣けない』書評

 夜のプールに体を浸す。
 体のすべてが水の中にある。ひんやりとした水に触れていない場所がどこもない。
 君嶋彼方『君の顔では泣けない』(KADOKAWA)はそういう小説だ。
 水は体のどこにでも行き渡ってくれる。心地よく、身を委ねたくなる。
 ものすごく単純化してしまえば、これは令和の『おれがあいつであいつがおれで』だ。
 山中恒が一九八〇年に発表した青春小説である。小学六年生の一夫と一美の心と体が入れ替わってしまい、二人は協力しながらこの事態を乗り切ろうとする。原作もさることながら大林宣彦が映画化した「転校生」はあまりにも有名だ。尾美としのりと小林聡美が一緒に転げ落ちる場面は数々の入れ替わりもの作品でパロディ化された。『君の顔では泣けない』の作者もそこは意識していて、主人公の坂平陸と水村まなみが入れ替わってしまったのも一緒にプールに落ちたから、ということになっている。
 高校一年生の男女の、心と体が入れ替わる。
 入れ替わったまま元には戻れない。
 二人はそのままの心と体で生きていかなければならなくなる。男が女の体で、女は男の体で。
 いきなりネタばらししてしまったように見えると思うが、作者は最初に「その後」を明かしている。
 冒頭の章には「30」と数字が振られている。「1」から始まらないのはなぜなのだろうか、という疑問がちょっと頭をもたげる。「30」から始まってだんだんカウントダウンしていくタイプの小説なのだろうか。
「年に一度だけ会う人がいる。夫の知らない人だ」という文章から始まるから既婚女性なのだろうと見当がつく。彼女が夫と我が子を残して里帰りする場面がその後に続く。女性の名はまなみ。夫は涼で、今の姓が蓮見だということがすぐわかる。このへんを説明しすぎないで流れで情報を提供してくれる筆致が快い。
 まなみの目的は里帰りと同時に年に一度だけの再会を果たすためだ。男性が現れ、二人は「異邦人」という名の喫茶店に入る。男性の名は坂平陸である。今までまなみとして読者に紹介されていた人物の中にいるのが陸で、目の前の陸の中にはまなみがいることがそこで明かされる。現在の陸とまなみがそういう関係だということがわかった瞬間、初めて視点人物の一人称が記される。
〈俺〉だ。
 うわっ、かっこいい。無人称で進めていくことができる日本語文章の特質を生かした書き出しだ。ここまで作者はずっと息を詰めながら書いていたのだろう。水面に浮上し、初めて呼吸ができたときに見えたものは何だろう、などと勝手に想像したくなる。
「30」の次に来るのは「15」だ。ここで初めて、章に振られた数字がその時点における主人公たちの年齢であることがわかる。では「14」や「6」は出てくるのか。「31」や「50」とかは。まだ二章読んだだけなのにもういろいろ考えたくなっている。頭の中で勝手にフラッシュバックとフラッシュフォワードが始まっているのだ。読者の想像力を利用しているので、作者は最小限の説明をするだけで状況を呑み込ませることができる。
 話はどんどん進んでいく。最初の「15」の章では〈俺〉が初めて体験する生理の感覚と出血に困惑する場面が描かれる。入れ替わってしまった直後なのである。性別が入れ替わってしまったのだから性の問題は重要である。しかし最初はそのことについてはあまり触れられない。入れ替わった二人のうちの一人は、違った性で早々と初体験を済ませてしまう。ここでちょっとした疑問がまた芽生えてくる。本来の性とは異なる体に心が入っているわけで、もともとの性的指向がヘテロだとしたら、違った相手と経験することになる。どうなのだろうか。主人公たちの体はともかく、心はその行為を受け入れることができるのだろうか。
 この疑問は出て当然のものだろうと思う。作者も読者が疑念を抱くことを予期している。予期した上で疑問をフックに使い、関心を引っかけた上で物語の先を知りたくなるように仕向けているのだ。あるところまで読み進めて、作者に気持ちを制御されていたことに気づいて、感心してしまった。どんなに身構えていても、ちゃんと読者の心に入り込むようにこの小説はできている。水だ。水だからどこまでも浸透してくる。
 キャラクターの立て方が凄まじく巧い小説である。キャラクターの特徴は、単体では決して現れてこない。草原の真ん中でただ一人立って、大声で喚いていても誰にも聞こえないのと同じことだ。誰かが必要になる。誰かを反射板とすることによって、初めてそのキャラクターの声は響いてくる。鏡になってくれる誰かが必要になる。特徴とは関係なのだ。
 この小説の場合、陸とまなみが対の関係に置かれているからその点では問題ない。常に共鳴し合っているようなものだからだ。しかし、ここも巧いのだが、作者はこの共鳴板の位置を少しずつ動かしていく。だんだん遠ざけていったりするのだ。そうなると、そばにあればすぐに反響があるような声でも、遠くまで行ってしまって聞こえなくなる。そこで湧き上がるのは不安だ。キャラクターの位置関係を操作することで読者に不安や安心の感情を起こさせることが可能なのである。やがて読者は、二人が一緒にいるだけで安心するようになる。これはキャラクターを好きになってしまうということに他ならない。
 小説の特徴については辻村深月が実にいい推薦文を書いてしまっている。今数えてみたら句読点を入れても三十四字。こんな短い文章でなんて的確に言い表すんだ、と嫉妬したくなる。あまりに見事なのでここでは書かない。各自検索。(編集部注:と杉江さんは書いておられますが、当該三十四字の推薦文は辻村さんの選評から抜粋してプルーフ等に掲載したもので、単行本帯などには載っておりません。なので、読者のみなさんが検索しなくていいようにこっそり掲載しておきます。『この作品は、選べない運命や人生と格闘する私たち読者に対するエールだ。』)
 でも最低限のことだけ書いておく。十五歳のまなみに入った陸は、自分が男だから体験していなかったことがたくさんあるという事実を知る。たとえば部活のテニスに行くと、顧問の教師が執拗に体を触ってくる。まなみはいつもそんな性的嫌がらせを受けていたのだ。あるいは、もうちょっと成長した後。電車の吊り広告や番組の占いコーナーでやたらと「恋愛万歳」みたいな押しつけがされていることに気づく。この不思議な文化はいったいなんなのだろうか。
 女性の体の中に入ってしまった男性を主人公に採用することにより作者は、女性が社会の中でどのような生き方を強いられているかを叙述する視座を確保した。十代から二十代にかけてのこの国に生きる人々の気持ちを、可能な限り偏りなく描くことが一つの目的であっただろう。
 この小説が素晴らしいのは、性についての物語であるのに、読んでいるとたびたび性差を超えた共感が生まれる場面があることだ。「楽しげに笑う同級生達の横で、楽しくなくても満たされていなくてもいいから、ただ静かに今が終わればいいと、眠くもないのに机に突っ伏していた」という主人公の語りは、そうした優れた叙述の一つだ。
 本作は第十二回小説野性時代新人賞受賞作である。新しい青春小説の基本図書として、これから読み継がれていくことになるだろう。そのくらい息の長い作品になるはずである。読者によって好きな部分が違ってくると思われる。私がいちばん好きなのは、〈俺〉がまなみに、三年ぶりに本当の両親に会っていかないか、と勧める場面。もちろん会いたくないわけがなく、まなみはそれまで〈俺〉に見せたことがない顔をするのである。この場面があるがゆえに家族小説にもなっていて、ああ、いくらでも読み方がある作品だ、と嘆息する。


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