作者が楽しんで書いているのがよく分かる一作――杉江松恋の新鋭作家ハンティング『老虎残夢』
杉江松恋の新鋭作家ハンティング
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書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、江戸川乱歩賞を受賞した特殊設定ミステリ。
『老虎残夢』書評
楽しそうでいいな。
というのが
こどものような物言いで申し訳ない。でも、実際にそう思ったのだから仕方ない。
『老虎残夢』は第六十七回江戸川乱歩賞を受賞した作者のデビュー作である。今回は二作受賞となった。もう一作は伏尾美紀『北緯43度のコールドケース』(講談社)。第58回の『カラマーゾフの妹』(講談社文庫)以来、九年ぶりの女性受賞者である。こちらも間もなく刊行予定だ。
楽しそう問題。題名がなんとなく示すように、本作は中国語圏の活劇小説である武侠小説を模した構造になっている。十三世紀の宋代末期、北部に女真族の国家である金、それに敗れて南進し杭州に都を構えた宋の二大国に中国大陸が分断されていた時代の物語である。詳しい設定は後で紹介する。特徴は武術の達人がぞろぞろ出てくることだ。
こんな場面がある。主人公たちは、湖に浮かぶ小島に渡らなければならなくなる。船は島の側に繋いであり、泳いで渡ろうにも水温が低すぎて危険だ。そこで達人のひとりが取りだした釣り竿を一振り、針が船をもやってある縄を外し、さらには船に引っかかる。達人がぐいと引っ張ると、なんとそのまま船は引き寄せられ始めるのである。
――陸側の桟橋から八仙楼の桟橋まで、だいたい五〇丈(約一五〇メートル)はある。この距離で釣り針を正確に投げ飛ばすことも、糸が三倍に伸びても切れないほどの内功を込めるのも、馬鹿馬鹿しいほどに常識離れしている。しかしそれをやってのけるのが、江湖の武侠だった。
「船を一本釣りとは、恐れ入ります」
「毎日船の上で暮らしてれば、この程度」
ほら、楽しそうである。こういう具合に武侠たちの腕前が語られていくのが第一章、なるほどそういうひとびとか、と読者が呑み込んだところで第二章に入り、事件について語られる。三十分番組のAパートとBパート、みたいに思っていただければいい。説明ではなくて逸話で人物が紹介されるから、まず退屈することはない。いや、なんといっても逸話を書くこと自体を作者が楽しんでいるのがよくわかる。こいつらを書くのはおもしろいなあ、という気持ちが行間から伝わってくるのだ。作者がそういう気持ちになっている小説はすぐわかる。何かあったらキャラクターの特徴を強調してやろうと隙なく身構えている感じ、偏りなく情報が詰め込まれているがほのかなユーモアも漂う会話、そういうものが作者の乗っている気分の現れだ。
乱歩賞はミステリー新人賞の老舗であり、毎年の応募者も多い。第六十七回は三百八十六作が集まったそうだ。応募のための傾向と対策調べはどの賞でも行われるが、予習され過ぎたのか、お行儀のいい作品ばかりが受賞するな、と思った時期が乱歩賞にはあった。「密室殺人じゃないと獲れない」とか「主人公を珍しい職業にすると有利」なんてことが言われたこともあったっけ。小説は総合芸術だから、奇を衒うだけではなかなか評価されないと思うのだが。
『老虎残夢』の美点は、そういうお勉強感がなくて、好きなものを好きに書いたように見えるところだ。予習はしているのかもしれないが、完成した小説にその痕跡は残っていない。あっぱれ。何よりいいのは、顔がすぐ思い浮かぶような主人公であることだ。
紫苑の師父である泰隆が奥義書を譲り渡すと宣言し、有資格者の三人が彼の元にやってくることから物語は始まる。内弟子ではあるが、紫苑はその中に含まれていない。彼女は、ある出来事が元で外功の力を失ってしまったからだ。それゆえに残された内功の鍛錬を欠かさずにここまで来たのだ。自分が継承者ではないことに悔しさを覚えつつも客人を迎え、饗宴の夜が明けたところで事件が起こる。もうお気づきかと思うが、上に書いた島の館で殺人事件が起きるのだ。船での行き来ができないことから、不可能状況犯罪であると見なされる。その謎解きと、犯人捜しがミステリーとしての興趣となる。
外功を失った代わりに優れた内功を得た、という不均衡な能力が主人公の特徴になっている。加えていえば、彼女が外功を失った原因は愛する人を助けたためなのである。愛の代償としての傷とそれによって決定された運命というのがキャラクターとしては完璧だ。しかもその愛する相手は師父の養子に当たる人であった。武侠の世界では身内同士の恋愛は固く禁じられていたという。もしそれが露見すれば厳罰を受けることになる。その秘密は弱点であり、自身にも殺人の動機があるという指摘を紫苑は否定しきれない。
五章(章ではなく集と表記されるが)で構成されており、第三集くらいまでは紫苑の魅力だけでひたすら読ませる。第四集から最終話、仮説のスクラップ&ビルドによって犯人が指摘されていく終盤の展開にはこれがやや失速するのが残念ではある。情報量が多くなり、キャラクターの動きを見せるだけでそれを処理することが難しくなるためである。会話だけで話が進んでいくと、武侠小説らしさが減じてしまう。こういう話だから主人公の持つ能力である内功を謎解きに絡めることは必須である。だが特殊な設定であるために、十分に納得できる書き方には至らなかったように思う。このへんは巻末の選評でも指摘されている。おそらく応募原稿に加筆修正はされているはずだが、やはりまだ少しぎごちない。
新人の作品に完璧を望むのは野暮であり、以上はないものねだりではある。キャラクターの書き方は十分条件を満たしており、それができているのであればエンターテインメントとしては何の不満もない。同時代の歴史的出来事などについての言及が多いのに過度の説明が行われない点も文章を読みやすくしている。期待の書き手であることは間違いないのである。
これは読後に目を通してもらいたいが、選評の中では月村了衛の指摘に作者は特に耳を傾けるべきだと思った。好きなことを楽しく書いているだけでは気づけないことを月村は書いている。ものすごく単純化して言えば、小説はすべて論理的であるべきだ、ということである。この指摘が意味することを骨肉化できたとき、作者は駆け足で階梯を昇ることになるだろうと思う。地力にはまったく不満のない書き手だけに、楽しみにしている。