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連載

杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.24

この物語を必要とする人がいるだろうから――『風よ僕らの前髪を』杉江松恋の新鋭作家ハンティング

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、全篇に切ない詩情が漂う一冊。

 このひとがまだ見せていない才能がいかばかりか考えると溜息が出る。

 弥生小夜子『風よ僕らの前髪を』(東京創元社)の第一章を読み終えたとき、それまでの文章によって醸成されたイメージがあまりに鮮やかであることに感嘆させられたのである。

 第三十回鮎川哲也賞優秀賞に輝いた作品であり、作者はそれまでに、創元ファンタジイ新人賞の第一回と第五回で最終候補作に残ったことがある。読後に私が得ていた知識はそれだけである。付け加えておくと、第三十回の鮎川賞は千田理緒『五色の殺人者』に授与されている。『風よ僕らの前髪を』は次点だったということだ。

 正直に告白してしまえば、ページを開く前はそれほど期待していたわけでもなかった。本作は若林悠紀という青年を視点人物にした三人称の小説なのだが、カバー袖のあらすじや巻頭の登場人物表では、彼は探偵事務所勤務の経験があると紹介されている。

 なるほど、探偵という日本ではあまり意味のない肩書を持つ主人公がなぜか殺人事件を捜査するという、それほどリアリティを重視しないタイプの小説か。

 そんな風に思ったわけである。まだ本文を開いていない時点では。

 だが、すぐ先入観は覆され、戸惑いにとって代わられる。書き出しの文章が素晴らしいからだ。主人公の伯母・高子が身に着けている着物を描写した文章で、あえて無人称にして、色彩や柄の印象だけで読者の関心を惹くように書かれている。これはリアリズムに無頓着な作者に書ける文章ではない。その伯母からの私的な頼みとして悠紀は調査を引き受けるわけである。高子の夫である弁護士の立原恭吾が何者かに絞殺された。夫妻には志史という養子がいた。高子はその志史こそが殺人犯ではないかと疑っており、事実関係を知りたいというのだ。

 志史が夫妻の養子となった経緯が入り組んでおり、それが高子の彼に対する恐れの原因になっているのだ。悠紀は志史の家庭教師を務めたこともあり、よく知る間柄でもある。放置できずに伯母の依頼を受けて調査を始める、というところで第一章は終わる。ここまでならば、よくできてはいるのだがそれほど珍しくはない物語の出だしである。さて、作者は設定をどう転がして物語を作っていくのか、と考えながら章を読み終えようとしたときに心を射抜かれてしまう。

 立原家を訪れた悠紀は、帰りぎわに渦中の人物である志史を見かける。ちらと見ただけなのだが、その残像は「唇を三日月の形にして、声もなく……笑っていたような気が、した」というのだ。

 これでやられた。志史の笑いはどのような意味なのだろうという知りたい気持ちがむくむくと湧いてきてしまったのである。その薄い唇が見えるような気がする。冷たい光を宿した瞳も。

『風よ僕らの前髪を』は徹頭徹尾立原志史の小説である。志史が身にまとった殻を突き崩してその実体に触れることはできるのか。それが視点人物である悠紀に課せられた任務であり、彼の目を通して世界を見ている読者に対する問いかけなのである。志史が読者の前に姿を現す回数は限られている。作者は綿密な計算の上でそのときどきの志史を描いており、悠紀に示す表情は毎回異なる。気難しい神の前に引き出された罪人のように、畏れの感情を抱きながら美しい青年に読者は対峙することになるのだ。

 本作が持つミステリーとしての構造は比較的早めに察せられる。勘のいい読者なら全体の三分の一くらいで、あるプロットが頭に浮かぶのではないだろうか。本作が鮎川賞の最終候補まで残りつつ大賞を射止めることができなかったのは、そうした構造によって評価が割り引かれた一面もあったのではないかと推測する。だが、決定的な瑕瑾ではない。そのプロットが使われている可能性があることを念頭に置いて読み進めたとしても、いや、そうした可能性があるからこその驚きを本作は提供してくれるからだ。最後に明かされた真相は、手垢がついたミステリーの趣向に新しい用い方があることを示すはずである。このテーマによく親しんだ読者ほど、逆にその斬新さに感心するのではないだろうか。

 ある趣向にあったミステリーと見せかけて読者を物語の中におびき出し、立原志史の心という本当の謎を突きつけることで驚きを味わわせる。作者の狙いを代弁するならばそういうことなのかもしれない。使われている趣向に前例があり、それが透けて見えるからといって作品の価値が損なわれるものではないのは、もっと深い謎は別のところにあるからなのである。そして、謎が解かれていく過程の語り方もいい。

「ピースを嵌めても嵌めても完成しないジグソーパズルのようだ」「ピースが増えれば増えるほど完成図が見えなくなる」と悠紀は考える。志史の周囲にある人間関係を悠紀は追っていく。私立探偵小説が確立した物語形式がここでは効果的に使われている。探偵が関係者のインタビューを繰り返していくと、うまく嵌まらないピースのような証言ばかりが増えていく。事件に関わった人々は自分の見方で起きた出来事を眺め、それぞれ違った携わり方をしているからだ。光が乱反射するように多方面を向いている証言をまとめあげ、それに合致する仮説を組み立てることがインタビュー者である探偵には求められる。なるほど、だから悠紀に探偵事務所の勤務経験を持たせたのか、と読みながら合点した。悠紀はこうも言っている。ある人物の存在にたどり着いたのは「花びらのように危うく重なり合う事実の断片をたど」った結果なのだと。

 物語を支えている文章の完成度にも触れなければいけない。冒頭で着物を描写する文章の見事さに触れたが、人物の肖像を描きあげる小説であるからには、枝葉のような表現であっても作者はおろそかにすることができない。少しでも違和感のある文章が紛れ込めば、醸成されつつあった空気は途端に雲散霧消してしまうからだ。緊張感のある文章が続いている。それらは読者にとっては心地よく、過不足ない表現によって登場人物の相貌が描かれ、感情が引き出されていく。志史たち主要登場人物はもちろんのこと、悠紀が一回会うだけの脇役においてもそれは徹底されている。第五章に登場する「海の音も風の音もピアノに聞こえる」老人などは実に印象的なキャラクターであった。

 全篇に切ない詩情が漂っている。印象的な題名は登場人物の一人が詠んだ「風よ僕らの前髪を吹きぬけてメタセコイアの梢を鳴らせ」という歌から採られている。この作品の登場人物たちを動かす運命の原理は、感情とは誰かと共有されるものではなく、常に一方向であるということだ。誰かを愛するという行為は、決してその思いが受け止められることを意味するものではない。そうではなくて、ただひたすらに思いを向け続けるしかない。相手が同じような思いを返してくれるように見えても、それは幻に過ぎないのである。自分の中にのみ留まり、決して誰かと分かちあうことができない思いを抱えて誰もが生きている。ただ風だけが、メタセコイアの樹を揺らすのと同じような平等さで諸人の間を吹きぬけていくのである。その孤独が歌に詠まれ、小説の秘められた原理になっている。

 作者の書きぶりにまったく物欲しげな様子がないことも本書に好感を抱いた理由の一つである。欲しがりではない。つまり、物語を理解してほしいというサインを頻繁に投げてくる書き手ではない。

 この物語を必要とする人がいるだろうから、ここに置いておきます。

 そんな控えめな声が聴こえてくるような気さえする。すべての読者に響くわけではないかもしれないが、届く人の胸には深く達することだろう。深く深く入り込んで、そこに御納戸茶色の翳を作る。


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