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連載

杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.3

あるページで、体温が一気に上がる!『約束の果て 黒と紫の国』 杉江松恋の新鋭作家ハンティング

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、小説でしか表現できない魔術を用いた作品。

高丘哲次『約束の果て 黒と紫の国』(新潮社)

 これこそ小説でしか書けない世界ではないか。
 高丘哲次『約束の果て 黒と紫の国』(新潮社)のあるページにさしかかった瞬間、体温が一気に上がるのを感じた。風邪を引いたかな。いや、興奮しているのだ。小説を読んで。
『約束の果て』は日本ファンタジーノベル大賞2019の受賞作である。同賞は過去に、佐藤亜紀、佐藤哲也、池上永一、宇月原晴明など錚々たる作家を輩出した小説界の安心ブランドであり、2013年の第25回をもって一旦休止したが、4年後に復活している。受賞作は柿村将彦『隣のずこずこ』で、このときから回数表示を伴わない形に賞名を変更している。再開して3回目の受賞作が『約束の果て』だ。
 はるかな昔の物語である。主たる舞台となるのは伍州と呼ばれる大陸だ。中央に強大な帝国があり、辺境にそれに従属する国家が存在するという世界観は、上代から近代に至る中国を思わせる。物語は、その伍州の現代と思われる時間から始まる。伍州の南において、矢形の装身具が発掘されたのだが、そこにはいかなる歴史書にも出てこない国名が記されていたのである。壙とジナンという国だ。本文では漢字表記なのだが、ジナンのジが私のパソコンでもみなさんの画面でもおそらく表示が難しい字なのでこう書く。
 考古学者の梁斉河は研究所の上司から、これは世紀の大発見だから壙とジナンが歴史に存在したという証拠をなんとしても探し出せと厳命される。苦労の果てにようやく『南朱列国演義』『歴世神王拾記』という二書にその名が出てくることを突き止めるが、あいにく両方ともまともな史書ではなかった。稗史、あるいは偽史、要するに作り話と見做されているものなのだ。しかしその名を刻んだ青銅器は確かに存在する。それはなぜなのかを調べるため梁が虚構の中に降りていく、ということでようやく物語は本編に入る。
 つまり、二つ偽史を並行して紹介するのが本編の流れなのである。南朱列国演義のほうは、壙国から真气という者が使わされ、ジナンの女王・瑤花の第一王女と名乗る童女がそれを出迎える場面から始まる。壙の帝は偉大なる神威の主であり、王子を各国に派遣するという形でそれを分け与えているのである。真气もその一人で、なんと第四三二〇一王子なのであった。祭祀を行うため、真气はジナンの宮殿奥深くへと入っていく。
 歴世神王拾記の主役は、バキュウという少年である。これまたみなさんの画面でも字が表示されないと思うのでカタカナ表記にするが、バは虫偏に馬、九は漢数字だ。彼らの部族は年に一度宴礼射儀に参加する。伍州の地神に謝するために弓の技を披露する祭である。初めての参加で、バキュウは自らの未熟を思い知らされた。彼の放った矢は的を射るどころか、力なく大地に落ちたのである。しかし、ただ一人それを賞賛してくれた童女がいた。なぜならば、「小さい板に矢を当てたひとはたくさんいたけど、大地を射抜いたのはあなただけだったから」。バキュウは弓の腕を磨き、胸を張って彼女に矢を手渡そうと心に誓う。
 この二つの話が同時進行していくのだ。見知らぬ神話の外郭をなぞっているような感触なのではじめは戸惑うが、やがて引き込まれていく。そこに描かれているのは、始皇帝の秦と周辺国がそうであったような弱肉強食の物語だからである。弱小ジナンと強大な壙国の関係はいかにも危うく、どうなるものかと肝が冷える。
 そして、第一章「旅立ちの諸相」が終わるとき。
 あ、ああっ、という声が読者の喉から漏れるのである。
 いや、そこで驚くのは歴史などに関心がある一部の読者かもしれない。しかし、第二章「壙国の都」が始まってしばらく経ったあたり、具体的には140ページ付近で。
 これは何かたいへんなものを読んでいるのではないか。
 と誰もが呟くのではないだろうか。いや、呟いてもらいたい。だってたいへんなことが起きているのだから。中国風の舞台を用いた歴史ファンタジーだったはずのものが、とんでもない小説にここで化ける。何が起きても不思議ではない小説になる。『約束の果て』という作品が真価を示すのは、実はここからなのである。
 読み進め、新たなことが判明するたびに感嘆する。一言で表せば、人間の想像力を操る小説だ。作者が文字を使って読者を操るのである。文字はイメージを喚起するが、それはあらかじめ在る器の大きさにしか広がらない。たとえば読者の受容器が家庭におけるサイズのモニターだったとしたら、そうしたものとして世界を見てしまうのだ。しかし作者は、それとは単位がまったく異なる映像を準備していたのである。さながら自宅の居間で爆音上映が始まってしまうような、と喩えを書いてみてもまったく言い表せてないことにもどかしさを覚える。しかしそれもそのはずだ。他の喩えはふさわしくない。
 これは、絶対に小説でしか表現できない魔術を用いた作品なのだから。
 予断を避けるために以上で紹介を終える。実際に読んで、確かめてもらったほうがいい。
 ただ、本作の持つ叙情性を知ってもらうために、プロローグの一文だけを引用しておきたいと思う。小説のすべてを言い表しているのに、これだけではまったくなんだかわからない見事なティーザーだ。

私たちが歩んだ道のりは、わずか五メートルを埋めるためだった。たったそれだけのために、五千と七十年の月日が過ぎた。

 この一文に何かを感じたならば、導かれるままにどうぞ黒と紫の国へと。


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