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連載

杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.2

コロナ禍が収まったら、『ホテル・アルカディア』で読書会を開いてはいかがか。 杉江松恋の新鋭作家ハンティング

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、過去の読書体験を刺激する一冊。

石川宗生『ホテル・アルカディア』(集英社)

 今のうちに予言しておく。
 コロナ禍が収まってみんながよかったねよかったねとにこにこ集まれるようになったら、小説好きのひとびとはこぞって石川宗生『ホテル・アルカディア』で読書会を開くだろう。
 現時点で2020年の読書会お薦め本第1位である。人によって好きな章が異なり、全体についての深読みが可能であり、読書の引き出しを開けて知識を開陳したくなる小説なのだ。読み終わると絶対に『ホテル・アルカディア』について何か言いたくなる。私もなった。
 帯の背に「はるか未来の、千夜一夜物語」という文字が躍っている。シェヘラザードを語り手とするこの作品に喩えられる作品はこれまでにも書かれてきた。記憶に新しいのは第160回直木賞候補作にもなった森見登美彦『熱帯』で、現行の『千夜一夜物語』の成立には怪しい部分があることに着目し、その輪郭のあやふやさを実作の形で見事に描き切った傑作だ。
『ホテル・アルカディア』はシェヘラザードの長い長い語りとは直接の因果関係がなく、物語の枠はどちらかといえばジョヴァンニ・ボッカッチョ『デカメロン』に近い。かの作品は1348年にペストが流行した際、疫病を避けて引き籠った男女がりょうを慰めるために話を集めたという体になっている。
 本書で語りのきっかけになるのは、ホテル〈アルカディア〉支配人の娘・プルデンシアが敷地のはずれにあるコテージに引き籠ってしまったことだ。ホテルは芸術家に制作場所を無償で提供していた。そこに集った者たちは不在の娘を題材として思い思いの創作を行う。想像上のプルデンシアを各地の風景画に描き込んだラジャイオ・マフデイー「旅するプルデンシア」、〈アルカディア〉内で収集されたさまざまな紙片や端切れのコラージュによって架空の大陸が形成されたローダ・ボードリヤール『プルデンシア・アトラス』など、など。
 そのうちの一つが『プルデンシア物語』である。発案者は、オーランドー・レノンとポール・ラブの二人だ。娘の愛読書であった『デカメロン』にならって「おかしみと不思議さにあふれた物語をたくさんつくり、彼女に語り聞かせる」という趣旨であり、これに他の芸術家たちも賛同した。かくして彼らは車座になり、プルデンシアのおわすコテージからすこし離れた場所で、物語を始めるのである。
 本書は全七章で構成されており、最初の「愛のアトラス」の序にあたるのが上に紹介した部分である。同章の中には物語をタイピングすることによって体験者の心身に打ち込む「タイピスト〈I〉」、身体の随所に極小の動物が出現するという不可思議な現象が起きることから始まる「代理戦争」、憧れの女性とつきあいたいといううぶな少年の願望が地球規模の愛にまで発展していく「すべてはダニエラとファックするために」など、珍妙極まりない物語が並ぶ。基調になっているのは「愛」であり、庭園に舞い降りるようになった翼のある女性をあの手この手でもてなすロレンツォ・グエディン氏の物語「アンジェリカの園」で第一章は終了する。
 次の「さがのアトラス」は、そのグエディン氏の園生を後にした青年が、そぞろ歩いているうちに死者の日の祭りに迷い込むことから始まる。その祭りではまさに今、「プリズマ」と呼ばれる朗読会が始まろうとしていた。「プリズマ」はアルゼンチンの作家ルイス・ホルヘ・ボルヘスが創刊した壁新聞に由来する名前だが、この朗読会にはすでに一家をなした高名な実在の創作者が参加し、思い思いのやり方で自作を披露するのである。もちろんあのムラカミだってやってくる。
 この序が「愛のアトラス」とは共通項を持ちながらも異なるものであり、その末尾を飾る「アンジェリカの園」を受け継ぐような形で始まる点に注意されたい。「性のアトラス」は、世界のすべてをコレクションに収めようとしたローレンス・ワインマン氏の物語「No.121393」で終わるのだが、次の「死生のアトラス」の序はその蒐集品と思われるもの、石の本やクラリネットたちの会話で構成されるのである。各「アトラス」はこのようにゆるやかにつながり、それぞれの序で物語が行われるいわれが示される。序と書いたが、これは便宜的なもので本文通り「アトラス」、すなわち地図としたほうがいい。「愛」「性」「死生」「文化」「都市」「時」「世界」という七つの地図が本書には含まれていて、それぞれを構成するものとして各物語が付随しているという見方もできるからだ。
 単語アトラス(ATLAS)の起源はギリシャ神話の神アトラースが天空を背負うことに因んでいる。アトラスは地図だが世界そのものの写し絵でもあり、模写だからこそ転記のためにさまざまな異同が生じるのではないか。そんな考えが読みながらふと頭の中に浮かんだのである。最後の「世界のアトラス」には、そう言い出すのはわかっていました、と言わんばかりの一文が準備されており、なおさら感心させられた。何を思いついてもよくて、何を思いついても作者に対応されてしまう。ほら、読書会向きでしょう。
 このように構造がおもしろい小説なので、映画化もされたデイヴィッド・ミッチェルの大長編小説『クラウド・アトラス』を私は連想したのだが、そのように過去読書の記憶を刺激する一面がこの作品にはある。たとえば「愛のアトラス」でも言及されているミハル・アイヴァス『黄金時代』だ。同書に登場する、島民が内容を書き換えることで無限に増殖していく本のエピソードが、「文化のアトラス」と「都市のアトラス」を読んでいるときにはずっと頭の中にあった。良書は人に過去読書のひきだしを開けさせるのだ。
 これは余談めくが、作者が間違いなく意識しているだろうな、と思ったのがイギリスBBC制作の「空飛ぶモンティ・パイソン」である。一つのコントが終わると次の情景が出てくるやり方がアトラスのつながりの元ネタだ。そう思った根拠は「文化のアトラス」内の「A#」である。実際に読んでご確認を。
 多くの短篇が合体して一つの長篇を作り出す断章小説なので、各話の品質はもちろん保証する。本書の原型は集英社の雑誌「小説すばる」と同誌ホームページで行われた「素晴らしき第28世界」連載である。ひとつひとつの短篇を読んだときにおもしろかったので、早く本にならないかな、と楽しみにしていたのだが、こんな形でまとまるとは驚きである。
 収録された短篇のお気に入りを挙げると、最初の一行が素晴らしい「本の挿絵」か、愛すべきペット小説である「饗宴」か。ああ、でも両方とも生命力に満ち溢れていていいんだよな、という感想を誰かと共有したくなるので、本当にみなさんは読書会をやるべきだ。


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