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連載

杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.11

不思議な感覚を味わいたいなら――『人鳥クインテット』杉江松恋の新鋭作家ハンティング

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は「祖父がペンギンになった」エピソードから始まる一冊。

 なんとも不思議な感覚を味わったので、ぜひみなさんと共有したい。

 青本雪平『人鳥ペンギンクインテット』(徳間書店)である。青本はこれが最初の著書で、短篇「ぼくのすきなせんせい」で第三回大藪春彦新人賞を獲得してデビューを果たしたばかりの新人だ。何かで出版予告を見て、気になって仕方のなかった本なので現物を手にした瞬間に読んだ。最初の数ページに目を通しただけで自分の判断は間違っていなかったとわかった。とにかく読者をして先を知りたい気持ちにさせる技巧が駆使されている。短篇の「ぼくのすきなせんせい」でも充分にその魅力は伝わってきたが、長篇である本書においてついに本領を発揮した感がある。

 語り手の鳴海柊也がマンドリル顔の刑事に取り調べを受けている短い場面からこの小説は始まる。警察署の中にいることからなんらかの犯罪が介在しているであろうことはわかるが、前後関係を判断できるような材料はない。マンドリル顔の刑事ならずとも何が起きたのか知りたくなるのは当然だ。だが、覚悟を決めて語りだした柊也の口から出てきたのは「きっかけは、祖父がペンギンになったことです……」という言葉だったのである。

 そして本当に、九十歳の祖父・秋雄がペンギンになっているのを柊也が発見した、ある春の朝のことが語られ始める。祖父愛用の座椅子にはメーメーと鳴く鳥が乗っかっていた。白と黒の体毛に覆われたその鳥は、フンボルトペンギンであることが後に判明する。

 驚く間もなく家には訪問者が来てしまう。糸川晴という小学生の少女だ。晴は祖父が経営するアパートに母子で住んでいるという。柊也の与り知らぬところで彼女の母親と祖父の間で話がつき、晴を日中預かることになっていたのだ。ペンギンを見た晴は何の疑問も感じた様子はなく、それを「じいちゃん」だと認識した。じいちゃんの頭にあったシミと、ペンギンの腹についている斑点の一つが同じ形だという。判然としない気持ちを抱えつつ、柊也は昼食のためのインスタントラーメンを作り始める。

 こんな具合に物語は始まり、進んでいく。『人鳥クインテット』は前述した取調室の情景が幕間劇のように挟まり、柊也がペンギンと過ごす日々が春から夏へ、夏から秋へ、最終的にはまた春へと、五つの季節を経巡る形で進んでいく。日常生活に突如異物が侵入してくるという出だしは、少年誌の漫画連載にもありそうだ。藤子不二雄『ドラえもん』だって机の中からおかしな連中が出てきて始まったわけだし。

 最初の「春」の章はまさにそんな感じで、晴の他にもアパートの家賃を待ってくれと言いにくる年上のお姉さんが出てくる。息をするように嘘をつく柊也の幼なじみも出てくる。キャラクターが準備されて話がいよいよ始まる感じがする。だが、おおそうか、そういうコメディなのか、と読んでいると、次の「夏」の章で思い切り蹴つまずく。予期せぬ要素が話に入りこんでくるからだ。

 作者は情報を絞ることで読者を操る。柊也が高校を退学した理由に言及されないことなど、語られずに話が進行していく要素が多いのである。挿入されている意味がわからない取調室の章にもそういう効果がある。この情報の欠落をどう思うかが本書評価の分かれ目になるだろう。私は、すべてを語ることができないという態度自体が主人公の性格を表現する重要なピースになっていると判断したが、ここにもどかしさを感じる読者はいるかもしれない。

 ミステリーには叙述トリックという技巧がある。作者がぼかして書いた記述が、あとでどんでん返しに使われるわけである。この手は諸刃の剣で、下手な書き方をすると作者がもったいぶっているようにしか見えなくなる。言いたいこと、書かなければならないことがあるのなら、初めから全部書いておけ、という苦情も出るだろう。ミステリーに関心がある方のために書いておくと、叙述トリックとは違う意図がこの作者にはあるように感じた。

 喩えになってしまうが、青本は不完全な円を描きたかったのではないかと思う。中心角が330度の扇形を頭の中に思い浮かべてもらいたい。もう、ほとんど円である。中にいる人がずっと弧の側を向いていれば、それは円にしか見えない。だが、背後には30度分の隙間があるのだ。隙間から目を背ければ円の中にいると自分を欺き続けられる。だが、いつかはそれが円ではなく、扇形にすぎないという事実をつきつけられるかもしれない。自分の存在を脅かす不安が次第に募っていき、やがて決定的な瞬間が訪れる。本書はそうした小説だ。

 祖父がペンギンになってしまうという設定も、不安を内包した日常という世界観から理解したほうがよさそうだ。ペンギンは夢でも空想でもなく、紛れもない現実として描かれる。視点人物である柊也の見ている世界には欠落があるらしく、どうも不完全なのだが、ペンギンが存在するという事実は否定されない。一方に今いる世界の形が否定されかねない不安があり、もう一方に世界そのものを肯定するとしか言いようのないペンギンの存在がある。それは円ではなくて扇形かもしれないが、確かに存在する世界ではあるのだ。相反するものを両立させて一つの世界を創ろうという狙いが作者にあったのだとしたら、それは見事に成功している。こういうやり方があったのか、と私は驚き、感心した。

 その冠された名前からもわかる通り、大藪春彦新人賞は犯罪小説の偉大なる第一人者に因んで設立されたものである。だが第一回の受賞者である赤松利市は、第一作の『藻屑蟹』(徳間文庫)こそ犯罪小説に分類される作品だが、デビュー後まだ三年も経っていないのに、すでに一定の枠に収まりきらない作家になりつつある。第二回の西尾潤には、現時点で受賞作を長篇化した『愚か者の身分』(徳間書店)以外に著作はない。だが、デビュー後に発表された短篇を読む限りでは、まだ開けていない引き出しがあるように感じる。饒舌な語り口を駆使して、いずれはまったく違う境地に読者を誘ってくれるかもしれない。二人の先輩に続いて登場した青本は、第一作で並々ならぬ力量を披露した。この人がどういう方向に進むのか、私には予想がつかない。次にその名を見かけたら、『人鳥クインテット』で不思議な感覚を味わわせてくれた作者だと期待して本を手に取るだろう。その期待はたぶん裏切られることがないだろうと思う。


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