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連載

杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.10

死刑囚による黒い手記小説『無駄花』杉江松恋の新鋭作家ハンティング

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
妄執の虜になった男の悲劇を描いた一冊。

 我が身がこの世にあることが申し訳ない。
 慚愧の念、と言い表してしまうと少し言葉が結晶化しすぎてしまう。
 規格品を嵌めこむことで成り立っている場所に、そこから外れた、金型に隙間が出来たせいでバリをあちこちにくっつけた部品が来てしまい、うまく嵌まらんで悪いことをしたのう、と頭を下げている感じ。俺が悪いのは確かだが、悪いことは認めているのだから、それ以上何か言えばぶっとばす、と文章が言っている。
 なか真大まさひろ『無駄花』(講談社)はそういう小説だ。
 第十四回小説現代長編新人賞は豊作で、鯨井あめ『晴れ、時々くらげを呼ぶ』とパリュスあや子『隣人X』の二作が正賞に決定、すでに単行本も刊行されている。それにやや遅れて、奨励賞を授与された本作も単行本化されることが発表された。まずは「小説現代」六・七月合併号に一挙掲載される。私はそれで読んだ。
 第一印象は、黒っ、である。
『無駄花』は同誌の巻末近くに、やや小さな活字を使ってぎゅうぎゅうに詰め込まれるようにして掲載されていた。黒く感じたのは文字間が狭かったせいもある。だがそれだけではなく、物語から登場人物が乗り出してくるような迫力があった。行間から語り手の気配が立ち上ってくる。その表情は逆光で見えないのだが、黒々とした体の輪郭が眼前で膨らんでくるようだ。中村正志という男が目の前に現れて、鉄格子の向こうから手を伸ばしているのを見たような気さえした。

「お前のような人間は死にやがれ」

 という一文から『無駄花』は始まる。中村正志というのが語り手の名前である。彼は死刑囚であり、待ち受ける死の恐怖から逃れるため手紙を書き始めた。それを読んだ出版社の「青木君」から手記執筆を勧められ、死刑囚の本を出せば売れるのだ、という彼の本音を隠さない姿勢にも共感して中村は書き始める。「この首が括られ吊るされてしまう前に、何とか手記を最後まで書きたい」「たとえ自分の恥を曝け出すことになっても真実を書きたい」というのが冒頭に記された彼の心情である。以下、手記小説の形式をとって本作は進んでいく。
 中村が死刑を宣告されたのは、小学生の頃から知っている島田恭司という人物の「一族郎党皆殺し」を目論んだためだ。島田に対して抱いている恨みがいかに根強く巨大なものであるかを彼は繰り返し語る。ではどんなことが恨みの主因であり殺意の引き金になったのか、という関心を読者は抱くだろう。殺意が生まれる、座標軸xyが交差するゼロ地点はどこなのか、と探しながらページをめくるに違いない。
 先に書いてしまうと、そうしたメカニズムを描くこととはやや異なる目的を持った小説である。中村にとって島田殺害が人生の到達点であることは間違いないのだが、そこに至るまでに自分がどのように成形されていったかを述べるほうに彼の主眼はある。したがって、思春期のきざはしというべき中学時代から主たる記述は始まることになるのだ。実家は酒屋を生業としていたが、弁当屋を開店したところでコンビニエンス・ストア・チェーンが開店し、一気に家が傾いたこと。そのために父が酒に逃げ、母が夜の仕事で一家を支えていたこと。そのコンビニエンス・ストアに出資したのは島田一族だが、中村が中学に入って悪い仲間とつるむようになると、そこに恭司も加わるようになったこと。一時は仲間意識さえ持って連帯していたが、恭司の裏切り行為を許しがたいと感じたため、彼を成敗すると宣言したこと。中村正志の人格を一つの建設物に喩えると、これらの事柄はすべて基礎工事の部分にすぎない。
 家では家政婦がいるために見られないと懇願されて成人向けビデオを恭司に見せてやったり、いざ決闘という段になっても警察官が踏み込んできたので中途半端なところで逃げ出し、追跡から逃れるため思わず恭司に手を貸して逃がしてやったり、この中学時代の不良エピソードには思わず笑ってしまいそうなほのぼのとした空気さえ漂っている。関西弁を駆使した語り、しかも思案の足りない中学生の精一杯の虚勢が綴られているためでもあるだろう。年少の頃より虐待を受けて、その恨み骨髄に達し、というような話ではないのである。
 中学生時代のエピソードで最も注目すべきなのは、中村が千尋という女性に恋愛感情を持つくだりだ。千尋はバレエを習っているので、中村も音楽教師からにわか仕込みで教わったバレエの蘊蓄を語って彼女の気を惹こうとする。ストーカーまがいの手紙攻勢により、運良く友人として口を利く程度の仲になることには成功するのである。しかしそこから前進することはできず、高校も別で進路も違うことから千尋とはだんだん疎遠になっていく。その事実から目を背けるようにアルバイト料を散財しつつ中村は「こうして俺はおっさんになって行くんやと悲観していたし、恋に破れる前に恋から逃走した汚点は生涯己の意識につきまとって精神を苛むだろうことも、見抜いていた」と語る。
 つまりこれは、なりたくないと思っていた者になってしまった男が、どうしようもなかった人生を振り返る物語なのである。中村と島田の間には生まれつきといってもいい格差があり、家業の失敗という不運もあって選択肢が狭められたという事情は確かに存在する。しかし中村の人生を狂わせた原因、憎悪を向けるべき対象は本当に島田恭司なのだろうか。手記形式で書かれた物語ゆえにページを繰っている最中は見えにくいが、やや距離をとって眺めると、中村を不幸にした原因は他にあるのではないか、という疑念が生じてくる。その可能性を否定した男の悲劇が『無駄花』なのだ。視野狭窄であり、歪んでいる。憎む対象を殺すことですべてを完了させるという妄執の虜になった人間を物語の中で作り上げることが作者の第一目的であっただろう。
 犯罪小説として『無駄花』を読むと、構成に物足りなさを感じると思う。先に書いたように殺意のメカニズムを書こうとした小説ではないからだ。自分がこうなってしまったことの原因を外に求めて憎悪の念を燃やす人、世間の倫理から外れるとしても自分の信念を貫徹しようとする人を描いたのであり、現代人の一類型を極端な形で描いたのが中村正志なのである。そう考えると彼の絶望が急に身近なものに感じられてくる。
 大阪弁を用いた語り口は実にリズミカルだし、実に読みやすい。作者は手記文学という形式を利用して過去の主人公を相対化する視点を挿入し、中村正志という人物を立体化することに成功している。計算の結果、ではなく生来そういう文章のリズムを持った書き手なのではないかという気がする。おそらく応募原稿からかなりの加筆修正が行われていると思うのだが、奨励賞という形を取ってでも作者を世に出したかった選考委員、及び出版社の熱意はよくわかる。これは人に読まれるべき文章であり、物語なのだ。
 中真大は一九九一年生まれの二十九歳、本に挟まれていたリーフレットによれば現在ヒップホップをテーマにした作品を執筆中とのことだ。おお、書いてくれ。アイスバーグ・スリムの『ピンプ』みたいのを。


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