【『角川新字源』連載第5回】自宅に辞書が6000点!? 神・校正者に聞く漢字のかたちの秘密
10年かかりました。『角川新字源』大改訂。
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\重版!/
おかげさまで、緊急重版が決定しました!
こんなに早い重版は、みなさまのご支持あってのことです。
本当にありがとうございます!
さて、みなさまは“校閲者”“校正者”という仕事をご存じでしょうか。
校閲とは「原稿や印刷物などの内容や表現の誤りを正し、不足の部分を補うこと」、校正とは「印刷前の刷りもの(=校正刷り)と原稿を比べて、文字や図版の不備や誤りを正すこと」(どちらも『角川必携国語辞典』より)で、校閲者・校正者とはそのプロフェッショナルを指します。
中には、2016年放映の大ヒットドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』(原作はKADOKAWA刊、宮木あや子著『校閲ガール』シリーズ)をご覧になった方がいるかもしれません。
ドラマでは入社したばかりの主人公が校閲部に配属されていましたが、世の中にはこれを専門とするフリーランスの校閲者・校正者もいるのです。
というわけで今回は、『角川新字源 改訂新版』の校正者のひとり、境田稔信さんに話を伺いました。
境田さんといえば、なんと自宅マンションに辞書事典を6000点以上も所有している人で、文字通り“辞書と生きる”神・校正者。
例えば、日本最初の近代的国語辞典『言海』を260冊、『康煕字典』も90セット持っているとか。そんな貴重な資料はもちろん、仕事の正確さにおいても日本の辞書作りに欠かせない重要な存在です。
そんな彼が語る漢字の“正しさ”とは?
>>【連載第4回】誕生はなんと1900年前!! 漢和辞典のすごすぎる歴史
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[話し手]坂倉 『新字源』に関わる編集者。辞書編集部のなかでは未だに一番の若手。先日、念願かなってアンコウ鍋(どぶ汁)を食べることができました。えんえんと食べ続けていたいステキな味でした。好きな言葉は「危言危行」。
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[聞き手]松谷 書籍をPRするパブリシスト。『角川新字源 改訂新版』編者の阿辻名誉教授のfacebookに、「香香はシャンシャン、香港はホンコン。なんでかわかるかい?」との投稿が。ムムム、考えたこともなかった……。正解は、前者は北京語だから「シャン」、後者は広東語だから「ホン」なんだそうです。北京の人にホンコンと言っても通じないとのこと。漢字、まだまだ知らない事がたくさんあります。好きな言葉は、「日々勉強」。
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境田稔信(さかいだ・としのぶ) 1959年千葉県生まれ。校正者、辞書研究家、日本エディタースクール講師、実践女子大学短期大学部非常勤講師。校正者になったときに新たな国語辞典を手にして以来、2日に1冊のペースで買い集め、ついには6000点超の辞書を集めるに至る。三省堂『新明解国語辞典』や岩波書店『広辞苑』など、数多くの辞書の校正を手がける。共編に『明治期国語辞書大系』(大空社)、『タイポグラフィの基礎』(誠文堂新光社)。
Twitter ID @pX03dDIs4dQ1G3x
1月26日(金)24:20~
テレビ朝日系「タモリ倶楽部」で、境田邸の辞書ライブラリーがテレビ初公開されます。ぜひご覧ください!
http://www.tv-asahi.co.jp/tamoriclub/
【Q,漢字の“正しい形”とは?】
坂倉:お久しぶりです! 『角川新字源 改訂新版』では大変お世話になりました。
境田:お久しぶり。そうそう、ちょうど今日ここへ来る前に、おもしろい辞書を見付けまして。これなんですけど、三省堂が最初に出版した英和辞典で……。
坂倉:おおっこれは……、あ、いやいや、境田さんストップです! 今日はお伝えしておいたとおり、漢字についていろいろお話を聞きたくてお声がけしました!
境田:ああ、そうでした。何をお話ししましょう?
坂倉:境田さんには、漢和辞典編集の基礎になる「親字表」……つまり、収録されているすべての漢字の一覧表を校正していただいたわけですが、今日はその中でも漢字のかたち(字体)についてお聞きしたいと思います。
ずばり、校正者は、どうやって漢字の正しいかたちを判断しているんでしょうか?
境田:うーん。それはなかなか難しい質問です。まず常用漢字(※01)は、「常用漢字表」の例示字形を参照します。そして、その表に載っていないいわゆる“表外字”(※02)は、2000年に発表された印刷標準字体(※03)を参照するんです。
坂倉:ええと……「常用漢字表」は内閣が“漢字を使う際の目安”として定めた表ですよね。印刷標準字体というのは?
境田:文部科学省が、印刷物に使う場合の基準として示している字体です。「表外漢字字体表」という表に載っています。
坂倉:漢字には2種類あるんですか?
境田:厳密に言えば、「常用漢字表」に入っている字、それ以外の表外字で「表外漢字字体表」に入っている字、どちらの表にも入っていない表外字の3種類でしょうか。
他に人名用漢字・JIS漢字などもありますが、字体の基準は主にこの区分が使われます。
坂倉:つまり、内閣や省庁が示した字体を基準にしていると。
境田:何も基準がない3番めについては、よく『康煕字典』が参考にされますね。
坂倉:おお、『康煕字典』!(第4回参照) 校正者も参照するんですか。
境田:いや、漢和辞典を確認することがほとんどです。漢和辞典は表外字について『康煕字典』の字体を正字としていることが多く、かつてはとくに『康煕字典』に忠実な『新字源』初版を使っていた校正者が多くいました。
しかし……実は、『康煕字典』にもけっこう矛盾が含まれているんです。
坂倉:基準なのに! それって困りませんか?
境田:そう、困ります。『康煕字典』は1716年に中国で最初に作られ、しばらくして日本に入ってくるんですが、もともとまちがいがあったり、日中両国で何回も作り直されているあいだに字体が変わってしまったところもある。
漢和辞典は、それを別の資料などで判断して、正しいと考える字体を載せているわけです。だから、私たち校正者はそれを信頼しています。
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坂倉:ということは、絶対に正しい字体というのは……。
境田:存在しませんね。場合によって、何が適しているかを考えなければなりません。
【Q,明朝体とは何ですか?】
坂倉:境田さんといえば、辞書だけでなくて印刷活字の見本帳(※04)も集めているとか。
境田:そういえば、これなんですけど、ちょうどここに日本でも草創期の活字見本帳が……。
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坂倉:おおっ、……境田さん、ストップ、ストップ。
境田:ああ、活字の話でしたね。そうなんです。日本の印刷物でおもに使われる「明朝体」の活字見本帳もあります。
坂倉:『新字源』も明朝体ですね。漢字といえば明朝体のイメージが。
境田:見出しの字が楷書体になっている漢字辞典もありますよ。小学校の教科書はより手書きに近い楷書体(教科書体)を採用しているので、なじみ深い書体に合わせたんでしょうね。小学生向けに多いです。
坂倉:明朝体や楷書体って、書体の一種ですよね。その中でも明朝体が印刷物に多く使われる理由は、どういうところにあるんでしょうか?
境田:明朝体のルーツは中国の宋の時代(10世紀)にさかのぼることができるんですが、その頃から木版印刷用の書体として使われていました。横線が細いため、画数が多くても、文字が小さくても読みやすいという特徴があり、たとえば「書」という字には横線がたくさんありますが、こういう字も明朝体なら読みやすいんですね。
その後、キリスト教を広めに来た欧米人が中国で金属活字を作りますが、アルファベットの印刷用書体も同じような特徴があってなじみ深かったのか、彼らがたくさんの明朝体活字を残したんです。
実は、明治時代の日本では楷書体や行書体などの活字も使われていたんです。しかしやはり印刷物に使いやすかったためか、明朝体が主流になりました。
坂倉:確かに今や明朝体ばかり。行書体で組まれた本だなんて、ちょっと見てみたいです。
境田:これなんかがそうですね。明治時代の字典です。
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新選活版 広益いろは字典
境田:コンピューター組版の登場で、たくさんフォントが使えるようになったりして、字体も書体もまだ進化の途中なんだと思いますよ。
【Q, 辞書によって字のかたちがちがう?】
坂倉:先ほど、漢和辞典が自分の判断で字体を決めるという話がありましたが、辞書によって字体が違うんですか?
境田:いろんな理由がありますが、ひとつはやっぱり『康煕字典』の矛盾をどう解消するかという方針の差。あとは、明朝体にもいろいろなフォントがあるので、その差もあるでしょうね。
坂倉:ふむふむ。
境田:それに、たとえば「しんにょう」や「くにがまえ」などの線が下にあったら、その上にある「はね」や「はらい」を止めるとか、書体にはそういったルールがあるんです。それをどう定めているかにもよります。
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坂倉:これは細かい! こういうことをきっちり見なければならないとすると、漢和辞典の校正は、やっぱり大変なんですか?
境田:はい、大変でした。似たような二つの字があるとして、それが別の漢字なのか、同じ字だけどデザインが違うだけなのか、書体のルール上の誤りがあるのか、そう簡単には判断できません。
書体のルールについても、それがきちんとすべての文字に適用されているか確認しなければなりません。国語辞典のような言葉の辞典は「やはり」「やっぱり」「やっぱし」「やっぱ」のような文字の組み合わせをチェックしますが、漢字は正方形の中のパーツが問題になります。
坂倉:いやはや、お世話になりました。
境田:漢字の世界は奥が深いです。でも深すぎて、“正しい漢字”を聞かれると、時には「読めればOK」と答えたくなったりも……。
坂倉:ええっ、じょ、冗談ですよね!?
境田:今でこそ正字にこだわるけれど、昔は俗字を使うほうが普通でした。さらに、戸籍の字はもともと手書きだったせいで、今でも不正確な俗字がたくさんあります。それなのに、わざわざそのとおりの活字を作らせたりするから、字が増えて混乱するばかりなんです。
坂倉:なるほど……。そう簡単な話ではないんですね。
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坂倉:というわけで、今回は校正者の境田稔信さんでした。
松谷:境田さんのコレクションといえば、国会図書館にもない資料を求め、研究者が調べものにやってくるぐらいのすごさ。図書購入費は多い時で年間250万円を超えはったとか。漢字を守り伝承していくために辞書を陰ながら支える、こういう人がまさに真のヒーローやね。
坂倉:いや、もう、辞書業界ではその名を知らぬ人がいないくらいです。改訂新版はそんな人にチェックしてもらえて幸運でした。
松谷:それも『角川新字源 改訂新版』の信頼性のひとつということやね!
次回予告
第6回「漢字博士に聞く漢字の歴史3000年!」
【注釈】
※01
内閣告示として1981年に定められた「常用漢字表」所収の漢字。2010年に改定されて2136字となった。「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すもの」であり、各種メディアでもおおむね漢字を使用する際の基準として用いられる。
※02
「常用漢字表」に載っていない漢字のこと。表の外にある字だから表外字。たとえ「表外漢字字体表」に載っていても表外字。表外漢字とも。
※03
2000年に文部省(当時)の国語審議会が答申した「表外漢字字体表」掲載の字体。印刷などにはたくさんの種類の漢字が使われていたため、表外字を使用する際の標準として発表された。
※04
活字業者や印刷所が、所有している字体や書体を顧客に向けて提示するサンプル集。コンピューターのフォントが一般的になる前は、印刷出版の際にそれを見て何が使えるかを確認していた。ちなみに、日本最初の見本は「活字の父」本木昌造の崎陽新塾製造活字目録(「新聞雑誌」第66号、明治5年)。境田さん所有のものは、その弟子にあたる平野富二の作った見本帳(明治11年)。
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