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連載

米澤穂信「落日孤影」 vol.3

【集中掲載】米澤穂信「落日孤影 前篇」 配下の武将の怪しい動きを耳にした村重は――。 堅城有岡城が舞台の本格ミステリ第四弾! 米澤穂信「落日孤影」#1-3

米澤穂信「落日孤影」

※本記事は連載小説です。

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 密談には広い部屋が向く──聞き耳を立てるのが難しいからだ。村重は十右衛門を、今回も大広間に通した。刻限も先日と同じ、夕闇が迫る頃であった。
 十右衛門は小袖に肩衣を重ねた平服である。板の間に坐し、両の拳をついて深く頭を下げて村重を迎える。村重はしとねに胡坐を組み、
「近く寄れ」
 と命じ、十右衛門がその下知に従うのを見届けて、
「聞こう」
 と言った。十右衛門は頭を垂れたまま、張りのある声で応える。
「は。御下命の件につき、言上つかまつりまする。かの日に本曲輪に鉄炮を持ち込んだ者は、一人もおりませぬ」
「……おらぬか」
「は」
 村重は顎をでた。
 有岡城の兵は、大別して二種類に分けられる。村重自身に仕える兵と、村重に仕える諸将の兵だ。むろん村重自身が最も多くの兵を率いているが、それでも城兵の半分を超えるほどではない。本曲輪の守りに就くのはもっぱら村重の兵だけで、例外は、抜群の技量を買われて要所に配される少数のさい衆だけである。
 また、兵は、村重に近く部将への栄達もあり得る御前衆から、もっぱら物運びに用いられるまるまで、さまざまな分際がある。本曲輪を守るのは御前衆と足軽であった。御前衆は自前の武具を持っているが、足軽どもが持つのはせいぜいなまくら刀程度で、必然、村重が鑓や弓、鎧、そして鉄炮を貸すことになる。それらを返すのは戦が終わった後だが、高価で数も少ない鉄炮だけは幾人かで使いまわすので、扱いが異なる。本曲輪の守りに就く足軽のうち鉄炮を任される者は、まず本曲輪内の鉄炮蔵に赴いて鉄炮を借り受ける。そして番役が済むと、鉄炮を蔵に戻してから本曲輪を出る決まりであった。
 一方、御前衆には自前の鉄炮を持つ者もいるし、雑賀衆は炮術が売り物である。また、軍議のため本曲輪に参集する諸将とその警固兵の中に鉄炮を持つ者がいても、別段見咎められることはない。有岡城は戦のただなかにあり、身辺から武具を離さないのは、むしろ良い心掛けと見なされる。しかし瓦林越中が死んだ日、本曲輪に鉄炮は持ち込まれなかったと十右衛門は言う。
「足軽どもは言うに及ばず。諸将や、その供の中に鉄炮を持つ者は一人もおらずと、橋を守った御前衆が口を揃えておりまする。かれらも上意討ちの御趣意は承知しており、諸将の物具には気を払ってござったゆえ、間違いはなきことかと。また、あの日は鑓をもって越中様を取り囲むはずが整っておりましたゆえ、御前衆にも鉄炮を持参いたしたる者はおりませぬ」
「雑賀の者どもは、いかに」
「雑賀衆が本曲輪にあっては騒乱を思い違いいたしかねぬと考え、それがしの一存にて、雑賀の者どもは登城に及ばずと前日に伝えてござりまする。言伝に従い、当日、雑賀衆は参じておりませぬ」
 少し間を置き、十右衛門が続ける。
「殿もご存じの通り、鉄炮蔵には錠が下り、番兵がついておりまする。当日の番兵は足軽にござれど、諸人の話を合わせて考えまするに務めはたいいたしおらず、蔵からひそかに鉄炮が持ち出されたと考えるのも難しゅうござりまする」
 鉄炮蔵にはもともと番兵がついていたが、夏に織田の手の者が煙硝蔵に放火を試みて以降、煙硝蔵、鉄炮蔵の守りはさらに厳重になっていた。足軽の中でも働きがよい者を特に選び、人数も増やしたのである。村重は頷いた。
「で、あろうな」
 あの日、鉄炮は一丁たりとも持ち込まれず、鉄炮蔵からひそかに持ち出されてもいないなら、越中を撃った鉄炮の出所は一つしかない、と村重は考える。
「足軽どもか」
「は。蔵で鉄炮を借り受けた鉄炮足軽が、何者かの下知を受け越中殿を撃った。……それがしも、はじめはそう考えましてござりまする」
 村重の眉がぴくりと動く。
「はじめは、と言ったか」
「御意。足軽どもの言い分をいちいち聞き、言に信が置けるか検めるため、他人の言い分と比べてござります。殿、あの日に本曲輪を守っておった鉄炮足軽は、互いに目を離しておりませぬ。そもそも本曲輪において、鉄炮足軽は二人一組でやぐらに置かれまする。互いの目を盗んで櫓を降りることは出来ず、まして越中様を撃つことなど思いも寄らぬこと」
「……」
「鉄炮を貸し出す蔵奉行は御前衆が務め、あやしきもの、役目でないものに鉄炮を貸すことはありませぬ。あの日鉄炮蔵から貸し出された鉄炮は一丁残らず、誰がどこで持っていたか、調べがついておりまする。越中様を撃った鉄炮は、足軽どもに貸し出されたものではござりませぬ」
 村重は、よく検めたのか、と一喝したい衝動を押し殺さなくてはならなかった。十右衛門はのうの士である。十右衛門が調べ、足軽どもは越中を撃っていないと言うのならば、そうなのだろう。
「本曲輪の外から狙い撃ったということも、まず考えられませぬ。玉は地にめり込んでいたという殿の仰せに照らせば、鉄炮放は上方から越中殿めがけて撃ち下ろしたことになりまするが、本曲輪を見下ろす場所は城内にござりませぬゆえ」
「おぬしの言い条はわかった」
 と、村重は言った。
「ほかに言うことがなければ、二つ訊こう」
「は」
 十右衛門は畏まり、頭を下げる。
「なんなりと」
「越中を狙った者は、何処いずこから鉄炮を放ったか。存念はあるか?」
 半身を起こし、十右衛門ははっきりと言った。
「ござります」
 すでに了見をまとめていたのだろう、十右衛門のことばにはよどみがなかった。
「越中様が斃れた場所と鉄炮が届く玉頃に、撃ち下ろしということを考えあわせれば、鉄炮放が潜みおりし場所は、三カ所のうちいずれかに絞られまする」
「ふむ。三つとは」
「天守二階、松の木の上、御屋敷の屋根」
 村重は、松の木というのは屋敷の前庭に植えられた松のことであろう、と察した。たしかにその木は狙い撃ちに向いていそうだが、まわりには茂みも何もなく、鉄炮放が隠れる場所はない。また、天守は軍議が行われる場所で人が詰めかけて逃げ場がなく、屋敷は死角が多いが、奥向きを始め常に人がいる場所でもある。十右衛門の言う三つの場所はどれも、なるほどそこならば狙い撃ちに良さそうだ、と思える場所ではない。だが十右衛門は、その三カ所のどこかから撃ったのだろうとは言わなかった。かれは、その三カ所に絞られると言ったのだ。ほかの場所からではどうしても狙えぬのだろう。
「聞いておこう。されば、二つ目を問う」
「は」
 村重の語気が、わずかに強まる。
「儂はおぬしに、越中を撃ったのは何者か突きとめよと命じた。おぬしの調べが行き届いておること、さらなる吟味には時がかかることも領解した。されど──儂の命はいまだ果たされてはおらぬぞ。十右衛門、おぬし、何ゆえに目通りを願い出たか」
 日を置いてわかったことを言上せよと命じられたわけでもないのに、十右衛門は調べの途上で村重に会うことを望んだ。そこには必ず理由がある、と村重は見た。途端、十右衛門がひれ伏す。
けいがん、恐れ入りましてござりまする」
「なんぞあったか」
「は。御下命についてまずは言上申し上げるべきと考え、つい、後先を誤ってござりまする。それがし、殿のお察しの通り、急ぎ申し上げるべきことありて参上仕った次第」
 十右衛門ほどの者が、つい誤ったというのは頷けないことであった。先には言いかねることであったのだろうと察しつつ、村重は言う。
「聞こう」
「は。城内を巡るうち耳に入った風聞によれば」
 欄間から垣間見える空が血のように赤い。十右衛門は言った。
「中西新八郎様にあやしき振る舞い、これあり」

 翌日の評定も、やはり諸将は毛利を詰るばかりで、これという考えは出ない。もとより評定は思案を束ねるためというより、謀叛の芽を早期に見つけるために村重が諸将の顔を見るための場である。かんかんがくがく、異見のための異見を聞き流しながら村重は目を閉じ、昨日の郡十右衛門の言い条について考えていた。
 唾を飛ばし合っていた諸将が、それに飽いたように口を閉じる。図ったような静けさが天守に下りたその折、村重は目を開き、言った。
「中西新八郎」
 突然名を呼ばれ面食らった様子だったが、新八郎はすぐ、野太い声で応じた。
「はっ!」
 その顔には、抑えきれぬ昂奮が表れている。村重はしばらくその顔と、油断なく具足を身に着けた様相を見て、そして言った。
「おぬし、たきがわこんから酒を受け取ったそうじゃな」
「おお、そのことにござりまするか」
 新八郎はももたたいて笑う。
「は。たしかに。左近家中のなにがしと申す者が、陣中見舞いと称して持参してござった」
「返礼も送ったと聞く」
「まさに。いや、さすがは殿、お耳が早い」
 機嫌よく言って、新八郎は得意げに諸将を見まわす。
「酒はそれがしと、じようろうづか砦の四将とで玩味いたし申した。さすがは織田の上将、なかなかの美酒を寄越したが、それがしの口にはやはり伊丹の水が合いまするな」
 そう言って新八郎はからからと、心地よげに高笑した。だがその声も、新八郎が村重の眼光に気づくや、日に当たった雪のように消尽する。
 村重の眼光には、秋水の冷たさがあった。
「おぬし、それでよいと思うておるのか」
 村重の声音もまた、常とは異なる。新八郎は、何のことか皆目わからぬといったていである。
「と仰せあるは……」
「儂のあずかり知らぬところで他家と書状を交わすは、軍法に反する。進物の取り交わしなど、言うに及ばぬ」
 目を丸くし、新八郎は大口を開けた。
「こ、これはしたり」
 そして猛然と食ってかかる。
「何を仰せかと思えば、これは思いもかけぬことを。上﨟塚砦はそれがしが殿より預かりしものにござる。何事もそれがしが差配すべきと思うておったに、一たるの酒でかようなお叱りを受けようとは」
「控えよ!」
 と村重が一喝する。
「一城を預かる大将ですら、取次も通さず他家とり取りをいたさば、すなわち謀叛じゃ。わずかに砦一つ預かる分際で大言いたすな!」
 村重のしんに押され、新八郎は坐したまま後ずさりするかに見えた。がばりと平伏し、
「は、これは……それがしはそのような……」
 と、狼狽をあらわにする。村重はここで、諸将の顔をさっと見まわす。
 その刹那、村重は背に冷水を注がれたようなおぞけを覚えた。
 軍議に参じた部将らは皆、当惑もあらわに、納得がいかぬというような──言うなれば、きつねにつままれたような顔をしていた。ふだん口数の少ない村重が、いきなり道理の通らぬことを言い出したとでも言いたげな、どこか白けた顔がずらりと並んでいる。
 新八郎は言う。
「されど殿、進物に返礼いたすは当然にて……荒木はりんしよくあざけられては無念にござるゆえ」
 上﨟塚砦の守将に任じてよりこの方、新八郎は癖のある足軽大将らをまとめ上げ、織田を砦に近づかせなかった。織田がとおぜめを選び、砦に攻めかかってこなかったためとはいえ、大過なく守りを固めてきた新八郎の力量は決して低いものではない。だが、将としての広い目配りは、まるでなっていない。かんならこのような間の抜けた返答はするまい、と、村重はらちもない怒りにかられた。
「たわけが。おぬし、滝川に何を送った」
「は、それは……すずきにござる」
 鱸は姿も美しく、古来、最も品位の高いうみうおと称えられてきた。夏の魚である。
 昨日十右衛門は、新八郎の返礼が鱸であったことも村重に告げていた。十右衛門がいかに万事にそつのない男であろうとも、他人が他人に宛てた返礼の品まで調べ上げたとは思えない。新八郎自身が、鱸を滝川に送ったと相手を問わず吹聴していたのだろう。
 村重は声を荒らげる。
「何たる不覚か。新八郎、おぬしその鱸を、どこから手に入れた」
 新八郎は、何を訊かれたかわからぬといった顔をした。構わず、村重は畳みかける。
「織田に四方を囲まれたこの有岡で、鱸がれるはずはない。闇商いであろうが!」
 有岡城以上に重く囲まれた大坂本願寺ですら、織田の雑兵が米や雑具を売ってひそかに小銭に換えているといううわさが絶えない。有岡城のどこかで商いが行われているとしても、不思議はなかった。
「さようなこともあろうかと存じまするが、足軽大将どもが持って参ったものゆえ、それがしにはわかり申さぬ」
 そして新八郎は、たどたどしく弁解した。
「殿、それがし合点がいき申さぬ。四方手を尽くして糧を求むることは良き戦陣の心得と、お褒めもあろうかと思うておりましたものを」
 新八郎のことばを聞いて、何人かが頷いたことに村重は気づいた。兵粮が尽きれば草をも煮て、石をもめて腹の虫をごまかすのが戦陣である。鱸を手に入れたことは才覚でこそあれ、責められるいわれはない……将らのそんな戸惑いを、村重は鋭敏に感じ取る。そうした気配を村重は、
「糧を求めることを責めてなどおらぬわ」
 と一蹴した。
「返礼に鱸を送られた滝川は何を思うか。滝川左近は織田きっての知将じゃ、伊丹では鱸が釣れるとは考えぬぞ。必ず、有岡にものを運び入れる商いがあると考える。往来を塞ぐか、商いに紛れて間者を忍ばせてくるか、あとは滝川の思いのままよ。おぬしは織田に、有岡城にはこれこのような隙があると手を取って教えたようなものじゃ。かようなことがあるゆえ、他家との音信は取次を通せと定めてあると知れ。新八郎、罪は軽くないぞ」
 軍議の場は、しわぶきひとつなく静まり返る。
 村重には焦りがあった。当人の新八郎はさすがにしようぜんとしているが、諸将は新八郎の非を悟る風もなく、なにゆえのけんせきに落ちぬという顔をする者ばかりである。もとより、軍議という場で新八郎を責めたのは、一罰をもつて百戒に代えるためである。だが村重のことばは諸将に届かず、強いて作った怒りは宙に浮いている。しかし焦りを表に出すことはしなかった。村重の様子は常と同じく、泰然自若としていた。
 まさに、と村重は思う。池田筑後守勝正を放逐する直前の、池田家中の気運そのままではないか。

#1-4へつづく
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