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連載

椰月美智子「ミラーワールド」 vol.32

【連載小説】俊太くんに事件のことを話したい。でも、あんなこと話せない。椰月美智子「ミラーワールド」#4-8

椰月美智子「ミラーワールド」

※本記事は連載小説です。

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「あー、なんか落ち着くわ」
「そ、そう?」
「広々してていいなあ」
 ドアがノックされて、お父さんがおやつとジュースを持って入ってきた。
「俊太くん、蓮と仲良くしてくれてありがとうね。俊太くんのお父さんとは、PTAで一緒なんだよ」
 お父さんが言い、俊太くんがそうですか、と答えた。
「今日、シュークリーム作ったんだ。よかったら食べてみて。俊太くん、ゆっくりしていってね」
「はい、ありがとうございます」
 お父さんが下に降りて行くと、うまそー、と俊太くんは言い、お父さんが作ったシュークリームを丸ごと口に入れた。うまっ、と言ったあと、ほぶっ、と音がして、俊太くんの口の端からカスタードクリームが垂れた。ぼくがボックスティッシュを滑らせると、一枚抜き取って慌てて拭った。
「欲張っちゃったぜー、参ったぜー」
 照れたふうに言う俊太くんがおかしくて、二人で笑った。それから、漫画のことやYouTubeのことやゲームのことなんかをいろいろと話した。その途中、ぼくは何度も何度もこれは夢じゃないだろうかと思った。ぼくの部屋に俊太くんがいるなんて、こんなことが実際にあるのだろうかと。
「なあ、内緒の話聞いてくれるか? 蓮にだけ言うけどさ」
「うん」
「うちのお母さんって教師なんだけど、新人の男性教師をいじめてたんだってさ。ありえなくね? ニュースやワイドショーだけの出来事かと思ってたら、まさかの家族が加害者だよ。マジ神経疑うわ」
 俊太くんは、俊太くんのお母さんやお父さんや離婚のことをたくさん話してくれた。話しにくいことだと思うのに、俊太くんは堂々と冷静に、ときには笑いを交えてぼくに話してくれた。
「俊太くんは、そういうところからジェンダーバイアスについて考えたんだね」
 ぼくが言うと、「やっぱ、蓮はわかってる!」とぼくの肩をバシッと叩いて、ものすごくうれしそうな顔をした。ぼくのほうがうれしい。
「今さ、いやな事件が多いじゃん。女が男に命令して、中高生男子を襲わせるってやつ」
 手足が一気に冷えた。次の瞬間、今度はどおっ、と熱くなって汗が額から噴き出てきた。ぼくはかろうじてうなずいた。
「ワイドショーの報道なんかでさ、男が襲われるのは、女を刺激するような恰好をしてるから悪いとか、男に隙があったんじゃないかとか、男のほうが誘ったんじゃないかとか言う、頭のおかしいババアたちがいるじゃん? おれ、ああいうのほんとにムカつく。問題をすり替えるんじゃねえ! って声を大にして言いたい」
「……うん」
 ぼくはなんとかうなずいた。俊太くんの前ではどんなことがあろうとも、ぼくは絶対に天井付近に浮くことはない。ぼくはぼくのなかで、じっと息をひそめていた。心臓だけがばくばくと音を立てている。
「被害者に落ち度なんてないんだ。たとえ、男の子が裸で寝転んでたって関係ない。襲った側が百パーセント悪いんだ」
 俊太くんはぼくの事件のことを知っているに違いないと思った。今ここで、事件のことを俊太くんに打ち明けたほうがいいだろうか。俊太くんは、親の離婚のことをぜんぶぼくに話してくれたじゃないか。ぼくだって、俊太くんに事件のことを話したい。ぼくの気持ちを聞いてもらいたい。いや、でも、あんなこと話せない。引かれるに決まってる。嫌われるに決まってる。話したくない。いや、でも話したい。ううん、話したくない……。
「あ、あの、俊太くん! ぼく……」
「なあ、蓮」
 俊太くんがぼくの話をさえぎるように手をあげた。
「おれの理想の未来はさ、男が好きな恰好をして夜道をたのしく歩ける世の中になることなんだ。男がビキニパンツ一枚でも、怖がらずにビクビクしないで夜道を歩ける世界。どう? それこそが正しい世界じゃね?」
 鼻の奥がつんとして目頭がじわっと熱くなった。ぼくは慌てて瞬きをしてごまかした。
「……ぼく、俊太くんと同じ原杉中に通いたいから……転校しないんだ」
 ぼくの口から、勝手にそんな言葉が出てきた。
「えっ、転校の話があったの?」
 小さくうなずいたら、涙がこぼれた。一つこぼれたら、次々と落ちてきた。
「……ぼくは転校……しないんだ……」
 やばい、涙が止まらない。恥ずかしすぎる。どうしよう、どうしたらいいんだ。頭では冷静にそう思っているのに、涙は勝手に流れ出た。
 転校の話をするつもりなんてなかった。恩着せがましいし、それにこれじゃあまるで、事件に遭ったことを告白しているみたいじゃないか。
「蓮が転校しないでくれて、おれ、うれしいよ」
「……ごめんね……、こんな……泣くつもりなんて……なかったんだけど……」
「なあ、蓮。おれ思うんだけど、蓮はいつだって正しいよ。蓮は正しいんだから、その他が間違ってるってことだ。なにがあったとしても、蓮はひとつも悪くないんだ。堂々としてていいんだ。蓮は正しいんだ。それが正解なんだ」
 ぼくは泣きながらうなずいた。俊太くんはぼくの味方だ。そう確信できた。
 ありがとう、俊太くん。どうもありがとう。きっと俊太くんは、ぜんぶわかってるんだ。ぜんぶ知ってて、その上でぼくが正しいって言ってくれているのだ。

「おや、もう帰るの? 夕飯を食べて行ったらどうだい?」
 下に降りていくと、キッチンからお父さんに声をかけられた。
「いえ、帰ります。お邪魔しました」
「じゃあ、シュークリーム持ってって。たくさんあるからね。ちょっと待ってて」
 お父さんがケーキ屋さんでもらうみたいな箱を持ってきて、俊太くんに渡した。
「よかったら、ご家族皆さんで食べてね」
 俊太くんは、ありがとうございますと言って受け取った。
 ぼくは通りの角まで送っていった。夕暮れ時。西の空がオレンジ色に染まり、まだ昼間の続きをしたい東の青空とのグラデーションが美しかった。
「俊太くん、今日はどうもありがとう。来てくれてうれしかった、すごく」
「うん、おれも。また遊ぼうぜ」
 俊太くんが手を振って、ぼくも手を振った。
「じゃあ、また明日な」
 俊太くんが振り返って笑うたびに、ぼくの胸は震えて、また泣きたくなった。

「俊太くん、礼儀正しくていい子だね」
 家に戻ると、待ち構えてたようにお父さんが言い、ぼくはうなずいた。
「蓮、大事な話があるんだ」
 お父さんの真剣な表情に、ぼくは足を止めた。
「近頃、不審者情報が多かっただろ?」
 不審者の目撃情報がいくつかあり、ぼくが遭遇したような事件が市内近郊で発生したという話を耳にしたことがあった。
「容疑者が捕まった」
「えっ」
「自白している件もあるみたいだけど、名乗り出ている被害者が少ないから立件できないらしい。お母さんには言うなって止められてたんだけど、お父さんは蓮に伝えたほうがいいと思ったんだ」
 ぼくはお父さんを見つめた。お父さんの瞳は細かく揺れていた。
 さっき俊太くんは、ぼくのことを正しいと言った。ひとつも悪くないと。堂々としていればいいと。そうだ、俊太くんの言う通りだ。ぼくはなにも悪くない。なんにも悪くないんだ。なんで、なにも悪くないぼくがおびえていなくちゃならないんだ。堂々としてていいに決まってる。悪いのは犯人だ。
 胸の奥底からなにかがわき上がってくる。力強くてきれいな光の粒たち。
「お父さん、あのときのぼくの服、とっておいてあるんだよね?」
「あ、ああ、よく知ってたな。うん、ちゃんととってあるよ」
「ぼく、警察に行くよ」
 お父さんが驚いた顔でぼくを見る。
「ちょ、ちょっと待って。よく考え……」
「警察に行く。あの日のことをぜんぶ話す。ぼくは悪くない」
 うっ、という音がして、お父さんが喉を押さえた。今度こそお父さんは泣いていた。えつをもらして、しゃくり上げるように泣いていた。ぼくは、お父さんが泣いているところをはじめて見た。
「……ごめん、泣いてる場合じゃないよな……蓮、わかった。うん、警察に行こう……。警察に……ううっ……」
「ぼくは大丈夫だよ」
「うんうん、蓮は大丈夫だ……」
 ぼくはなにも悪くない。ぼくはもう泣かない。天井付近に漂ったりもしない。ぼくはなにひとつ間違っていない。ぼくは正しい。ぼくはちゃんとここにいる。

▶#5-1へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第208号 2021年3月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第208号 2021年3月号


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