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連載

万葉集に、親しもう。

新元号「令和」決定記念試し読み!④ 『万葉集』は、なぜ1200年も日本人を魅了し続けるのか?

万葉集に、親しもう。

『万葉集』が編纂されて1200年以上の時がたちました。
その間、この作品は時代によって、読む人によって、さまざまな受け取られ方をしてきました。

紫式部、藤原定家、源実朝、賀茂真淵……先人たちはいったいどのように『万葉集』を読んだのでしょうか?

『万葉集』の読み方に現われる日本人のこころの歴史をたどり、万葉集の魅力に迫る『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』(小川靖彦著)から「はじめに」を試し読み!


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はじめに


 現存する日本最古の歌集『万葉集』は八世紀の末に成立しました。それから今日まで、約千二百年の長きにわたって『万葉集』は読み継がれてきました。今、私たちが『万葉集』を読めるのは、この長い歴史があったからにほかなりません。

 今日では名も伝わらない多くの人々が『万葉集』の書写に携わりました。また歌人や連歌師、そして学者たちが研究に取り組みました。その周辺には『万葉集』を愛好する人々がいました。日本人が『万葉集』に寄せてきた思いの深さを考えると改めて感動を覚えます。『万葉集』はそれほどまでに魅力的な歌集であり続けてきたのです。

 しかし、『万葉集』の読み方は時代とともに大きく変化しています。十二世紀後半から十三世紀の前半、平安時代末期から鎌倉時代前期を生きた歌人の藤原定家ていかも『万葉集』を愛好し尊重していた一人です。定家が晩年に編んだ秀歌撰『百人一首』(後の時代の百人一首と区別して「小倉百人一首」とも言います)には万葉歌人の歌が五首選ばれています。

秋の田の 仮庵かりほいほの とまをあらみ わが衣手ころもでは つゆに濡れつつ
天智天皇 
〔(訳)秋の田のほとりの仮小屋の苫〈すげかやなどを編んで屋根をいたもの〉の目が粗いので、私の袖は露に濡れてゆくばかり……。〕

春過ぎて 夏来にけらし 白妙しろたへの ころもすてふ あま香具山かぐやま
持統天皇 
〔(訳)春が過ぎて夏が来たらしい。夏が来ると純白の衣を干すという天の香具山なのだから(今白妙の衣が干されているよ)。〕

あしびきの 山鳥やまどりの しだり尾の 長々ながながを ひとりかも寝む
柿本かきのもとの人麿ひとまろ 
〔(訳)(あしびきの)山鳥の尾の、その長く垂れ下がった尾のように、長い長い秋の夜をひとりで寝るのだろうか。〕

田子たごうらに うちでて見れば 白妙しろたへの 富士の高嶺たかねに 雪は降りつつ
山辺やまのべの赤人あかひと 
〔(訳)田子の浦の眺望のきくところに出て仰ぎ見ると、純白の布のように白く高大な富士山に、雪は今もしきりに降り続いている。〕

かささぎの 渡せる橋に 置くしもの 白きを見れば 夜ぞ更けにける
中納言ちゅうなごん家持やかもち 
〔(訳)かささぎが翼を連ねて渡した橋の上に降りている霜の白さを見ると、夜もすっかり更けたことであるよ。〕

 持統天皇の歌や山部赤人(平安時代には「山辺赤人」というのが一般的でした)の歌は、現代でも秀歌とされています。しかし、今日私たちが読んでいる『万葉集』とは歌句が微妙に違っています。持統天皇の歌と山部赤人の歌は、今日では、それぞれ次のようになっています。違うところに傍線を引きました。

春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天(あめ)の香具山
(巻一・二八)
〔(訳)今、春が過ぎて夏が来ているに違いない。まっ白な衣を干したよ。天の香具山は。〕

田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
(巻三・三一八)
〔(訳)田子の浦を通って広々としたところへ出て仰ぎ見ると、なんとまっ白に、高大な富士山に、あの消えることがないという雪は降り積もっているよ。〕

 また『万葉集』では作者未詳とされている歌が、天智天皇や柿本人麻呂(平安時代では「柿本人麿」「柿本人丸」という書き方が一般的です)の歌として挙げられていたり、そもそも『万葉集』に入っていない歌が大伴家持の歌として選ばれたりもしています。

 これは定家の〝誤読〟や〝誤解〟によるもの、ということではないようです。むしろ定家は現代の私たちとは異なる〈人麻呂らしさ〉〈家持らしさ〉、さらには〈万葉集らしさ〉を感じて、意識的にこれらの歌句や歌を選び取ったと思われます。第四章で改めて詳しく述べるように、これらの五首からは、自分自身の歴史意識と美意識に基づいて定家が思い描いた〈古代〉像が浮かび上がってきます。定家は『新古今和歌集』において結実する新風和歌の起源を『万葉集』に見ようとしました。定家の〈古代〉像は定家の生きた時代の思想や文化に深く根ざしています。

『万葉集』は時代によって人々の心に映る姿を変えながら、読み継がれてきたのです。裏を返せば、『万葉集』はその時代の人々の心を映し出す鏡であると言えます。この本では、『万葉集』の千二百年を通じて、日本人の心の歴史を見つめます。そして、『万葉集』が日本人を魅了し続けた理由に迫りたいと思います。

 その上で、私たちの時代にふさわしい『万葉集』の読み方について考えたいと思っています。今日『万葉集』は多くの言語に訳され、世界の人々がその魅力に触れ始めています。

 日本文学を海外に広く紹介したドナルド・キーン氏は、コロンビア大学の、英訳で日本の古典文学を読む授業で学生たちが皆『万葉集』に感心したことを紹介しています。『万葉集』の歌のテーマは普遍的なものばかりで、詩に興味ある人で『万葉集』に興味を持たない人は想像できないと一九五八年に述べています(「海外の万葉集」)。また詩的情趣に富む英語に『万葉集』を訳したリービ英雄氏は、『万葉集』は「古典」や「伝統」であるというよりも、新鮮なことばの魅力に満ちた「世界文学」と捉えています(『英語でよむ万葉集』)。

『万葉集』を通じて世界の文学や文化に貢献してゆく──そのような読み方が現代の私たちには求められているように思います。

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この機会に『万葉集』を学びなおすなら、ぜひ小川靖彦先生の『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』本編をどうぞ!

書誌情報はこちら≫小川 靖彦『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』


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