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連載

加藤実秋「メゾン・ド・ポリス」 vol.4

新人女性刑事のお仕事小説かつ、最強の「おじキュン」小説! 加藤実秋『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』#4

加藤実秋「メゾン・ド・ポリス」

加藤実秋さんの大人気警察小説シリーズ最新作、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』が、5月22日(金)に発売されます。
老眼、腰痛、高血圧。でも捜査の腕は超一流のおじさん軍団×新人女性刑事が追うのは、12年前の〈未解決〉名医殺害事件! さらに本作では、退職刑事のシェアハウスの誕生秘話も明らかに!? 刊行に先駆けて、第一話をカドブンで特別公開します!(こちらは「カドブンノベル」2020年4月号に掲載時の内容になります)
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 翌日、午前十一時。ひよりは迫田、惣一郎と青天社にいた。昨夜、迫田に電話をしたところ「もう一度橘さんと話せ。女同士なら、もっと突っ込んだ話が聞けるかもしれねえ」と言われた。
 そこで橘さんに電話をすると、「ストーカーの犯人に心当たりはない」「無言電話や迷惑メール、怪文書などの被害はない」とのことだったが、追加で「今、付き合っている男性はいない」「アパートに侵入される三日前に、会社の自分の席に置いていたバッグをあさられたような形跡があった」という情報が得られた。再度迫田に電話をし、橘さんの話を伝えた結果、「青天社に行こう」となった。
 青天社は社員数九名。十坪ほどのオフィスにパソコンと電話が載った机と椅子、棚、デジタル複合機などが並び、壁には会社が手がけたイベントのポスターが貼られている。社長を除く八名のうちの四名がイベントの企画・運営を行う制作部で、橘さんもその一人だ。
 まず橘さんの席を見せてもらった。壁際で、向かい合って四卓置かれた事務机の左側の奧。突き当たりの窓の前には一回り大きな机があり、社長の席だそうだ。
「バッグはいつもここに置いているんですね? 漁られた日も同じ?」
 気を遣って「漁られた」は小声で言い、ひよりは机の脇に立って橘さんの黒革のトートバッグを見た。机にセットされた布張りの椅子の座面に置かれている。制作部の他の三名と社長は打ち合わせのため外出中で席も空いているが、他部署の社員は席について仕事中だ。だが橘さんに周りを気にする様子はなく、はきはきと答えた。
「ええ。同僚とランチに行って、戻ってバッグを開けて気がついたんです。ポケットに入れてるキーケースの向きが逆になってて、右端が定位置の化粧ポーチが真ん中に動いていました」
「なくなったり、壊されたりしたものは?」
 迫田が訊ねる。椅子を挟み、ひよりと反対側に立ってバッグを見ている。その隣の惣一郎は、オフィス内に視線を巡らせていた。
「いいえ。お財布やスマホは、近所に出かける時用のミニトートに入れていたから無事でした。でも絶対に漁られたんです。バッグの中身はいつも同じだし、何をどこに入れるかも決めているから」
 後半はムキになって橘さんが言う。バッグの件も警察には話したそうだが、その時盗難などの被害がなかったことで、不本意な対応をされたのだろう。なだめるつもりで頷き、ひよりは返した。
「わかります。『これはこの位置じゃなきゃダメ』って、ありますよね。私も同じです」
「橘さんがランチに出た時、オフィスに誰がいたか覚えていますか?」
 顔をこちらに戻し、惣一郎が問うた。橘さんが首を横に振る。
「何人かはいたと思いますけど。でも、うちの会社は業者さんとかの出入りが激しいし、他のフロアには歯医者さんとか消費者金融とかが入っています。玄関もオートロックじゃないし」
 犯行は外部の人間によるもので同僚じゃない、と言いたいのね。でも、外部の人間にも犯人に思い当たるような人物はいない、と。心の中で呟き、ひよりは隣を見た。迫田は橘さんに犯行時にバッグに入っていたものを訊いてメモを取り、惣一郎はまたオフィス内を眺めている。
 ひより、迫田、惣一郎で手分けをして、在席していた営業の男性二名と、事務兼経理の女性一名から話を聞いた。ひよりの担当は事務兼経理の女性で、橘さんは「仕事熱心で優秀」「サバサバした性格で付き合いやすい」そうだ。一方でストーカー犯には、「心当たりがない」「バッグの事件の日も怪しい人物を見た記憶はない」と首を傾げた。
 オフィスの隅で、迫田たちと聞いた話を報告し合った。男性二名の返答も女性と似たようなものだった。橘さんの席に戻りバッグや椅子、机の写真を撮らせてもらっていると、出入口の方でどやどやという気配があった。振り向くと、男女のグループが壁際にある通路をこちらに歩いて来る。
「打ち合わせが終わったみたいです……ふかさん。今朝話した刑事さんです」
 橘さんがグループの先頭の女性に歩み寄り、こちらを示した。女性は四十代後半。小柄小太りで、たっぷりしたブラウスにスラックスという恰好だ。
「柳町北署の牧野です」
 まずひよりが告げ、警察手帳を見せる。続いて迫田が進み出た。
「どうも。深谷しゆうさんですよね? その節はお世話になりました」
「ああ、刑事さん。お久しぶりです」
 迷わず、深谷さんは一礼した。笑顔になり、迫田はさらに言った。
「私を覚えていましたか。もう元刑事ですよ」
「覚えていますよ。だって『何度も話を聞きに来て申し訳ない』って、たこ焼きを差し入れて下さったでしょ? あれ嬉しかったから」
 深谷さんも笑顔になって返した。体同様、顔のパーツも丸い。
「橘さんに聞きましたけど、今はこちらの社長さんですって? すごいじゃないですか。あの頃からバリバリ働かれてましたもんね」
「とんでもない。社員九名の零細企業ですから……ところで、橘の方はいかがですか?」
 後半は深刻な表情になり、深谷さんは傍らの橘さんに目をやった。
「ストーカーの件は社長にも相談しています。昨日の防犯ブザーや催涙ガスをくれたのは、社長なんです」
 こちらを見て橘さんが言う。深谷さんもさらに言った。
「そんなことしかできなくて。でも、刑事さんが来てくれたなら安心ね。ボディガードを付けてもダメだったし、『警察がダメなら探偵や警備会社に相談したら?』って話していたんです」
「ボディガード?」
 迫田の問いに、「あ、僕です」という返事があり、深谷さんたちの後ろに立っていた男女のグループから男性が進み出た。歳は二十代後半。流行の毛束感を出したツーブロックヘアの、太い眉が印象的なイケメン。すらりとした体を包むのは、これまた流行のジャケットの裾が長めのクラシックなラインのスーツだ。
「制作部の後輩のえんどうまさひろくんです」
 橘さんが紹介し、遠藤さんはひよりたちに会釈をした。橘さんは続けた。
「ストーキングが始まってすぐに深谷さんが、『遠藤くんに送ってもらったら?』って言ってくれて、彼も引き受けてくれたんです。十日ぐらい毎晩会社から家まで送ってもらったんですけど、そういう時は尾行されないし、じっと見られてる感じもしませんでした。で、一人に戻ったとたん再開して」
「それはやめた方がいいですね。犯人が男性だった場合、男性と一緒のところを見せると逆上して、ストーカー行為がひどくなる恐れがあります」
 とくに一緒にいるのがこんなイケメンだったら、犯人に挑発と受け取られても仕方がないわ。心の中で付け足し、ひよりは遠藤さんを見た。
「確かにそうですね。とにかくなんでも協力するので、早く犯人を捕まえて下さい。この子はうちのホープなんです……必要なら、休んだり早退したりしていいからね」
 深谷さんは最後は橘さんに告げ、励ますように背中に手を回した。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 前半は深谷さん、後半はひよりたちに向かって言い、橘さんは深々と頭を下げた。張り詰めていた表情が少し緩んだように感じられた。

 かがめていた体を起こし、藤堂がこちらを振り返った。いつものメガネの上にメガネ式のルーペをかけている。ルーペのレンズは顕微鏡に使われているものと似ていて、脇には小型だが強く発光するライトも取り付けられている。その光に直撃され、藤堂の後ろにいた迫田は、
「おい!」
 と顔をしかめ、横を向いた。
「失敬失敬」
 藤堂は笑い、白手袋をはめた手でライトを消してルーペを外した。迫田の隣で、ひよりは問うた。
「どうですか?」
「署の見立ては正しいね。カギをこじ開けた形跡はない。ついでに、指紋も橘さんのものだけだよ。多分室内からも、橘さんの指紋以外は検出されないだろうね」
 視線を後ろの深緑色のドアに戻し、藤堂は答えた。白衣姿でドアの前に膝を折って座り、足下には鑑識の道具が詰まったジュラルミンケースが蓋を開けた状態で置かれている。
 指紋を採取するために振り掛けられたアルミニウムの粉がまだ少し残っているドアノブに目をやり、ひよりは言った。
「そうですか。指紋はストーカーが手袋をしていたんでしょうけど、じゃあどうやって侵入したんでしょうね。室内の窓も施錠されていたようですし」
「バッグを漁られた件と併せて、考えられる可能性は一つだな」
 話しだした迫田だったが、コンビニの袋を下げた若いサラリーマンが廊下を近づいて来たので口をつぐんだ。ドアの前に身をかがめ自分に会釈をするひよりたちに、サラリーマンは怪訝そうな顔で会釈を返し、廊下の先に進んだ。
 あのあと青天社で、打ち合わせから戻った社員から話を聞いた。結果、橘さんの雇い主である深谷さんと上司のさんという男性は橘さんについて、「真面目で仕事に熱意を持っている」「勤務態度には問題なし」と語り、後輩に当たる遠藤さんとじまさんという女性は、「はっきりものを言うけど面倒見もよく、頼もしい先輩」「言動にブレと裏表がなくてカッコいい」とコメント。ストーカーについては双方、「思い当たる人物はいない」とのことだった。ひよりは考え、橘さんに「自宅を見せて欲しい。鑑識のプロがいるので、手がかりが得られるかも」と申し出た。その後、藤堂に出動依頼をして橘さんの退社を待ち、みんなでこのアパートにやって来た。
「すみません。いいですか?」
 ドアの向こうから、くぐもった声がした。ひよりが「はい」と答えると、ドアが開いて橘さんが顔を出した。
「なにかわかりましたか?」
「とくには」
「そうですか。でも気のせいとかじゃなく、本当に侵入されたんです」
 勢いよくしやべりだした橘さんを迫田が「続きは中で」と止め、みんなで室内に戻った。
 広めのワンルームで、玄関から上がってすぐのところにバスルームのドアがあり、反対側は小さなキッチンだ。キッチンの向かいに白いテーブルと椅子が二脚置かれ、奥にベッドとテレビを載せた棚、クローゼットのドアがあり、突き当たりがベランダに通じる掃き出し窓、というつくりだ。掃き出し窓には厚い遮光カーテンが引かれていた。
「本当に侵入されて、なにも盗られてないけど揃えて脱いだはずのスリッパが乱れていたり、テーブルに置いたものの位置が変わったりしていました」
 ひよりに促されて椅子に座りながら、橘さんが話の続きをする。向かいの椅子では、黒いニットベストを着た伊達が居眠りをしている。まだ午後八時前だが、高平には「伊達さんはなるべく早く帰して下さい。本来、門限は九時なんですよ」と言われている。女子高生のようだ。
「わかりました。藤堂さん。さっき橘さんのバッグと中身の指紋も、調べてくれたんですよね?」
 振り返って後ろに身を乗り出し訊ねた。藤堂は玄関の三和土のところでかがみ込み、ドアの内側を調べている。
「うん。でも収穫なしだよ。バッグとキーケースは革製、化粧ポーチはナイロン製で指紋が付着しにくく、してもすぐに消えてしまうんだ。これがガラスやビニールなら二、三カ月、紙なら保存状態にもよるけど、十年以上経っても指紋を検出できるんだけどね」
「そうですか。橘さん。昨日ストーカーの足音や人影は何度も確認しているとおっしゃっていましたが、動画か写真は撮っていませんか?」
 テーブルに向き直り、ひよりは訊ねた。隣には迫田が立ち、惣一郎はカーテンを少し開けて窓の外を窺っていた。
「どちらもないです。すぐに逃げちゃうし、怖くてそれどころじゃないから」
 視線を落として硬い声で橘さんは答えた。自宅でも仕事をしているらしく、テーブルの上にはノートパソコンと書類、文房具が載っている。
「動画と写真は相談した警察の人にも言われました。『相手の姿を確認しない限り、動けない』とも。それってストーカーは私のウソか妄想だと疑ってる、ってことですよね?」
 そう続け、橘さんは責めるような目でひよりを見上げた。
「そんなことはありません。ただ犯人を特定したり推測したりする材料が皆無だと、捜査をするのは難しいです」
「いや。『皆無』じゃねえぞ」
 そう言われ、ひよりは迫田を見た。橘さんも視線を動かす。
「バッグを漁られた件だが、犯人の目的はこの部屋のカギだったんじゃねえか? 持ち出して合カギを作って、バッグに戻した。で、その合カギを使ってここに侵入したんだ。調べたら、青天社から歩いて十分もかからねえところにカギ店があった。最近の機械なら、合いカギを作るのにそう時間はかからねえはずだ。だろ、藤堂?」
 ひよりと同じように身を乗り出し、迫田が問う。さっき廊下で話そうとしたのはこのことだろう。振り返って、藤堂は答えた。
「Exactly. さっき確認させてもらったけど、この部屋のカギは最もポピュラーで構造もシンプルなディスクシリンダーキー。最短五分で合いカギを作れるよ。でもカギがシンプルってことはカギ穴も同じだから、カギがなくても開けやすいってことになる。事実最もピッキングなどの被害に遭いやすく、防犯性がぜいじやくなのが──」
「な? 五分で作れるなら、昼休み中の犯行は十分可能だ」
 藤堂のうんちくを遮り、迫田がこちらに向き直った。合いカギの可能性はひよりも考えていた。恐らく、迫田以外のおじさんたちも同じだろう。しかし橘さんの反応を考え、口に出すタイミングを計っていた。
 案の定、橘さんは勢いよく立ち上がった。
「それって、犯人はうちの会社の誰かって意味ですか? そんな人、うちにはいません。みんなちゃんとしてるし、私だってストーカーされるようなことはなにもしてない。そもそも全然美人じゃないし若くもないのに。なんで」
 言葉に詰まり俯く。手で顔を覆い、椅子に腰を戻してえつを漏らしだした。迫田に下がるように視線で促し、ひよりは橘さんの肩に手を置いて語りかけた。
「別の署ですが私も以前生活安全課にいて、ストーカー事件を担当したことがあります。その時の被害者の方の中には、橘さんと同じように『ストーカーされるようなことはなにもしてない』と言う方もいらっしゃいました。でも犯人を捕まえてわかったのは、なにもしていなくてもストーカーの被害に遭うことはあるということです」
 嗚咽が止み、橘さんが顔を上げた。大きな目は濡れ充血もしている。
「『見た目が好み』『親切にしてくれた』。中には、『目が合ったから』という犯人もいました。なにかの拍子にスイッチが入り、相手への執着が止まらなくなるんです。被害者の容貌のしとか若いとか老けているとかは無関係です。でもはっきり言えるのは、橘さんは悪くありません。自分を責めたり、卑下したりする必要は全然ないんです」
 合いカギの可能性は自分が伝え、同時にこの話もするつもりだった。
 自分以外に八名しかいない会社に自分を尾行したり、部屋に忍び込んだりした犯人がいる。疑いの域を出なくても、私ならどんな顔で出社し仕事をしたらいいのかわからなくなる。会社と仕事が好きならなおさらだ。そう思い、ひよりの胸に強い怒りと使命感が湧いた。同時に一つのアイデアとビジョンも浮かぶ。
 体の脇でぎゅっと拳を握り、ひよりは自分を見ている橘さんを見返して告げた。
「向こうが出て来ないなら、こっちから行きましょう」

(つづく)

角川文庫『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』発売まであと3日!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/321901000149/


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