【連載小説】「空想次元」に閉じ込められた真夜。彼女を救うことはできるのか? 少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#6
逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。
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「昨日吉見くんと会ってから、一晩かけて考えたんだ。いまの私はなんなのか。吉見くんの〈力〉は、どういうものなのか」
「それが判ったの?」さすがに驚く。だが真夜は、首を横に振った。
「科学者は、『判った』という言葉は簡単には使わない。気が遠くなるほどの実験と検証を繰り返して、論文を査読してもらって客観的に検討してもらわないと『判った』とは言わない。だからこれは、ただの仮説」
持って回った口ぶりに、小学生のころを思いだす。真夜が安易に答えを出すのを嫌う人だったことを、久しぶりに思いだした。
「吉見くんは前に言ってたよね。その〈力〉を使うとき、音は聞こえるって。ただ匂いは判らないし、空想したものに触ることもできない」
頷いた。小学生のころ、真夜に毎日のように質問攻めにあって、ぼく自身も自分の〈力〉を把握していった。ぼくの〈力〉には限界があって、遠くのビジョンを見たり、そこで流れている音を聞いたりはできるのだけど、匂いを
「実は、いまの私も、同じなんだよ。そっちの世界を見ることはできるし、小瀬くんの声を聞くこともできる。でも、君たちに触ることはできないし……」
真夜はいきなりぼくに近づいて、すんすんと鼻を鳴らした。普通なら吐息がかかりそうな距離で、少しどぎまぎする。
「匂いも嗅げない」
「……だから、何」
「私がいる場所は、吉見くんがいる場所と違う次元なんだと思う。ふたつの次元の間では、視覚情報と聴覚情報は交換できるけど、それ以外のものは交換できない。たぶんふたつの次元は、決定的に違うわけじゃなくて、平行に走る二本の線みたいに、近くにあるけど交わらない次元なんだと思う」
「次元って……世界は三次元なんじゃないの」
「超ひも理論によると、十一次元あるらしいけどね。私はあれは、
何を言っているかよく判らない。隼人に伝えたら、彼も首をひねった。
「まあ、仮説だから、とりあえず聞いてよ。とにかく私たちは違う次元にいる。そっちにいる人は普通、こっちの次元を認識することもなく、日常を送っている。でも、吉見くんは認識できる。なぜなら君は、〈力〉を持っているから」
「どういうこと? ぼくの〈力〉は、遠くの何かを見るための〈力〉だよ」
「一見そうだけど、本当は違ったんだよ。吉見くんの〈力〉は、こっちの次元にアクセスするための〈力〉だったんだ」
ぼくは驚いた。宮おじぃーですら、そんなことは考えていなかったはずだ。
「こっちの次元は、一種のワームホールみたいなものなんだと思う」
真夜は興が乗ったみたいに続ける。
「前に吉見くんは、目を閉じると大きな部屋みたいな空間が見えるって言ってたね。それがこっちの次元なんだ。こっちの次元には無数の〈窓〉があって、それが現実世界のどこかにつながってる。吉見くんは〈力〉を使ってこっちの次元にアクセスし、〈窓〉に触れることで、現実世界の別の場所を観察すことができる」
「そっちの次元は、ワープ空間みたいになってるってこと?」
「そう。現実世界では東京からリオ・デ・ジャネイロに行くまで一日以上かかるけど。君はこっちの次元を通じてリオとつながっている〈窓〉に触れることで、一瞬で向こうの光景を観察できる。でも、万能じゃない。こっちの次元は、視覚情報と聴覚情報だけは通すけど、ほかの情報は通さない。だから、君は空想の中で、匂いを嗅いだり、何かに触ったりすることができない」
真夜が徐々に早口になってくる。
「見れるし、聞けるけど、嗅いだり触ったりはできない。いまの私に起きていることと同じだよ。私は、何かの理由で、こっちの次元に取り残されちゃったんだ。でも君はこっちの次元にはアクセスできるから、取り残された私の姿を見れる。そう考えると整合性が取れる。そう思わない?」
「ええと……」
「私はこっちの次元を、〈空想次元〉と呼ぶことにした」
真夜はぼくの顔を
「もちろん空想クラブから取ったものだけど、空想って、すぐにどこにでも行けるじゃない? スカイツリーだって自由の女神だって、私たちはパッと思い浮かべることができる。吉見くんはこっちの次元を通じて、一瞬で、距離を無視して色々な場所を見ることができるでしょ? だから、〈空想次元〉、我ながらいいネーミングだ」
一気にまくしたてると、伝えて、という風に
上手く理解できたか判らない。つまり──。
ぼくの〈力〉は、〈空想次元〉にアクセスできる〈力〉だった。
〈空想次元〉には現実世界に通じる〈窓〉がたくさんあって、ぼくはそこを通じて千里眼のようなことができる。いまの真夜は、なぜか〈空想次元〉に取り残されている──ということか。
「すごいよ、吉見くん」
隼人に伝えようとしたとき、真夜はいきなり声を上げた。
「これまで人類が考えてきた物理法則じゃ、こんなことは考えられない。世界中の物理学や生物学が、いまこの場所で、リアルタイムにひっくり返ってるんだよ。こんなにエキサイティングなことはない! 相対性理論も当然見直しだし、素粒子物理学の革命になるかもしれない。ダークマターやダークエネルギーの謎、宇宙創生の謎なんかも解けちゃうかもしれない。やだ、どうしよう。ドナ・ストリックランドの次の女性ノーベル賞物理学者は、
「う、うん……」
真夜はやばいやばいと言いながら、足踏みを繰り返す。自分の言葉に興奮してどんどんテンションが上がっていくのも真夜の特徴だったけれど、今日はとりわけ激しい。生きているぼくたちよりもよっぽど元気だ。
ぼくは隼人に説明をした。
「……でも、それだと色々おかしくないか?」
「お、いいね、おかしなこと。私、客観的に検証されたい」
真夜は議論好きだ。ぼくは間に立って、真夜の言葉を隼人に届けることにした。
「ざっと三つくらい、聞きたいことがあるんだよな。まず、最初に聞いたときから思ってたんだけど……真夜は、女の子を助けるために川に落ちたんだよな」
「うん、そうだよ」
「その子は、どこに行ったんだよ」
それは、ぼくも少し考えていたことだった。
「真夜が死んだ件は、この辺じゃ結構広まってる。でも、子供が一緒に溺れてた話なんて、聞いてないぞ」
「えっ、そうなの?」
「ああ。子供は助かったか亡くなったかしてるんだろうけど、助かったなら普通名乗り出るだろ。もし一緒に亡くなってたり、行方不明になったりしてるなら、当然騒ぎになってる」
「私が川に落ちるのを見て、パニックが収まって自力で川から上がった。名乗り出てないのは、怖くなっちゃったから、とか?」
「真夜、溺れたことないだろ? 俺さ、小三のときに海で足
運動神経の鬼の隼人が言うのだから、説得力がある。
子供は実は亡くなっていて、その情報が隼人のところまで流れていない可能性もあるけれど、それは考えづらい。隼人のお父さんは笹倉市の商工会の偉い人で、地元に大きなネットワークを持っているからだ。子供が見つかっていないと自信を持って言いきれるのは、お父さんに話を聞いているからだろう。
「そもそも、なんで子供が夜の川にいるんだ? それも変だよな」
「まあ、それは私も判らない」
「次に聞きたいのが、どうして真夜は〈空想次元〉に取り残されたのかってことだ。死んだらみんな、その次元に行くのか?」
「それは実は仮説がある。あとひとつは?」
「あとひとつは……何か、力になれることはないか?」
真夜が、目を見開いた。
「ひとりで大変だろ。何か、力にならせてくれよ」
真夜は嬉しそうな笑顔になり、頰が赤く染まった。
隼人らしいなと思った。学校でも、何か問題が起きたときに的確に現場をまとめて、ぼくたちを勇気づけてくれる。こんな台詞をさらっと言うなんてぼくにはできないなと、引け目を感じる。
真夜は、照れくさそうにぽりぽりと頰をかいた。
「いま出た三つの質問を突きつめていくと、最終的に同じ話につながっていくと思う」
「どういうこと?」
「私が、この河原から出られないってことにね」
「出られない?」
意味を理解できなかったぼくを差し置いて、真夜は突然ジャンプした。ボブの髪がふわっとはねて、もとの形に収まる。
「吉見くんは〈力〉を使うことで〈空想次元〉の中を自由に移動できる。手を伸ばす、だっけ?」
「うん。手を伸ばして、遠くの〈窓〉に触る感じかな」
「つまり吉見くんは〈空想次元〉のどこにでも行ける。それなら私もその辺を飛び回れそうなのに、実際には重力みたいな見えない力に縛られてる。そもそも重力の考えかた自体、一般相対性理論と量子論とでは全然解釈が違っていて、それを統一する理論はまだ誰も……」
「ごめん、その辺はよく判らないから飛ばしてくれる?」
「要するに、私を引っ張る何かがあって、私はこの河原から出ることができないってこと。この五日間、何度も試したけど全然駄目」
真夜は川のほうを指差した。
「あの場所に、それがあるんだ」
たぶん、真夜が川に落ちたあたりだ。
「私はあそこを中心に、半径二十メートルくらいしか動けない。人は死んだら死後の世界に行くはずなのに、私はあの場所にある何かに引っ張られた。それが、私をこの次元に
「その正体って?」
「『あの子』、だと考えてる」
川を見つめる真夜の目が、ふっと細くなる。
「あの夜、暗い川の中で、あの子は苦しそうにもがいてた。助けなきゃ、救ってあげなきゃって、私は最後の瞬間まで思ってた。その気持ちが、私を〈空想次元〉に留まらせたんだと思う」
「感情が? なんか、非科学的じゃない?」
「推論に科学的も非科学的もない。それを検証していく態度が科学なんだよ。突飛な推論を出しちゃ駄目なら、アインシュタインは特殊相対性理論を作れなかったでしょ? それに、この宇宙のことを、人類はまだ全然判ってない。宇宙を構成する元素のうち、五パーセントくらいしか解明できてないと言われてるんだから」
ぼくは黙ることにした。真夜の言葉は隅々まで理論武装されていて、うかつに手を出すと指先を嚙まれる。
「でも、大筋では間違ってないと思う。実際に、吉見くんの〈力〉は、感情に影響されてる。君は強く見たいと願ったものを、〈空想次元〉を通じて見ることができるんだよね? どういう原理かは判らないけど、感情の強弱が、こっちの次元での運動に何らかの影響を及ぼしてる」
「それは……確かに」
「私はあの子の安否を強く気遣った。だから、本当は死ぬはずだったのに、この次元に留まった。つまり、私が助けになってほしいことはね──」
真夜は、ぼくと隼人を交互に見た。
「あの子の安否を、調べてほしいんだ」
真剣な目になっていた。
「私が子供を心配することでこの場に留まったんなら、安否が判れば私を引っ張る力から解き放たれるはず。半径二十メートル以内から、外に出ることができる」
「ちょっと待てよ、真夜」
隼人は慌てた様子で言う。
「解き放たれるって……どうなるんだよ。本当に死んじまうんじゃないのか?」
「それは判らない。でも、死なないんじゃないかなって思ってる」
「どうして」
真夜はゆっくりと周囲を見回してから、ゆっくりとぼくを見た。
「吉見くんには、見えない?」
「何が」
「その辺に、結構いるんだよ。私みたいな人が」
驚いて周囲を見回したけれど、そこには河原が広がっているだけだ。
「死んだはずなのに、何らかの理由で〈空想次元〉に留まってる人が、結構いるんだ。なぜか会話は交わせないけど、みんな自分を縛りつけていたものから解き放たれて、結構気ままに楽しんでいるみたい。まあ、気楽なのは判るよ。いまの私たちは、疲れたり、おなかが減ったり、生物が持つ面倒ごとはないからね」
明るい調子で続ける。
「私もこうなった以上は、そういうものになりたいんだ。ここにずっといるのは無理。夜星の観察をするのは楽しいけど曇ってることもあるし、日中は死ぬほど退屈だし……まあ、もう半分死んでるけど」
「笑えないよ、真夜」
ブラックすぎるジョークはともかく、こんな軒先につながれたヤギみたいな生活は、好奇心
「それに、あの子の安否は、本当に気になってるんだ」
真夜は胸の前で拳を固める。
「直接救うことはできなかったかもしれないけど、あの子が何らかの形で助かったのなら、私が死んだ意味もあるのかなって思って。私が死の直前に何をやれたのか、その意味を知りたいんだ」
「……生きてなかったら?」
「それは、たぶんすごく哀しいと思う。でも、私は知りたい。何も知らないままで居続けるより、私は傷ついても真実を望む人間でありたい」
「真夜……」
「知りたいんだ。私は本当は、ただ死ぬだけだったはず。でも、真実を知れる、ささやかな可能性が与えられたんだから」
ささやかな可能性。
真夜がこの言葉を好んで使っていたことを、久々に思いだした。
〈私たちはみんな、三億分の一の
あれは、五年生のときだ。子供がどうやってできるのかを扱った、理科の授業があった。
卵子が受精して、受精卵ができて子供が生まれる──一連の過程を説明した授業だったけれど、この仕組みを知らなかった子も大勢いて、かなり騒然とした空気になった。
真夜は、知っている側の人だった。そして、精子が一回に、三億匹も放出されるんだと教えてくれた。私たちがこうやって話してるのは、三億分の一と三億分の一をかけあわせた、とんでもない確率なんだ。〇・〇〇一ミリ隣の精子が先に到達していたら、私たちはここにいなかったんだよ。
〈それに比べれば、どんなにささやかな可能性でも、できちゃいそうな気がしない?〉
「やるよ」
ぼくが伝えると、隼人は即答した。
「俺たちで、絶対にその子を見つけだす。な、駿」
「……うん、そうだね」
「真夜のためになるなら、なんでもやるよ。必要なことがあったら、言ってくれ」
真夜が嬉しそうに頰を染める。全く隼人には
「これは伝えなくていいよ。実は小学校のころ……ちょっと気になってたんだよね。小瀬くん」
「えっ、そうなの?」
「ちょっと、声大きい。好きだったかは判らないけど、恰好よくて気配りができて、すごいなあって尊敬はしてた。だから、嬉しいな」
子供だと思っていた真夜が、急に大人びて見えた。真夜は嬉しそうな目で、隼人のことを見つめている。
なんだろう。胸の奥が、急にもやもやとしてきた。真夜が喜んでいるのは、いいことなのに。
「それで……何を手がかりに調べりゃいいんだ? その子供の顔、覚えてるのか?」
「なんとなく覚えてる。特徴的な容姿だったから、それだけでも捜せるかもしれない。でも、まず似顔絵を描いてもらうのがいいかなって思ってる。それを配れば捜しやすいし、描いてもらう段階で私も何か思いだすかもしれない」
「似顔絵? 俺も駿も、絵なんか描けないぞ」
口にしたところで、隼人は何かに気づいたように言葉を止めた。
「そうだよ」
真夜は微笑んだ。
「空想クラブには、
▶#7へつづく
◎前編の全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!