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連載

心に刺さったこの一行 vol.6

大西寿男の「心に刺さったこの一行」――『アメリカへようこそ』『迷彩色の男』より

心に刺さったこの一行

忘れられない一行に、出会ったことはありますか?

つらいときにいつも思い出す、あの台詞。
物語の世界へ連れて行ってくれる、あの描写。
思わず自分に重ねてしまった、あの言葉。

このコーナーでは、毎回特別なゲストをお招きして「心に刺さった一行」を教えていただきます。
ゲストの紹介する「一行」はもちろん、ゲスト自身の紡ぐ言葉もまた、あなたの心を貫く「一行」になるかもしれません。

素敵な出会いをお楽しみください。

大西寿男の「心に刺さったこの一行」

ゲストのご紹介



大西寿男(おおにし・としお)

校正者/文筆家/一人出版社「ぼっと舎」代表
1962年、兵庫県神戸市生まれ。岡山大学で考古学を学ぶ。
88年より、校正者として、河出書房新社、集英社、岩波書店、メディカ出版、デアゴスティーニ・ジャパンなどの文芸書、人文書を中心に、実用書や新書から専門書まで幅広く手掛ける。
一方で、「ぼっと舎」を開設、編集・DTP・手製本など自由な本づくりに取り組み、企業や大学、カフェなどで校正セミナーやワークショップを担当。技術だけでなく、校正の考え方や心がまえも教える。2016年、ことばの寺子屋「かえるの学校」を共同設立。
著書:『校正のこころ』(創元社)、『校正のレッスン』(出版メディアパル)、『かえるの校正入門』(かえるの学校)他
TV出演:NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」

【忘れられない一行】 マシュー・ベイカー著/田内志文訳『アメリカへようこそ』(KADOKAWA刊)所収「売り言葉」より


僕が感じているのと同じ欲求を、このどうしようもない欲望を他の人々も感じ、何世紀もの昔にその欲望とともに生き、死んでいったのだ。これから先にもそうした人々が生まれてくるのだ。

マシュー・ベイカー著/田内志文訳『アメリカへようこそ』所収「売り言葉」より

もしもあなたの家族や恋人がいじめや暴力にあい、そして壊されていったら。
黙っていられますか?
耐えられない?
じゃあ、どうしますか。

アメリカの北のほう、そこは冬は厳寒の地で、薪と温風ヒーターと電気毛布を頼りに小さな家に閉じこもって、雪解けを待つ。そんな何の変哲もない、とある田舎町。

そこに40代の兄弟が住んでいる。兄弟の妹が置いていった、2人の姉弟と一緒に。
その姉のほうが(兄弟にとっては姪っ子だ)、近所の悪ガキから壮絶ないじめを受けている。
淡々と断片的にしか語られないが、壮絶なのにはまちがいない。
どうしてかといえば、素直で明るかった姪っ子から笑顔が消え、びくびく怯えて暮らすようになったから。

兄弟は立ち上がる。それはそうだろう、可愛い姪っ子がそんな目にあわされて。
そして、悪ガキをコテンパンにやっつける、ある復讐を計画する……。

ところが、問題があった。
このおじさん兄弟、世間一般の「男らしさ」なんて、みじんも持ち合わせていない、子どものころから筋金入りの、暴力沙汰とは無縁の、きわめておとなしい兄弟なのだ。

2人は悪ガキの頭をレンガの壁に叩きつけ、くすぶる焚き火に顔を押しつけ、桟橋から突き落としておぼれさせてやる妄想に駆られる。
だが、その一方で、そんな「男性的な欲望」に慣れていない2人は、自らの衝動をおそれてもいる。

それでも彼らが行動を開始したのは、少なくとも兄にとっては、姪っ子の苦しみへの共感が、今ではもう、さらに苦しい自分自身の苦しみ(ここでは「アザリー othery」という言葉で語られている)となっていたからだ。
その苦しみから解放されるためには、立ち上がるしかない。
(なお、兄弟の妹は、ためらいなく敢然と悪に立ち向かう女性である。)

かくして、中年兄弟の徹底的な悪ガキの観察が始まる。
毎日午後、2人はピックアップ・トラックに乗りこみ、学校帰りの14歳を尾行する。悪ガキが何をしようが、通りすがりの自動車に石を投げようが、友だちに小便をかけようが、子犬を殴ろうが、雑誌を盗もうが、ただひたすら観察し、行動を記録する。
すべては偉大な復讐の計画を完璧なものにするためだ。

2人の観察記録は日に日に詳細なものへとなっていく。
計画を実行する日は近づいてくる。
緊張が高まる。
そして、ついに──

このおじさん兄弟、じつは兄は辞書の編纂者で、弟は死語を研究する言語学の教授だ。

兄のほうは、通常の辞書編纂者とはちょっと、いや、かなり異なっている。
出版社の依頼で、この世に実在しない言葉を創作して、その定義とともに、他の膨大な実在する言葉の森の中に、地雷を仕掛けるように、こっそりと辞書に忍びこませる。
そんな架空の「幽霊語」を書き続けて20年を超すベテランだ。

先の「アザリー othery」も、この兄の仕事の成果の一つなのだった。

兄はまた、「インプセクシュアル impsexual」でもある。
男性でも女性でもそれ以外の性別でもなく、確かに人なのだけれど、この世に実在しない、しかしフィクションでもない、「非実在のもの(単数および複数)に対する性的欲求を感じる者」を表す、これまた造語だ。

この自らの性的指向に気づいてから彼は、ずっとその事実をひた隠しに隠してきた。
そんな人間は地球上でたった一人。自分の正体を知られたら、周りにどんな強烈な嫌悪感を呼び起こすかとおそれ、ひとりきりで生きてきた。
でも、大人になり、最近になって、完全に孤独だったことはなかったと悟ることになる。

弟から、それと同じ意味を持つ死語が、地球の裏側にちゃんとある、と教えられたから。
教授の弟によると、それは「カワ=マシュカ」という言葉だそうだ。

「な、お前が元祖ってわけじゃないのさ」
と弟は言った。
そして、兄は知る。

「僕が感じているのと同じ欲求を、このどうしようもない欲望を他の人々も感じ、何世紀もの昔にその欲望とともに生き、死んでいったのだ。これから先にもそうした人々が生まれてくるのだ」

なんという救いの言葉だろう。
まるでずっと閉じて永遠に開くことがないと思っていた氷の世界に、その瞬間、スリットが入り、広がるスリットから、まばゆい光があふれ、流れこんでくる。
そんな勇気と希望を与えてくれる言葉だ。

兄弟の復讐のストーリーが、どのような思いがけない結末に至るのか、それはぜひ本作を読んで確かめていただきたいが、ここではそれとは別に、この兄弟がずっと言葉に規定され支えられている、ということを忘れずに書いておきたいと思う。

否応なく緊張感が漂う尾行の日々の中で、2人のあいだでは、耳なれない、おかしくも奇妙な言葉が飛び交っている。
この世に実在しない言葉、いまでは死に絶えてしまった言葉たちが。

「この州の少年たちは」と兄はいう。

「自らの手で他の少年を傷つけることへの恐れを捨てたとき、大人の男に成長できる」
でも、それができなければ「何か別のもの」になってしまう。
そして、「僕たちはそれを指す言葉を、何も持ってはいない」──

兄はいつか、その言葉を創り出し、いつものように、そっと辞書に忍びこませるのだろうか。

【忘れられない一行】安堂ホセ『迷彩色の男』(河出書房新社刊)より


私たちはお互いの手のひらを密着させ、指を組んだ。
握りあわされた拳は暗く、まるでひとりの人間の右手と左手のようにおなじ色をしていた。

安堂ホセ『迷彩色の男』より

先ごろ決まった第170回芥川賞の候補作にもなり、話題を集めた安堂ホセさんの『迷彩色の男』。

この一文の前には、こうある。

「剝がされた私の手は、手のひらにだけ火が通ったように淡白な色をしていた。
いぶきの手のひらもおなじだった」

いぶきは「私」が地下で初めて出逢った、自分以外でブラックの流れている日本人。2人とも、一目でイエローとは異なる肌の色を持つ。その「暗い肌のなかで、手のひらだけ色が薄かった」。

「私たちはお互いの手のひらを密着させ、指を組んだ。
握りあわされた拳は暗く、まるでひとりの人間の右手と左手のようにおなじ色をしていた」

いまこうやってこの小説について話しているぼくは、圧倒的多数の「日本人」であるイエロー。この国に暮らすブラックやブラックミックスの人たちのことが、悲しいくらいわかっていない。
身のまわりにそういう人たちはいなかったし、まれに街中で見かけても、めずらしいと思うくらいで、特にそれ以上、知ろうとも思わなかった。
ほかの多くのイエローの「日本人」も、きっとみんなそうなんだろう。

だから、ブラックやブラックミックスの人たちの思いに勝手に共感したり、わかったようなことを言ったりできない。言えないのだけれども、このシーンはなぜかぼくをホッとさせる。
まるで、自分の手のひらに、誰かの手のひらから体温が流れこんでくるように。

この小説はタイトルにあるように色にあふれている。
あたかも色に導かれるように、私たちは地下へ、地上へ、物語の奥深くへと足を踏み入れていく。

純粋なブラック。ミックスのブラック。
赤。青。イエロー。
グラデーション。階調。
そして、迷彩色。

さまざまな物が、人が、場が、色をまとい、色づけられ、その姿をくっきりと立ち現され、あるいは、まぎらわされる。

「私がブラックと一言で捉えてしまう皮膚のすぐ裏に血の色のこまかい網目のようなものがみえたし、そのそばを這っている静脈や、そのもっと奥に正体の摑めない骨の筋があった」
「濁りあう皮膚の裏に満ちている真皮の層は、純粋なブラックとは違ってイエロー混じりの人間らしくほのかに明るかった」

自分の皮膚の下の色について、考えたことがなかった。
自分の体はどこを切ってもイエローだと、何も考えずに漠然と、無邪気にそう思ってきた。

「一人の人間が一色にみえるようなことは、あの近い距離ではありえなかった。
瞬きをすると、すべて闇に戻った。
胸が締め付けられた」

ずっと冷静沈着に物語を語ってきた「私」がふいに漏らしたひと言に、届かないとは知りながら、ぼくもまた胸がしめつけられる思いがした。

安堂ホセさんのデビュー作であり、文藝賞受賞作である『ジャクソンひとり』。
そして、受賞後第一作の『迷彩色の男』。
いずれも芥川賞候補になった2作続けて、雑誌『文藝』掲載時に、校正者として初校の校正を担当させていただいた。

作家と作品が世に出る前に、いち早くその世界に触れることができるのは、校正者にとって得がたい幸せだと思う。

『ジャクソンひとり』を校正刷(ゲラ)で拝読して、真っ先に思ったことは、
──どうしてこんなふうに冷静に言える(書ける)のだろう?
ということだった。

『迷彩色の男』もそうだが、現実がどんなに残酷で、苦く、許しがたく、理不尽であっても、言葉は大仰な抑揚に声を張り上げることも、口ごもり沈んで聞き取れなくなることもない。
淡々と、というのではない。
客観的、というのとも違う。
あきらめや迎合とも無縁だ。
なんというか、小説の語りが見つめる対象との距離感が、とても独特で絶妙なのだと思う。
その語りの距離感が、あるフラットな感覚とともに、気がつくと私たちを見えなかった世界、見ることを避けてきた世界へと連れ出してくれる。

いぶきも「私」も、私たちと同じく、いまこの日本に生きる「日本人」だ。
舞台は東京。過去や未来ではなく、遠い国でもなく、いま、ここに生きている。
この小説は、人の、私たちの愛と憎しみ、そして、悪夢を描く。
深く肉に刻みこまれたヘイト、差別と偏見、排除の悪夢だ。

「私たちはおなじ悪夢をみたことがあった。
お互いを知るよりずっと以前に、それぞれまったく別の場所から、おなじ悪夢にアクセスしていた」
「怖がるか、実行するかしか、本当にもう残っていない」

悪夢なんて見ない、なんて言わせない。
周囲を取り巻く野次馬の一人か、あるいは、実行者か。
はたまた、そのどちらでもない誰かか。
読者は自分の立ち位置を探すことになる。

家庭で、学校で、地域で、職場で、この国で──
迷彩色にまぎらわせた自分の「色」を見つけ、ほんとうに取り戻したければ。

大西さんの最新情報はこちら

ぼっと舎:https://www.bot-sha.com
最新情報とプロフィール:https://www.kosei-no-kokoro.net/お知らせ/

書籍情報



『アメリカへようこそ』(KADOKAWA刊)
著者:マシュー・ベイカー 訳者:田内志文
発売日:2023年03月08日

奇抜な空想世界にひそむ、物語の優しさ。全米注目作家が贈るSF短篇集。
「幽霊語」を生み出す辞書編纂者の正義、儀式で絶命することが名誉な一家の恥さらしな叔父、社会に辟易しデジタルデータになる決意をした息子と母親の葛藤、幸せな日々を送る男の封印された終身刑の記憶、生物園の男と逢瀬を重ねる女、女王陛下と揶揄された少女の絶望と幸福の告白、空っぽの肉体をもつ新生児が生まれはじめた世界の恐るべき魂の争奪戦、合衆国から独立したテキサスの町「アメリカ」の群像悲喜劇、逆回転する世界に生まれた僕の四次元的物語――

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000536/
amazonページはこちら

 



『迷彩色の男』(河出書房新社刊)
著者:安堂ホセ
発売日:2023年09月27日

ブラックボックス化した小さな事件がトリガーとなり、混沌を増す日常、醸成される屈折した怒り。快楽、恐怖、差別、暴力。折り重なる感情と衝動が色鮮やかに疾走する圧巻のクライム・スリラー。

文藝賞受賞第一作。

****
あまりにも他人事ではなく、渦巻いた怒りが読者の脳天に突き刺さる。
――山﨑修平さん(週刊読書人8月11日号)

著者にしか生み出せない会話と、差別/ヘイトを逆手にとった痛み伴う"復讐劇"は、『ジャクソンひとり』に続き圧巻。
――金春喜さん@chu_ni_kim

鮮やかで眩しいくらいの赤と青。光と闇。クルージングスポットの臭いと鉄臭が、物語の中へと一気に引き込んだ。
この色とにおいは、かなりの中毒性がある。
――未来屋書店明石店 大田原牧さん

静謐で美しく切ない青春小説。夢へ向かう航路のような物語に心地よい心の揺らめきが湧き起こる。
――紀伊國屋書店福岡本店 宗岡敦子さん
****

〈怒りは屈折する〉。――都内のクルージングスポットで26歳の男が暴行された姿で発見される。事件の背後に浮かびあがる”迷彩色の男”とは。デビュー作『ジャクソンひとり』が芥川賞候補となった、いま最注目の作家による、才気ほとばしる第二作。


紹介した書籍

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