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連載

心に刺さったこの一行 vol.5

小野花梨の「心に刺さったこの一行」――『この夏の星を見る』『ざんねんなスパイ』より

心に刺さったこの一行

忘れられない一行に、出会ったことはありますか?

つらいときにいつも思い出す、あの台詞。
物語の世界へ連れて行ってくれる、あの描写。
思わず自分に重ねてしまった、あの言葉。

このコーナーでは、毎回特別なゲストをお招きして「心に刺さった一行」を教えていただきます。
ゲストの紹介する「一行」はもちろん、ゲスト自身の紡ぐ言葉もまた、あなたの心を貫く「一行」になるかもしれません。

素敵な出会いをお楽しみください。

小野花梨の「心に刺さったこの一行」

ゲストのご紹介



小野花梨(おの・かりん)
2021年公開の「プリテンダーズ」で長編映画初主演。近作にドラマ「カムカムエヴリバディ」「罠の戦争」、映画「Gメン」「Ribbon」「ほどけそうな、息」など。2022年公開の映画「ハケンアニメ!」で第46回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞。また主演ドラマ「初恋、ざらり」で好評を博した。ドラマ「グレイトギフト」が2024年1月より放映、映画「ミッシング」「52ヘルツのクジラたち」などの公開が控える。

【忘れられない一行】 辻村深月『この夏の星を見る』(KADOKAWA刊)より


 学生時代って本当に無力で情けなくて悔しい思いを沢山する。親の都合、集団行動、多数決、世間体。自身の未熟さを痛いほど自覚した上で、少しの希望のみで生きていかなくてはならない時期がきっと誰しもあったと思う。
 それぞれの状況で、抗えない現実が待ち受ける中、悩み傷つきながらもしっかり前を向き生きている。
 そんな人物たちの描き方に辻村さんの今の学生たちへの深い愛を感じた。

 コロナ禍での学生生活。様々な我慢を強いられる中、離れた場所から星を介してリモートで繋がる子供たち。超ど真ん中青春ストーリーなのだが、この作品の私が一番に推したいところは、そんな子供たちを支える大人たちの在り方が本当に素晴らしいということだった。

「コロナがあったから失われ、でも、コロナがあったから出会えたこともある。どちらがよかったのかなんて葛藤をあの子たちが持たなきゃならないことがもどかしい。本当だったら、経験は経験で、出会いは出会いのまま、何も考えずに飛び込んでいけたはずなのに、そうじゃなかったことが」

 これはある学校の先生のセリフなのだが、ああ、言ってくれたな、と思った。

 コロナと共にやってきた不条理、理不尽、どうしようもないこと。
 それらを多感な時期の感性のまま受け入れなければならなかった学生たち。
 給食は友達と一言も話さずに食べなければならないらしい。修学旅行には行けないらしい。卒業式は出来ないらしい。同級生の本当の顔を知らないらしい。部活動も、みんなで授業を受けることすらさせてもらえないらしい。
 そんなことを聞いて、今の学生たちは本当に可哀相だと思っていた。

 子供たちがどんなにそれらをうまく消化してくれても、このモヤモヤはやはり晴れなかった。というか、晴れてはいけない気がしていた。
 二度と戻らない学生生活。誰にも怒りをぶつけることの出来ない悔しさ。
 我々大人たちはどうあるべきなのか。
 そんなことを漠然と感じながら生きる数年だった。
 今でこそ、なんとなく当時は過去になりうやむやになっているけれど、この悔しさは子供たちだけのものにしてはならない。
 そんな意味不明な正義感すら、この物語の人物たちが生きて、言葉にしてくれることによって温かく抱きしめてもらったような気持ちになった。
 こうしてみんなで少しずつ前に進めばいいじゃないか、という安堵感からボロボロと泣いてしまった。

 そして、茨城、長崎、渋谷にいる学生たちがそれぞれの場所で同じ空を見上げ同じ星を探す。
 遠く離れていても、同じ時間を、感動を共有できるという豊かさ。
 今を、たった一度の今を、大切に大切にぎゅっと抱きしめて生きることの誠実さ。
 学生時代という有限の時を目一杯駆け抜ける登場人物たち。
 あまりにも尊くて眩しくて、「私も望遠鏡で星を見てみたい!」と思った。
 でも、まずは数年連絡を取っていなかった中学時代の親友に連絡してみることから始めよう。
 普段意識しない夜空をちょびっと意識するだけで、遠く離れた場所で暮らしている人たちを近くに感じる。

 この作品は辻村さんの、今を生きる我々への特大の応援歌だと思った。

【最近出会った一行】 一條次郎『ざんねんなスパイ』(新潮文庫刊)より


「市長を暗殺しにこの街へやってきたのに、そのかれと友だちになってしまった……。」

 これがこの小説の記念すべき一行目である。
 たった一文が、こんなにも興味と期待とあきれを誘うなんて。
 正直悔しいのだが、この一文を読み終えた時には、既にこの小説が放つめちゃくちゃなエネルギーに振り回されたくてたまらなくなっていた。振り回される覚悟さえ出来ていた。しかし、そんな覚悟なんてなんの意味もなかった。この小説、私の予想を遥かに超える混沌ぶりなのである。

 主人公は73歳の新人スパイ、コードネーム・ルーキー。
 長年スパイの仕事はさせてもらえず、当局の清掃員として働いていたが、遂に市長暗殺命令が出て、暗殺対象となる市長のいる街に移住してきた。
 コードネームとは、その世界の人の間だけで呼び合う暗号名のようなものなのだが、忘れないように復唱していくうちに任地で出会う一般市民に「僕はルーキーです!」と自己紹介してしまうという失敗を幾度となく繰り返す。
 スパイとは本来、その存在を隠し誰にもバレないように秘密裏に行動しなければならないのに、任務開始早々自身の家に訪ねてきたイエス・キリストと名乗る人物が何者かに刺し殺され、遺体を埋葬することになる。
 何故だか警察署長のドブス署長と仲良くなってワリダカ社長(なんやねんこの名前!)が密造する密造酒工場の摘発に成功する。
 やることなすこと新聞記者のミス・モジュールにより新聞の一面にされて町中の有名人になってしまう。
 しまいには「みんなわたしを“ゲイでセレブなおかま野郎のトンチキなスパイの暗殺者の人殺しのひとでなしのマネキン狂いのアル中の連続爆弾犯の木の実の王のアフリカン雑種”として賞賛した」。
 この有様である。
 なんだか、言ってはいけない言葉を圧縮してちっちゃなボールにしてそれを剛速球でぶつけられたような衝撃がある。
 不謹慎なのだが、カオスな文章に飲み込まれて、どうしても笑ってしまう。
 しかも、どこでもどんな状況でもダンスを踊ってしまうという癖がある。
 そして楽観的でお人好し。何をしても目立つ。
 スパイとしては全問不正解という、逆に凄い成績を叩き出しつづけるのだが、その様が信じられないくらい滑稽で、それでいて最高に愛らしいのである。

 しかし驚くことに、様子がおかしいのはルーキーだけではない。
 普通に言葉を話す巨大なリス、キョリス(なんやねんこの名前!)が出てきて人種差別をする国民を諭したり、ルーキーの持っている珍しい車をねだったりする。
 キョリスはリスなのに一番人間らしい。

 お隣にすむマダム・ステルスは天才的な大泥棒で、持ち前の存在感の無さから欲しいものは全て盗んでくるといった暴れっぷりだ。

 全編を通して、全登場人物、揃いも揃って不謹慎で間抜けでお馬鹿で愛くるしいのである。
 スパイものという緊張必須のテーマでありながら、緊張感がまるでない。
 高熱を出して寝込んでいる時の脈絡のないとっちらかった夢みたいな内容なのだが、最後には唸るほど気持ちよく、全員が収まる所に収まってくれる。
 この文、落ち込んだ時に読み返そう、と思った所には折り目をつけていたのだが、読み終わった時には、本が折り目だらけでとんでもなく分厚くなっていた。
 あんなにカオスだったのに、読後感は軽快で温かいのが憎い……!
 最近読んだ本で一番憎い本だった、と言って友達に貸してしまった。

書籍情報



『この夏の星を見る』(KADOKAWA刊)
著者:辻村深月
発売日:2023年06月30日

この物語は、あなたの宝物になる。
亜紗は茨城県立砂浦第三高校の二年生。顧問の綿引先生のもと、天文部で活動している。コロナ禍で部活動が次々と制限され、楽しみにしていた合宿も中止になる中、望遠鏡で星を捉えるスピードを競う「スターキャッチコンテスト」も今年は開催できないだろうと悩んでいた。真宙(まひろ)は渋谷区立ひばり森中学の一年生。27人しかいない新入生のうち、唯一の男子であることにショックを受け、「長引け、コロナ」と日々念じている。円華(まどか)は長崎県五島列島の旅館の娘。高校三年生で、吹奏楽部。旅館に他県からのお客が泊っていることで親友から距離を置かれ、やりきれない思いを抱えている時に、クラスメイトに天文台に誘われる――。
コロナ禍による休校や緊急事態宣言、これまで誰も経験したことのない事態の中で大人たち以上に複雑な思いを抱える中高生たち。しかしコロナ禍ならではの出会いもあった。リモート会議を駆使して、全国で繋がっていく天文部の生徒たち。スターキャッチコンテストの次に彼らが狙うのは――。
哀しさ、優しさ、あたたかさ。人間の感情のすべてがここにある。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322208000289/
amazonページはこちら



『ざんねんなスパイ』(新潮文庫刊)
著者:一條次郎
発売日:2021年08月01日

私は73歳の新人スパイ、コードネーム・ルーキー。鬼才によるユーモア・スパイアクション。
初任務で市長を暗殺するはずが、友だちになってしまった……。福音を届けにきてペーパーナイフで殺されたイエス・キリスト。泥棒稼業の隣人マダム。うっかり摘発したワリダカ社長の密造酒工場。森で出会った巨大なリス・キョリス!? 一度ハマれば抜け出せない。連鎖する不条理が癖になる傑作ユーモア・スパイアクション。対談・伊坂幸太郎。
(あらすじ:新潮社オフィシャルHPより引用)


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