子供を連れている状態だと「不可能」が山ほどある。 似鳥鶏『育休刑事』シリーズ最新短篇「世界最大の「不可能」」短期集中連載第3回
育休刑事シリーズ 世界最大の「不可能」

育児と仕事の両立に悩むすべての人へ。
2023年4月からドラマ放送も決定している『育休刑事』シリーズの最新短篇を短期集中連載! 全5話で短篇が丸ごと読める!
似鳥鶏『育休刑事』シリーズ
「世界最大の「不可能」」第3回
3
刑事という商売には下衆なところがあり、他人の家を見るとすぐにその家の収入状況とか居住者の趣味といったものを見定める癖がある。阿出川香里の家は快速停車駅の裏側に広がるわりと高級な住宅地にあり、敷地もそれなりだった。建売ではなく、門扉や玄関の周辺に煉瓦があしらわれ、二階の一部にアーチ窓も見られる注文住宅だ。車はボルボのXC60が一台。中流の上、といったところだろうか。真面目に仕事をしているだけの警察官なら、退職前にようやく、という水準だ。装飾の施されたローマ字の表札。庭に並んだメルヘン調の陶器人形。阿出川香里は結婚と同時に退職している。「家のことは妻に任せている」夫と、その収入を頼りに家に閉じこもる妻。典型的な昭和型夫婦といったところか。だとすれば阿出川香里は本当にワンオペで育児をしているのだろう──そう推測していく。現実には異なるケースがいくらでもあるが、その一割より残りの九割を当てにしないと捜査が進まない。警察官の仕事は偏見を積み重ねていくことだと言ってもよかった。
インターフォンでやりとりをして玄関に上がる。リビングに男二人と女一人。そして女に抱かれた赤ちゃんが一人。十ヶ月だとすると標準サイズに見える。スーツを着た中年の男二人は同時に立ち上がると警部補である係長に頭を下げ、巡査長である妹背はほぼ無視し、赤ちゃんを抱いた巡査部長である俺に対しては「面倒」を見る目を向けた。二人とも顔は似ていないのに表情は全く同じで、頭の中で何と言っているかが手に取るように分かった。
──げっ。本当に連れてきやがった。
そりゃそうだよな、と思う。二人とも育児経験など皆無だろう。「赤ちゃんから目を離せない」などという阿出川の抗弁は世迷言にしか聞こえず、とっとと逮捕状をとって自白させる。それが「普通」の刑事の思考だ。石蕗係長に相談したという南署捜査三係の室田という人が変わっているのか、検察に慎重な奴がいて、そいつからNGが出たのだろう。
「本庁の秋月です。こちらは息子の蓮。十ヶ月です」
蓮くんを抱いたまま頭を下げる。阿出川もやはり困惑した様子だったが、主婦の本能だろうか。抱いていた赤ちゃんを床に置き、追加の茶を出そうと台所に駆け込んだ。お構いなく、と言いながら係長はソファに座り、妹背巡査長はソファの後ろに立つ。俺は阿出川の赤ちゃんの前に膝をついた。赤ちゃんはこちらをじっと見上げた後、「ほほう?」という疑問形の顔をしつつ這ってきたので、抱いていた蓮くんと向かいあわせてみる。二人とも特に警戒しあうことなく見つめあっている。十ヶ月の赤ちゃんはまだそう明確に顔の個性が出ておらず、同じタイプの顔だちをしている二人は鏡合わせのように見つめあうが、体格はだいぶ違い、うちの蓮くんが同月齢の赤ちゃんと比べていかに大きいかを実感する。そういえばミルクの飲ませすぎで六ヶ月健診の時に注意されたんだったな、と思い出すが、それは今はいい。捜査対象者がカウンターキッチンにいる隙に部屋の中を観察する。床に一面に敷かれたパステルカラーのウレタンマット。ローテーブルの四隅には衝突防止用のカバー。キッチンの入口にはベビーゲート。bomeの高級バウンサー。メリーは床置き型でベビーベッドはない。そして壁には額装された赤ちゃんの写真。赤ちゃん単体のものがほとんどで、夫が写っているのはおそらく百日祝いの撮影だろう盛装した一枚のみ。プロの写真ではない。阿出川香里が一人で撮影し、印刷し、額装したものだろう。
確認していくにつれてどうしても表情が曇る。どこをどう見ても、阿出川香里は「子供を大切にしている普通の親」だった。ゴミ一つ落ちていない床の様子。棚から覗くベビーパウダーのボトルはオーガニックのものだ。むしろ平均よりだいぶ神経を遣っている方だと言ってもよい。この女が、犯行のためにこの子を二時間も置いておいた、という筋書きには無理がある。
蓮くんが阿出川の赤ちゃんに這っていって手を伸ばす。普通なら止めるが、あえて接触させて阿出川香里の反応を見た。赤ちゃんがよその赤ちゃんと勝手に触れ合うことについては、衛生面や安全性の観点から止める親と、赤ちゃん自身の好奇心等を優先して止めない親がいる。阿出川香里の反応は「いつもなら止めるが、相手が相手だから容認した」といったところだった。無駄にこちらの印象を悪くする必要はないので「すみません」と言い、蓮くんを抱えて下がった。「あ」「あーう」と双方から抗議されたが、親の印象を悪くするのは避けるべきだ。
さてどこから訊けばいいか、と思ったが、南署の二人のうち、茶色のネクタイの方が俺たちを無視して質問を続けた。
「それでですね。ご友人の方は、あなたから『お金を借りられないか』と頼まれた、と言っているわけなんですが」
赤ちゃんの腋の下を持って引っぱり上げ、膝に座らせて向かいのソファに座った阿出川香里は俺と係長の方をちらりと見たが、いえ、と呟いて俯いた。「ちょっとすぐ必要になったので」
「しかしですね」青いネクタイの方がかぶせるように言う。「ご友人が頼まれたのは数十万程度だったとのことです。失礼ながら、こうして見た限り、そのくらいの金額でしたら無理なくご用意できると思うのですが」
わざとらしく家の中を見回している。この家が抵当に入っていて実は借金まみれ、といった可能性も、調べによってすでに否定されているらしい。
「……お金は、主人が管理していますので」
「全くないのですか? ご主人に事情を話せば、七十七万円程度の金額は用意してくれそうですが」
被害金額は四十一万で、これは公開されていない。だが阿出川は、刑事の微妙な誘導尋問にも反応せず、ただ首を振った。「無理です。出してくれるわけありません」
「だから元職場からちょっと借りようと思った?」
「そんなこと、しません」
阿出川は視線を下に向けたまま首を振った。陰気な雰囲気の女だが、気が弱いわけでもなさそうだ。あとで問題にされない程度の威圧では落とせそうにない。
青ネクタイはまだ食い下がる。「では、お金はどうやって用意したんですか」
「友人から借りました」
「その友人の名前は?」
「言えません」
「お金を渡されたのは何日ですか」
「言えません」
「貸してくれ、と頼んだのは?」
「言えません」
困った反応だった。噓を言ってくれればそれが噓であるということを調べて証拠にできるが、何も言ってくれなければつけ入る余地がない。だが青ネクタイはまだ粘った。「言えない理由は? 貸してもらうかわりに、ご主人に言えないことをしたから?」
「今の発言、メモしておきます」
繰り返せば問題になる発言だ。青ネクタイは隣の茶ネクタイに脇腹をつつかれて黙った。阿出川はわざとらしく壁の時計を見て「一時十七分」と呟く。なかなかに手強い。
今度は茶ネクタイが口を開いた。「そうしてまでお金が急遽、必要だったわけですね。何に使われたんです?」
「それは……」
阿出川が視線を泳がせた。さっきと違って「言えません」と即答しなかったということは、「正直に答えたところで自分に不利になりはしないが、他人に言いたくはない事情」ということだろう。つっこんでも鉱脈はなさそうだが、言い淀んだのを見てやったと思ったのか、青ネクタイの方は身を乗り出して「言えないようなことですか?」と訊き始めた。
俺は腕の中でシャツのボタンを引っぱってかじろうとする蓮くんの腋を持って向きを変え、部屋の中を見させた。我輩はシャツのボタンを齧るのである! と決めていた様子の蓮くんは一瞬、不満そうにしたが、すぐに部屋を見回し始め、「あ」「あ?」と指さし始める。
子供を連れていると周囲の景色の解像度が上がる。自分一人の時は目にも留めない落ち葉の一枚、窓ガラスの汚れ、フローリングの上の何だか分からない白い小さなゴミでも、子供の目線では立派なオブジェクトになるのだ。だから気付くことが色々ある。今だってそうだ。蓮くんが指さした壁際の本棚。漫画と小説と雑誌が三分の一ずつ、といったところだが、気になる本があった。『幸福の法則』宗像幸蘭著。
俺は阿出川を見る。「宗像幸蘭先生をご存じですか」
阿出川がびくりとしてこちらを見たのは、急に会話に割り込まれたからだけではないようだ。それまでこちらをろくに見ていなかった阿出川は、俺が出した名前に大きく反応した。「あ……はい」
「私はまだ、直接お会いできたことはないのですが」動く蓮くんを引き上げて座り直させる。「すごいらしいですね」
うろ覚えだが、ネットニュースか何かで見た。宗像幸蘭と名乗る六十くらいのこの女は、霊感商法で問題になっている詐欺師だ。祈禱料と称して何十万も取ったり、護石と称する石を数百万で売りつけたりする。
そしてそういうものに洗脳されている人間は、信仰にちょっとでも「理解」を示すと途端に警戒を解き、初対面でもいきなり「すべてを理解しあった友人」扱いしてくる。チョロいことこの上ない。「あなたも先生のご教示を?」
「はい。家の者にはなかなか理解されませんが」
「ですよねえ。うちもですよ。一度お会いしてみれば一発で理解するのに、それすらしようとしないで」
突然顔を上げただけでなく、それまでと全く違う口調とはっきりとした声で喋り始めた阿出川に、南署の二人だけでなく係長と妹背巡査長もぎょっとしたようだった。だが判明した。阿出川香里は霊感商法にはまっている。金が必要だった理由はこれだし、この裕福な家に住んでいてたった四十一万を調達できなかった理由もこれだ。財布を握っている夫が、こんなことのために「自分が稼いだ金」を渡すはずがない。
「直接、ご教示をいただいたんですか? そのための出費ですか」
「はい。でも幸蘭先生のご厚意で、特別に、格安でやっていただいたんですよ」
南署の二人が顔を見合わせる。これで動機がはっきりした。
だが、俺はいやな予感がしていた。「お子さんに何か起こりそうだ、と言われましたか?」
「はい。私、一度流産しているんです。その時の子がこの子を連れていこうとしていたんです」
事実であるかのように言う。宗像幸蘭とやらがそう言ったのだろう。詐欺師め。
流産自体は極めてありふれた現象だ。医療機関で確認された妊娠の15%が流産になるという統計があるし、妊娠を経験した女性の40%が流産も経験しているという。出産とはもともとそういうものなのだ。だがそのことで罪悪感を抱く女性も多い。意図してスイッチを入れないと自覚がもてない父親と違い、母親は出産前から母親で、妊娠が分かったその時から、子宮の中で日々大きくなる子供とやりとりをしてきている。だから「産んであげられなかった」「もっと気をつけていれば結果は違ったかもしれない」というふうに考えてしまうのも当然といえた。
霊感商法はそこにつけ込む。しかもこういう連中は本人ではなく子供をネタに脅す。親になれば実感できる。自分より「子供に不幸がある」と言われた方が落ちやすいのだ。
もちろん不法行為だが、刑法上も恐喝罪だろう。相手に自分の素性を信じ込ませた上で「お前はヤクザに目をつけられている。俺は顔がきくから五十万で話をつけてやる。払わなければヤクザに殺されるぞ」と脅すのと、「お前には悪霊がついている。俺は霊が見えるから五十万で祓ってやる。祓わなければ祟り殺されるぞ」と脅すのとで、何か違いがあるだろうか?
隣の係長が動くものを見つけたネコの顔になった。恐喝事件だとすれば捜査一課の担当だからだ。もう一つ出てきたぞ、なんならこっちも一緒に初動捜査を、とでも思っているのだろう。そんな「ひき肉も安いからついでに買っておこう」程度のノリで関わる事件を増やしていいものだろうか。そもそも、動機がはっきりしたことでかえって本件の雲行きが怪しくなってきている。
「……お子さんの安全のために、幸蘭先生のご祈禱が必要だったと?」
「はい」阿出川は頷いた。「特別に本式でやっていただきましたから。お陰様で何も起きていません」
阿出川は膝の上の赤ちゃんを見る。心底助かった、という顔をしている。噓ではなさそうだ。
係長がこちらを見た。俺は難しい顔になって頷かざるを得なかった。
阿出川香里はそもそも、子供の安全のために犯行をした。だとすれば、そのために子供を二時間も置いておいた、などということはありえない。一番有力な線が消えてしまった。
だが、青ネクタイは分かっていないようだった。主役はこっちだ、と言わんばかりに座り直し、口を開く。「事情は分かりました。それがいとう整形外科に侵入した理由ですか」
「ですから」阿出川は一瞬にしてさっきまでの顔と声に戻った。「やっていませんし、できません。子供がいます」
「そんなの置いてけばいいでしょうが」
「そんなの?」
「置いてけば?」
俺と阿出川が同時に言ったので、青ネクタイはぎょっとしたようだった。「いや、だって二時間くらい」
「二時間くらい?」
「それができたら苦労しません」阿出川も言う。「ちょっと目を離しただけでどこかから落ちそうになったり、ものを口に入れようとしたりするんです。二時間なんて絶対、無理です」
「いや、でも」青ネクタイはあたふたと室内を見回す。「あの柵とかで囲っとけばいいじゃないですか。でなきゃ、可哀想だけどちょっとの間、紐でつないどくとか」
「それで安全だと思ってるんですか?」阿出川の声が強くなる。「ただベッドに寝てるだけでも、何があるか分からないんですよ」
「車ならどうです。連れてってあれの中に置いといたんでしょ」
「もっと無理です」俺も言った。「どこによじ登ってどう落ちるか分からない。シートの間に挟まって出られなくなり窒息するかもしれない。五月ですが、それでも車内なら熱中症の危険もあります。そもそも大声で泣き続けたら車外まで余裕で聞こえますよ」
「寝かしといたらどうです。睡眠薬とかで」
「無理ですよ」
「旦那は使えないんですか。二時間くらい」
「仕事です」
阿出川が言う。あまりにもスムーズな一言で、つまり阿出川香里は常日頃から、夫のその一言であらゆる手助けを断られてきたのだろう。
「祖父母とか」
「遠方で来てくれません」
「ベビーシッターとか」
「使ってません。調べてください」
「友達、ほらママ友とか」
「そんな人いません」
「そこらの人に頼めるでしょう。二時間くらい」
「それは難しいですね」さすがに俺も言った。「受ける人はいないでしょう。何かあったら責任がとれない。それにまず棄児を疑われます。通報される危険もある」
すると、青ネクタイがこちらを見た。
「……おい。あんた」
よく見ると、青ネクタイのこめかみには青筋が立っている。俺は腕を摑まれて立たされ、蓮くんを抱いたままリビングの外に引っぱっていかれる。
廊下でドアを閉めると、青ネクタイが睨めあげてきた。「おい。あんた。本社から来たんだってな」
「はい」
「いいかげんにしろ。なんで犯人側なんだ?」
「はい……?」
「なんで刑事が犯人と一緒に反論してくるんだ。邪魔をするな」
どっち側、という話ではないだろう。無理筋を押すような無駄は省くべきなのだ。
だがそこまで考えて気付く。なるほどこれは「警察側」の思考ではない。捜査方針に異を唱え、「和を乱して」いる。刑事の感覚からすれば、まずそう考えるべきだったのだ。
自分が「刑事の感覚」から離れていたことを自覚した。だがこれは、本当に悪いことなのだろうか。合理的に考えた結果のはずなのだ。仲間と足並みを合わせることより、少しでも早く犯人を逮捕し、市民の安全を守ることの方が大事だ。そもそもの目的はそれのはずだ。
俺は青ネクタイをまっすぐに見た。「……子供がいる限り、阿出川に犯行は無理です。公判でそう反論されたらまずい」
「あんたはどう見たか知らないが、阿出川は犯罪者だ。常識なんて通用しない」青ネクタイはドスを利かせた声で囁く。「……違うか?」
「赤ちゃんの方にも、置いていかれた形跡はありませんでした」さっき観察していたのだ。「俺が来た時、阿出川は赤ちゃんを簡単にそこらに置いて離れた。赤ちゃんの方も泣くこともなく、母親を振り返ることもなく平然としていた。……後追いも始まっている時期です。もし最近、置き去りにされた経験があるなら、赤ちゃんがあんなに平然としているのはおかしい。置いて背中を見せた瞬間にギャン泣きですよ」
青ネクタイは何か言いかけたが、蓮くんをちらりと見て沈黙した。
「あの赤ちゃんにはたぶん、放置された経験はないです」抵抗感はあるが、はっきり言っておかなくてはならなかった。「阿出川が犯行時、どこかに置いていった可能性は極めて小さい。となると……」
「不可能犯罪ですね」
振り返ると、いつの間にか後ろに来ていた妹背巡査長が顎に指を当てて考え込んでいた。「トリックを明らかにしない限り、逮捕は難しいかもしれません」
「そんなわけあるか。なんとでも」青ネクタイは言いかけて勢いをなくした。「……なんとか、なるだろう。そんなこと」
「いえ。正直な話、なんとかなってくれるなら」抱いている蓮くんが手を伸ばして壁の額縁に触ろうとしていた。離れようとして身を引いたらぐにゃりと揺れたので慌てて抱き直す。身を乗り出せば落ちる、ということをまだ学習してくれないのだ。「……本当に助かるんですが」
青ネクタイはそれを見たせいか、何も言わずに眉間に深い縦皺を作っただけだった。
沈黙が走る。蓮くんだけが「あえあ」とまだ額縁に触ろうとしている。
まさか、とは思っていたが、本当に不可能犯罪なのかもしれない。「子供から目が離せないから犯行は不可能」──少なくとも四係では聞いたことがない話だ。
だがそれは、もしかしたらこの世で最もありふれた「不可能」かもしれなかった。子供を連れている状態だと「不可能」が山ほどある。映画を観る。美術館に行く。レストランの料理をゆっくり味わう。好きな服を着て出かける。フレンドとオンラインゲームで盛り上がる。今も世界中で数億人の親が挑み、解決法を見つけられていない「不可能」なのだ。ありふれているがゆえに最強の「不可能」。解決法など見つけようものなら世界中が大騒ぎだ。
「ですが……っと」蓮くんが意地でも額縁を触ろうと身を乗り出すので危ない。「まだ分かりません。阿出川の証言が噓で、どこかに預ける当てがあったのかもしれません」
「例えば?」
「両親、それ以外の親戚、ベビーシッター。それに一応、夫も」
青ネクタイは漏らさないようメモを取り始めている。すべて確認するつもりなのだろう。この人もやはり刑事なのである。
俺は指を折りながら続けた。「保育所の一時保育。役所等も一時保育サービスをやっています。それから」
「だっだ」
「そうだ。託児室です。託児室のある美容院。最近はレストランなどで見守り付きのキッズルームがついているところもあります。客として入り、その場でうまく交渉して抜け出せば」
「だ!」
「まだあるかな? とにかく、それまで考えられなかったような業種でも『キッズルームあり・保育士常駐』のサービスが始まっています。そこも確認してください」
妹背巡査長が苦笑した。「誰と話してるんですか?」
「あ、いえ」蓮くんを上下に揺すってごまかす。最近は適当に発音しているのではなく、日本語になっていないだけで「会話」のやりとりができるようになってきたので、つい相手してしまうのである。「これらすべて、利用すれば記録が残ります。親戚やママ友も確認できるはずです。どこかに……」
なぜか拍手を始め、こちらに期待する目を向ける蓮くんに「おーそうだねーパチパチパチ」とリアクションを返してから青ネクタイ刑事を見る。「……どこかにあるはずです。犯行時の二時間、預けておいた場所が。それが見つかればいけます」
そう。見つかるはずなのだ。だからこそ阿出川は現場に子供を連れてきていた。
……だが、もし見つからなかったら?
第4回へつづく
本短篇を収録した『育休刑事 (諸事情により育休延長中)』は2023年4月24日発売!
書籍情報
育休刑事 (諸事情により育休延長中)
著者 似鳥 鶏
定価: 748円(本体680円+税)
発売日:2023年04月24日
★作品情報ページ:
https://www.kadokawa.co.jp/product/322211000499/
事件現場に赤ちゃん入ります! 新感覚本格ミステリ、続編が登場
捜査一課の巡査部長、事件に遭遇しましたが育休中であります! 男性刑事として初めての長期育児休業を延長中、1歳になる息子の成長で手一杯なのに、今日も事件は待ってくれない!?
【収録作品】
世界最大の「不可能」/徒歩でカーチェイス/あの人は嘘をついている/父親刑事
あとがき