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連載

王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」 vol.15

【連載小説】家を失いネットカフェ暮らし、手にした仕事も上手くいかない。この社会でどうやって生き抜けばいいのか。王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」#8-2

王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」

※本記事は連載小説です。
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「うわっ、あからさまにやばいやつじゃない? これ……」
 パンフレットをめくりながら、ヨーコがけんに思いっきりシワを寄せる。
「あたしこーゆーのはカンが働くんだ。水売る詐欺ってさあ、なんかしんないけど定期的に出てくるよね。このちっっっっちゃい字の注意事項とか、年寄りだます気まんまんじゃん。ねー、やばい人家に入れちゃったかもよ」
 廊下に敷かれた段ボールの上で、新聞紙の束を枕に、芽衣子はごろりと寝転がっていた。その姿勢のまま、個包装されたミニようかんをうつろな瞳で食べている。姫香が台所から探し出してきた、おそらくこの家にある唯一食べられそうな食品だ。
「あたくしが家に入れたわけじゃないわ。責められても困ります」
 ユキ江がそっぽを向くと、廊下に正座していた姫香が「すみません……」とうつむく。
「いや、誰が悪いとかじゃないけどさ……。おねーさん、ヨーカンもっといる? 水とかなしで食える?」
 ヨーコが声をかけるが、芽衣子はだるそうにただしやくを繰り返す。荒れた肌に涙で溶けた化粧が子供の落書きのようないびつな模様を描いている。
「そもそも、その方は何の用事があってうちにいらしたのかしら?」
「そこから説明しなきゃだめなのかよ。訪問販売とか、飛び込み営業とか、そういうやつだよ。今までも来たことあるんじゃないの? そういう人たち」
「さあ。記憶にないわ。最近はめっきりお客様も来なくなったから」
「まあ、普通は人が住んでるとは思わないもんなこの家……。こんな家に営業かけにくるとか、この人よっぽど切羽詰まってるか訪問販売のセンスがないかのどっちかだよ」
 ヨーコとユキ江が好き勝手な話をしている横で、姫香はひたすらはらはらしながら、横たわる芽衣子を見ていた。明らかに具合が悪そうなこの人に、何かお世話をしたほうがいいのではと思っているのだが、何をどうすればいいのかわからないので、とりあえず見ているのだ。
「昔は行き倒れなんて珍しくなかったのよ」
「その倒れた人はどうなってたわけ?」
「さあ……」
「知んないのかよ」
「亡くなってたんじゃないかしら。そのまま」
「軽っ。怖っ」
 そんなあけすけな話が聞こえているはずなのに、芽衣子は無表情のままひたすら羊羹を食っている。と思ったら、がばっと勢いよく起き上がった。
「うわっ、びっくりした……ちょっと、大丈夫? 寝ててもいいよまだ。あたしんちじゃないけどここ」
 ヨーコが言うと、芽衣子は無表情のまま、目だけらんらんと光らせてその場できちっと正座をした。
「お願いします」
 そのまま膝の前に手をつき、深々と頭を下げる。
「契約してください。どうか、どうかお願いします。弊社のウォーターサーバー、契約してください。お願いします。なんでもしますから……」
 芽衣子の声は抑揚がなく、次第に小さくなっていく。そのまままたつっぷして倒れてしまいそうだった。
「いやあ、なんか大変そうなのは分かるけど、ここの家じゃ無理だと思うよ。見てみなよ、こんな家がウォーターサーバーなんて置くと思うー?」
 ヨーコが家のあちこち──積み重なったゴミや天井から垂れ下がるの巣──を指差す。
「まあ、こんな家ってどういう意味かしら」
「ばーさんはややこしくなるからちょっと黙ってなよ」
「お水にお金を払うなんて馬鹿らしいわ」
「いや、普通の水も水道代払ってるから。……ていうかばーさん、気になってたんだけどマジでここで一人暮らしなの? 買い物とか光熱費とかの管理も自分でやってんの?」
「お金のことなんかあたくしは分からないわ。難しいでしょう。遠縁の男の方におまかせしてますの」
 ばん、と大きな音が鳴った。びっくりして、ヨーコもユキ江も口を閉じる。芽衣子の拳が、床を強く叩いた音だった。
「お願いしますって、こんなに、頼んでるじゃないですか。こんなにお願いしてるじゃないですか。何がいけないんですか。私の何がいけないんですか? どうして契約してくれないんです?」
 目を見開いてヨーコとユキ江と姫香をにらみつけながら、芽衣子はしやべり続けた。
「契約らなきゃいけないんです。今日こそ絶対に契約獲らなきゃいけないんです。お願いします。この通りです。必要なんです、契約が。生きていくのに。もうネカフェ代も尽きそうなんです。住む場所が無いんです。家が無いってどういう状況だか分かりますか? ニュースとかで聞いたことあるでしょう、ネカフェ難民。私、あれなんですよ。どういう暮らしか知ってますか。トイレくらいの狭い空間で、薄い仕切りのすぐ隣に知らない人が居て、すぐ横で寝てるみたいなイビキが聞こえたり、一晩中鼻かんでる人がいたり、変なことしてる音が聞こえたり、夜中にファミチキとかカレーメシの匂いがするんですよ。私、百円ローソンのさらに半額になった食材がご飯なんです。今日はちくわ一袋食べました。ほんとは何回かに分けて食べたいんですけど冷蔵庫が無いんです。ドリンクは飲み放題だからありがたいですよ。でもシャワーは百円入れるやつで、それだけだと身体からだは洗えても髪をゆすぎ終わらないんです。だからこっそりトイレで髪を濡らしてシャンプーつけて、それからシャワーブースに行って泡たてて洗ってそれからお湯流すんです。トイレはたまに流してない人がいるし、ゲロ吐いてる人もいるし、しかもそれを掃除してって店員さんに言うとなぜか私がうるさい客みたいな顔で見られるんですよ。おかしいですよね? ボロ家だからなんなんですか。あなたがた、こんな大きい家に住んでるじゃないですか。床とか天井とか壁とかあるじゃないですか。スリッパも自分専用のがあるじゃないですか。台所とかお風呂場とかトイレもあるんでしょ? 冷蔵庫も洗濯機も暖房もあるんでしょ? 恵まれてるじゃないですか。私よりずっと恵まれてるじゃないですか。土地もおたくのなんでしょ? 余裕あるんでしょう? 月数千円のウォーターサーバーくらい痛くもかゆくもないでしょう。なんで契約してくれないんですか。なんで誰も、たかが数千円、ハンコ一つ、私にくれないんですか。あなたたちみたいな、家とか、土地とか、そういうものを持ってる人にとってははした金の数千円が、今いるんです。私に。今日契約獲れなかったらペナルティになるんです。給料が出ないし、事務所の掃除を無給でしないといけなくなるんです。私だけなんです。私だけまだ一つも契約が獲れてないんです。どうして? 何がいけないんですか。何も間違ってない。マニュアルも全部暗記して服装だって規定通りにして何もかも言われた通りにやってるのに、どうして私だけいつも失敗するんですか? 何も持ってない。何もない。何にも頼れないから一人で全部何もかもやってきて、私何でも自分でできるんですよ。それなのにどうしてこういうことになるんですか。私は頑張ってるのに。言われた通りにしてるのに。悪い事もしてないのにどうして? こんなのおかしいじゃないですか。さぼったりしてないし、噓ついたり人を騙したこともないし、真面目に、ちゃんとしてきたんです。どうして? どうしていつまでもこうなんですか。なんでルールや法律破ったり噓ついたりだらしなかったりする人たちのほうが幸せそうなの? 私よりお金持ってるの? おかしいんですよ。おかしいでしょう? やめましょうよ。間違ってるから。こんなの間違ってるんです。間違ってるのはいけないことですよね? 正しましょうよ。ちゃんとさせなきゃ。だから私は契約が獲れないといけないんです。穫れるはずなんです。だってそうでしょうちゃんとしてるんですから。今までだってずっと、ずっと、ずっとちゃんとしてたんですよ。でも正社員になれないんです。おかしいでしょう? こんなのおかしい。何かが変。誰かが私を陥れてるんですか? そうなのかな。そうなのかもしれない。そうじゃなきゃこんな風になるの理解できない。誰が私をそんなに恨んでるんだろう。見当はつきます。つきますよ。でもそれが嫌だから東京に来たんです。東京には誰もいないから。私のこと知ってる人ここには誰もいないから。ここでなら今度こそ努力したぶんだけ幸せになれると思って来たんです。そのはずでしょう。東京はそうやって成功した人がたくさんいるでしょう。私も負けないくらい努力したんですよ。してるんです。それなのになんなんですか。どうして誰も契約してくれないんですか。水ですよ。飲むでしょう水。うちの水だっていいじゃないですか。契約してください……契約してください!」
 最後に叫ぶと、芽衣子は再び、両手をついた姿勢からそのままぐらりと倒れて横になってしまった。
 ヨーコとユキ江と姫香は、しんと黙ったまま、互いを見つめ合った。
「あの……どうしましょう。救急車、やっぱり呼んだほうが」
 姫香がおそるおそる言うと、ヨーコが自分のカーディガンのポケットから五百円玉を出した。
「それより、この人にはご飯がいるよ。あたし、これでコンビニでおにぎりかなんか買ってくる」
 よっこいしょと立ち上がろうとするのを見て、姫香が慌てて立ち上がった。
「わ、私が行きます。ヨーコさん、は、座っててください」
「いや、いーよ。あたしも運動はしたほうがいいしさ」
 そう言うとヨーコはさっさと玄関から出ていってしまった。戸を閉める直前、カーディガンで顔を拭うような仕草をした。
 残されたユキ江と姫香は、余計しんと静まり返った気がする玄関の中で、はっきりと目立って見える芽衣子のつむじを見つめながらじっとしていた。
「……よく分からなかったけど、たいへんな苦労をなさってるお嬢さんのようね」
 ユキ江が言う。
「姫香さん、この方が何おつしやってたか全部聞き取れました? 最近の人は早口だから、あたくしよく聞こえなくて」
「あ……聞き取れた、と思います」
「それで、あたくしはどうすればいいのかしら」
「ええと……水の契約をしてほしいみたいです」
「お水にお金払うなんてできないわ。そんなつまらないものより、ジュエリーか着物か何か売ればいいのに。ねえ?」
 どう返事すればいいのか分からず、姫香はあいまいに笑った。
 姫香の心臓は、どくどくと鳴っていた。「田澤」と名乗ったこの初対面の女性の突然の訴えとも告白ともつかない言葉に、胸が苦しくなっていた。この瘦せてスーツを着た賢そうな女の人と自分はまるで違って見えるのに、その言葉は姫香にすっと理解ができるものだった。同じことを考えていたわけではなく、ただそう感じる理由が姫香には分かった。
 そして、姫香は知っていた。自分がそれを知っているという意識すら無かったが、無意識にそれをすでに理解していた。芽衣子よりも先に、深く。この世は、頑張ったぶんきっちり等価の報酬がもらえる仕組みには、なっていないということを。

▶#9-1へつづく
◎第 8 回全文は「カドブンノベル」2020年10月号でお楽しみいただけます!


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