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連載

はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」 vol.11

【連載コラム】『日本のヤバい女の子』著者による、思考実験エッセイ はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」#11

はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」

第十一回〈〇〇が嫌でも〇〇を出て行かないのはダメじゃないんじゃない〉



 最近、ツイッターが重い。アプリを起動するのに数十秒かかり、立ち上がっても5分に一度のペースで落ちる。おそらく、60000アカウントをミュートしているからだと思う。
 ツイッターの「ミュート」とは、相手のツイートを自分には見えないように設定できる便利な機能である。相手からも自分のツイートが見えないように設定でき、さらにそれがはっきりと表示されてしまう「ブロック」機能に比べると、かなり穏やかだ。相手にネガティブな気づきを与えることもないので、「あ、この人ちょっと嫌な感じだな~」というレベルで使用してもお互いに何のデメリットも生じない有難いものである。
 そんなわけでどんどんミュートしている。対象となるのは、ほとんどがふと目にしたニュースなどに嫌な感じのリプライをつけている見知らぬアカウントだ。案外同じアカウントが何度もリプライしているのか、最近では「ミュートしているアカウントです」という注意書きだけがぶら下がっていることも増えた。

 ここまで読んだ方はきっと私のことをアホだと思っているだろう。1アカウントにつき1秒としても、これまでの貴重な人生のうち16時間もミュートボタンを押す行為に費やしている。この記事を書くために確認したところ、アプリがアカウント情報を保持できずにバグり、「ミュートしているアカウント数:14」とかなり少なめにカウントされていた。悲しい。
 アホには違いないのだが、私はこの「どんどんミュート活動」を結構真面目にやっている。「嫌な感じのリプライ」のトレンドが体感として分かる……ような気がするからだ。一度ミュートに設定するとそのアカウントは見えなくなるので、新規アカウントだけが表示される。それをさらにミュートにし、最新を更新していくことで鮮度の高いアカウントによる鮮度の高い「嫌な感じのリプライ」に触れられるという、画期的なライフハックだ!と言える……たぶん。

 そんな《体感的「嫌な感じのリプライ」興亡番付(私調べ)》にこのところランクインし続けているのが、【そんなに〇〇が嫌なら◯◯から出て行け!】というフレーズだ。2019年末頃まで「嫌な感じのリプライ」界をせつけんしていた【対話をもつて自分を論破してみろ!】という議論(っぽいもの)の要求を抑え、今年に入ってにわかに台頭してきた。
 そう、最近、やたら出て行かされそうになる。
 出て行かされる場所は「家」だったり、「町」だったり、「日本」だったり、「コミュニティ」だったり、「ジャンル」だったり、「文化」だったりと様々だが、とにかく出て行かされそうになる。家や町や日本やコミュニティやジャンルや文化に対して苦言のようなものを呈すと、「そんなに嫌なら(家や町や日本やコミュニティやジャンルや文化から)出て行け!」と言われてしまうのだ。
 もちろん、この「出て行け」は今までも存在していた。2016年に「保育園落ちた日本死ね!!!」という匿名ブログが投稿されたときだって、「死ねというくらい日本が嫌なら、日本から出て行け」というコメントが散見された。今年になって台頭してきたように見えるのは、多くの人が一つの同じ事柄に関心を持つことが去年よりも増えたからかもしれない。「出て行くべき場所」がラーメンのスープの表面に浮かんだ油分を箸でつついたときのように互いに癒着し、ひとつの大きな塊のように可視化されたからかもしれない。

 それにしても【そんなに〇〇が嫌なら◯◯から出て行け!】というのは、不思議なフレーズである。文章をでたらめに融合して作ったキメラのような、どうにも前半と後半がしっくりつながっていないような、接続詞を間違えて入れてしまったような、ちぐはぐなでこぼこを感じる。

 ちぐはぐの原因を探るため、この一文を[〇〇が嫌][そんなに~なら][〇〇から出て][行け!]の4つに分解してみる。

[〇〇が嫌]は、〇〇に不満がある状態を指す。これはあとで触れることにして一旦置いておこう。
[そんなに~なら]には、「嫌」の程度の大きさを非難するニュアンスが宿っている。多少の「嫌」なら看過してやるが、大きすぎる「嫌」は許さない。「嫌」レベルを制限することで、発言者が主導権を握っているかのように見せる効果がある。
[〇〇から出て]も、主導権が発言者にあると思わせる雰囲気作りに一役買っている。「嫌」と感じている側の〇〇にコミットする権利は奪われてよいということ、発言者の側に「権利を奪うという権利がある」ことが、しれっと前提に据えられている。
 さらに[行け!]という語気の荒い命令形によって、全てがうやむやになる。

 通常、不満を感じているAと、不満を感じていないBがいた場合、想定される解決策は少なくとも、
①AとBは出て行かず、共に改善する
②AとBは出て行かず、Aが改善する
③Aが出て行き、Bは改善しない
の3パターン存在するはずなのに、【そんなに〇〇が嫌なら◯◯から出て行け!】というごく短い一文は、あたかも選択肢①②が最初から存在しなかったかのようなムードを漂わせる。

 実は今、私は出て行こうかと真剣に考えている。日本をではない。住んでいるマンションをだ。人生で初めて近隣住民による騒音トラブルに遭遇し、何度か管理会社に相談したのだが、どうにも収まる気配がない。管理会社は注意喚起の通達を掲示板に張るのが精一杯、そもそも張り紙で反省して静かになるくらいなら最初から騒がないだろう。万事休す、というわけで引っ越しを検討している。
 検討している間も年中無休でうるさいので、先日、とうとうノイズキャンセリングヘッドホンを購入した。すごい。ものすごく静かだ。静かすぎて、装着するたびにヘッドホンのCMを気取って「ハッ」とした表情を浮かべるという小芝居を打ってしまう。しかし静かすぎて、ルームメイトと会話ができない。しかも割と高額だった。地味に手痛い。

「なんだ、ケチくさいな。どうせ引っ越すつもりだったんだろう。ヘッドホンを買う金を引っ越し代の足しにでもして、さっさと出て行けばよかったではないか」と思われるかもしれない。

 しかし考えてもみてほしい。「出て行け」と言うのは超簡単だが、「出て行く」のは結構大変だ。
 ──まず、出て行ったあと腰を落ち着ける場所を決めなければならない。住むエリアの目星をつけたら、住宅情報サイトを夜な夜なはいかいして物件を探す。不動産屋に電話し、内見に出向く。これを数回繰り返す。
 家が決まったら、引っ越し業者から相見積もりを取ったのち一社に絞り、契約する。
 次は荷造りだ。本棚のどの段にどの本が入っていたか覚えておかなければ復元できない。細々とした文房具や画材を今はペン立てに突っ込んでいるが、こんぽうするとなると整理を余儀なくされる。コートを一着入れるだけで段ボール箱はいっぱいになる。資料をしまい込んでいる間は仕事もままならない。新居に到着しても引っ越しは終わらない。詰めたら詰めた分だけ出して戻す必要がある。
 部屋は段ボールまみれ。新しい家から会社までのぎりぎりの通勤時間を計算してそれに慣れなければいけないし、遅刻しそうな朝には最寄りのタクシー乗り場を探し直さなければいけない。ゴミの日を間違える。帰り道のコンビニを失う。生活が一変する。

 別に特別な内容ではない、普通の引っ越しだ。自分で望んだ前向きな転居ならそこそこ楽しめるだろう。出て行くことそのものではなく、「出て行かざるを得ない」状況が問題なのだ。
 数年住んだ町を「出て行かざるを得ない」だけでもこれほどぐったりするのだから、生まれ育った土地ならもっと負担が大きい。子供の頃よく遊んだ公園も、学校の帰りに寄り道したミスドも、15分離れた所に住んでいる友達も、全て置いて行かなければならない。祖父母の顔を見に頻繁に帰省することもできない。国を出れば言葉も変わる。
 ひとりの人間が土地やコミュニティに根差して暮らすということは、そこに関わりのフックを引っかけながら生き続けていくということだ。嫌な部分もあるが、愛着もある。気心もある。歴史もある。生活もある。
「出て行け」ということは、それらを全て「失え」ということだ。身体に根を張った半生をべりべりと引き剝がされ、皮膚が剝がれたまま、どこかへ行けということだ。
「嫌」であることは、それほどまでに大罪なのだろうか?


 例えば、とある小学校のクラスで亀を飼っているとする。
 亀の世話は生き物係が引き受けると、4月の学級会で決められた。しかしいざ学校生活を始めてみると、案外他の係の仕事がない。亀は生きているので毎日世話しなければならない。そこで(ちょっとしんどいな~)と思った生き物係の生徒が「仕事が偏っているのは良くないのでは?」と言うと、「係に選ばれたとき、何も言っていなかったではないか!」「そんなにクラスの仕事が嫌なら、出て行け! 隣のクラスへ編入しろ!」と大騒ぎになる。
 そりゃあ隣のクラスへ編入することは物理的に不可能ではない。転校することだって、まあ、できる。かくして生き物係は大変な労力をかけてクラスを去る。誰も世話をする人がいなくなり、亀は死ぬ。

 ……これでは亀が気の毒すぎるので、死ぬ前に時間を巻き戻そう。
 さしあたり、新しい生き物係が選出される。生徒たちは世話をするシステムについて議論していないため、今までと同じ方法で良いと思っている。
 新・生き物係になった者は休み時間や放課後、遊んでいるクラスメイトを横目で見ながら水槽を洗わなければならない。そこで「仕事が偏っているのは良くないのでは?」と言うと、「係に選ばれたとき、何も言っていなかったではないか!」「そんなにクラスの仕事が嫌なら、出て行け! 隣のクラスへ編入しろ!」と大騒ぎになる。かくして生き物係は大変な労力をかけてクラスを去る。

 また新しい生き物係が選ばれる。議論が進んでいないので同じ方法が取られる。前・生き物係の話を誰も聞かないものだから、自分が係に任命されるまで、大変さが分からないのだ。転校に次ぐ転校。
 気づけば、ほぼ全員が学校を去り、残っているのは一人だけ。最後の生徒はどう世話をしていいか皆目見当のつかない亀を前に途方に暮れている。もちろん休み時間も放課後もない。正しい育て方が分からないので、亀はどんどん弱っていく。弱っていくので、授業中も付きっきりで亀を見守らなければならない。餌や病気のことを知っている歴代の生き物係たちはもういない。結局亀は死ぬ。
 故郷を追われた元クラスメイトたちは、風の頼りに訃報を聞いて虚無に襲われる。そして最後の生き物係は、亀の死骸を抱いていつまでも立ち尽くすのであった。
ーfinー 

 うーん、書いていて最悪の気分になってしまった。亀を飼っている人、すみません。架空の小学校の話なので許してほしい。架空の小学校なので先生が登場しないのもついでに許してもらおう。
 架空とはいえ私が最悪の気分になったのは、亀が死んだからである。このクラスでとにかく回避しなければならない大罪は、亀の死だ。生き物係のあり方に苦言を呈することではない。クラスの使命は、サステナブルな亀の飼育なのだから。
 もしも最初の生き物係がクラスを去らなければ、世話のノウハウは共有され、亀は生き延びただろう。「仕事が偏っているのは良くないのでは?」という声を締め出さなければ、世話係を班ごとにローテーションする新しいシステムが生まれただろう。分担が難しいようなら、生き物係の別の仕事を他のクラスメイトが肩代わりしてもいい。どんなアイデアが出ても「出て行け!」よりは建設的だ。

 とはいえ、この建設的な議論は放っておけば勝手に成立する……なんてことはないのだろうな、と簡単に予想できる。
 さっき「隣のクラスへ編入することは物理的に不可能ではない」と書いたばかりだが、本当はやっぱり大変だ。結局出て行かない、出て行けない人がほとんどだ。そして「出て行け!」はどうせ出て行けないだろうという算段に基づいている。だって、「出て行け!」と議論をシャットアウトしたまま卒業まで逃げ切れば、亀も死なない上に、自分も負担をかけられずに済む。
【そんなに〇〇が嫌なら◯◯から出て行け!】とは、【どうせ出て行けないのだから、黙って現状の〇〇を維持しろ!】なのである。
 この《亀と学園物語》がいい感じの結末を迎えるためには、壮大な展開が必要だ。
 ある日、偶然忘れ物を取りに戻ってきた生徒が、居残りしていた生き物係と交流するシーンから始めるのがいいだろうか。はたまた、内心では生き物係に賛同していた生徒たちがひょんなことからお互いの気持ちを知り、LINEグループを作るというストーリーがいいだろうか。何にせよ長くなりそうだ。長い物語を考えるには、ノイズのない、静かな環境が適している。今いる場所を出て行かなくても、高性能ヘッドホンやミュートボタンがきっと味方してくれるだろう。

つづく

「カドブンノベル」2020年11月号より


「カドブンノベル」2020年11月号

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