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連載

はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」 vol.12

【連載コラム】女同士が一生一緒に住む予定でいるのは、ダメ? はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」#12

はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」

最終回〈女が女と一生一緒に住む予定でいるのはダメじゃないんじゃない〉



 引っ越すことになった。引っ越し先は、ルームメイトの実家である。

 この連載にも書いたことがあるが、私はずいぶん長い期間、大学の友人(女)とルームシェアをしている。ルームメイトの話をするとこれまでも高確率で「付き合ってるの?」「いつまで一緒に住むの?」「どっちかが結婚するときどうするの?」と聞かれてきたが、彼女の実家に住む話をすると「付き合ってるの?」が「養子縁組したの?」に変わった。
 養子縁組はしていない。ルームメイトのご両親が諸事情により転居することになり、

 ご両親「家空くけどどうする? 折角やし、あんた住んだら?」
 ルームメイト「一人でファミリー向けの団地に住むの、きつくない?」
 ご両親「ほな今一緒に住んでる子もそのまま一緒に住んだらええやん」
 ルームメイトと私「「マジ?」」

 というありがたいお申し出により引っ越す運びとなった。

 住環境としてはさほど劇的な変化はないにもかかわらず、実家(の跡地)に間借りすることになった途端「養子縁組したの?」と聞かれるあたり、「実家に住む」ことを取り巻いているイメージの重みを感じる。かくいう私も「住んだらええやん」と言ってもらったときに思わず「マジっすか? いいんですか?」と聞いてしまった。私も普段は「好きな人間と好きなように暮らすのはダメじゃないんじゃない」などと言いながら、心のどこかでは(でも実家に住むのはさすがにダメかな?)と考えていたのかもしれない。

 どうせ住むなら経年によって傷んだところを修繕した方がいいということで、最近はいくつかのリフォーム会社の人が見積もりに来てくれている。別に物件の所有者でも何でもない私も、微妙なコミット具合で立ち会っている。
 親子三人らしき集団に、明らかに敬語でしやべっている謎の人物が交ざって空き家の中をうろうろ歩き回っているため、見積もりに来た方々は「誰が最終決裁者なんだ!?」という表情で全員に名刺を配るという細やかな配慮を余儀なくされている。すみません、とりあえず最終決裁者は私ではないです。

 しかしどこの会社の人にも、特に事情を聞かれることがないのはうれしい。その日会ったばかりの人にプライベートについて根掘り葉掘り聞かれるなんてあり得ないでしょ、と思われるかもしれないが、これが案外聞かれるのだ。
 今住んでいる賃貸マンションに引っ越したときには、大手引っ越し会社の人々に「おねーさんたち、どーゆー関係なんすか?」と聞かれて(ひょえ~、あんたらやめときや~)と思ってしまった。最近、ガスの点検があったときには、現場スタッフのおじさんが本社に点検終了をしらせる業務連絡の電話で、「名義人(ルームメイト)と立会人(私)が別の人間? しかも『夫婦』じゃない? どういう関係?」と聞かれていた。そんなことをおじさんに聞いても仕方ないのだが、このおじさんは「夫婦でも他人でも手続き上は問題ないでしょ、問題ないんだから聞けるわけないでしょ!」と電話口で怒ってくれて超良い人だった。おじさん、ありがとう。毎晩おじさんのご健康とご多幸を祈っています。

「夫婦じゃない? どういう関係?」という質問は、「実家に住む? 養子縁組したの?」という質問と根底でつながっている。

 実家に住むということは、「家族」の敷地に足を踏み入れるということだ。たとえご両親が引っ越した跡地だろうが、家賃を払っていようが、その一点が普通の賃貸マンションでルームシェアするよりも重いイメージをき立てている。
 実家に住むということは、「家族」になること。「家族」になるということは、結婚すること。結婚するということは、男女のつがいを作り、妊娠・出産し、血縁関係による「家族」を作ること。そんなイメージが染み渡っているから、女ふたりで「家族」を作るとなると、すわ養子縁組か!? となるのかもしれない。もちろん養子縁組そのものに何ら問題はない。持続可能とされる生活集団の単位が、男女のつがいから始まる妊娠・出産を想定した「家族」しかないこと。いつまでも続いていく関係でありたければ、その「家族」を模すしかないことが不思議なのだ。

 別にどんな生活集団で暮らしたっていいではないか、という話が出ると、必ず迎え撃とうとしてくる勢力がある。
「男女のつがいでなければ子供が生まれない! 妊娠・出産を想定した『生物学的に正しい』カップルを作る努力を全員がやめてしまったら、人類が滅亡する!」勢だ。「人類が滅亡しないよう、みんな男女のつがいになって家族を築いているのだから、お前だけ勝手なことすんなよ」という理屈である。

 折しも2020年9月、だち区議会にてしらいしまさてる区議が少子高齢社会への対応を問われ、「L(レズビアン)とG(ゲイ)が足立区に完全に広がってしまったら、子供が1人も生まれない」「LだってGだって、法律で守られているじゃないか、なんていうような話になったんでは、足立区は滅んでしまう」と発言し物議を醸していた。

 同性カップルは妊娠・出産を想定した「生物学的に正しい」組み合わせではない

 人類全員が同性カップルだった場合、妊娠・出産が「できない」

「出生率が0になる」

 人類滅亡……。

 というロジックらしい。

 人類全員が同性カップルになる確率は、人類全員が異性カップルになる確率と同じくらい、議論する意味がないほど低い気がする(人類全員がたまたま同じタイミングでいっせいに黒髪になるか?)。しかし仮に言葉遊びに乗っかるとすれば──もしも地球上に同性カップルだけが爆誕するという偶然が起きたとしたら、そしてその全員で人類を存続させ世界を回していくのだとしたら──我々も今いるメンバーで回していけるシステムを作ればいいだけの話じゃんと思ってしまった。たとえば、子供を望む人どうしがマッチングして妊娠・出産ができるシステムとか。もしもこのシステムを運用するなら、出産という行為の実働の鍵を握り、かつ負担も圧倒的に大きい女性側が経済的な理由などから生きる手段としてマッチングに参加せざるを得ないリスクをなくす必要がある。新しいシステムが生まれると必ず「悪用する人が出てくる」と言う人が出てくるものだが、新しいシステムが悪用できるなら今のシステムも全然悪用できるので、新旧あわせて悪用対策を考えることが人間の腕の見せ所である。

 そもそも【妊娠・出産ができる!=人類繁栄! できない!=人類滅亡! やばい!】というような話を、妊娠・出産が「できない」人が聞いたらどう思うだろうと考えただけでせんりつしてしまう。どうか偶然突風が吹いたりして、あまり聞こえていませんようにと願う。

 余談だが、私はたぶん妊娠・出産ができない。
 私とルームメイトがカップルだろうと友達だろうと、特に今回の連載テーマには関係ない(テーマによっては関係あるだろうが)のでひとまず置いておこう。それはそれとして、どのみち不可能なのだ。どういうわけだかさっぱり分からないけれど、私が昔から「妊娠・出産のことを考えるとパニックになる」という不思議な性質を持っているためである。
「知識がないから怖く感じるのかな?」と思ってとりあえず女性器及びその周辺部位から妊娠・出産までのもろもろについて調べてみたのだが、ますますパニックになるだけで特に解決せず、ただ詳しくなっただけだった。私の場合は偶然にも子供が欲しいという気持ちがなかったので、最近ではこの現象には特に理由はなく「ピーマンが絶対無理」とかそういうタイプの現象だと諦め、無理なままでいることにしている。
 機能があるなら産むべきと言われてもこればかりはどうしようもない。女と住もうが男と住もうが一人で暮らそうが、無理なものは無理なのだ。たぶん私も足立区議的には滅亡に加担している存在なのだろう。

 しかし、ここで社会性である。なんとラッキー、人間は社会的な生き物なのである!

 社会的な生き物は社会を形成できる。たとえば納税したり、買い物して経済を回したり、駅でベビーカーの移動を手助けしたりできる。つまり、社会の一員でいることで、人類の繁栄に大小様々な形で貢献できるということだ。
 先述の足立区議の発言へのアンチテーゼとして、レズビアンやゲイ当事者の人々を中心に「大丈夫、今住んでいる街、別に滅んでないよ!」とSNSに写真を投稿する動きがあった。その投稿に「今はまだ滅んでないだけ」「この先の繁栄はどうするの? 誰かがやってくれるからいいってこと?」と食い下がる人がいたが、そう、まさに誰かがやってくれて、その誰かを別の行動で支えられることが社会的な生き物のメリットなのである。人間に生まれてよかった。



 もはや、人類全員が男女のつがいから始まる妊娠・出産を想定した「家族」を築き、血縁に基づいて「家族」を拡大していく従来のシステムだけでは、我々が繁栄することは不可能である。そのシステムに当てはまらない、そのシステムだけではどうにも生きづらい人がいるらしい、ということに我々がもう気づき終えてしまっているからだ。
 気づいてしまった以上、取るべき方法は二つしかない。

 ①従来のシステムの幅を広げ、人間の負担を減らす
 ②従来のシステムに人間の方を合わせる

①従来のシステムの幅を広げ、人間の負担を減らす
 が実現すれば、きっと「男女のつがいから始まる妊娠・出産を想定した『家族』が個人的な事情にかかわらずとにかくクリアするべきもの」という漠然とした焦りも、「なんとなく男女のつがいじゃないと普遍的でない気がする」という不安も霧散していくだろう。子供を持つことにもっと様々なルートでアプローチできるようになるだろう。男女の結婚が「最終的には必ず他のあらゆる予定をりようするもの」でなくなれば、女ふたりで暮らしていても「いつまで一緒に住むの?」「どっちかが結婚するときどうするの?」と聞かれることも減るだろう。

②従来のシステムに人間の方を合わせる
 を選ぶと、社会のために人間が存在することになってしまう。つがいたくない組み合わせで無理やりつがわせ、労働や家庭労働に従事したくない人間に無理やり従事させ、妊娠・出産したくない人間に無理やり出産させる羽目になる。するとどうなるかというと、生きている喜びが全くなく、死んでいる状態で生きる羽目になる。これでは本末転倒である。

 せっかく人間が生きるために社会を形成したはずなのに、その運営のために人間が死ぬほどつらい目にっていたら意味がなさすぎるのでは!?
 だって「お前が妊娠・出産のことを考えるとパニックになるなんて知らん。とにかく子供を産め」なんて言われたら、私はマジでパニックになってそのまま失神し、それきり目を覚まさない可能性が高い。それなら失神してる間にせいぜい働いて、別の方法で社会に貢献した方が、どう考えても効率がいい。現に今だって「とにかく子供を産め」と言われることを想像するだけで具合が悪くなり、結果原稿が遅れている。原稿が遅れると編集者の方に迷惑がかかり、業務を遅延させ、社会を停滞させてしまう。だいたい、ああ、私って人類の滅亡に加担してるんだ……などと思っていたらテンションが下がって働けるものも働けないではないか。

 そんなわけで、私には今のところ納税できる元気もあることだし、引っ越しをして女ふたりの生活環境を整え、気合いを入れて働こうと思っている。この引っ越しによって、ますます人類は繁栄することだろう。ちなみに働いて納税できない人も、働いて納税できない期間を生き延びられるシステムを構築できるのが人間のいいところだ。人間に生まれてよかった。

 これからも人類のご健康とご多幸を祈っている。

※本作は単行本として、小社より刊行予定です。

追伸:
『ダメじゃないんじゃないんじゃない』は今号で連載を終わり、これからさらに他のトピックスを書き加えて書籍にするべく準備を進めて参ります。書籍刊行の際に手に取っていただけると、経済が回り、納税もでき、ますます人類の繁栄に貢献できることと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。

「カドブンノベル」2020年12月号より


「カドブンノベル」2020年12月号

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