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連載

はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」 vol.1

【新連載 はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」】『日本のヤバい女の子』著者による、思考実験エッセイ#1

はらだ有彩「ダメじゃないんじゃないんじゃない」


 はじめに

 自分でもよく分からないまま「ダメ」だと思い込んでいることはたくさんある。例えば、「新卒で入った会社には3年いなくてはならない」。私は素直な良い子だったのでこの言葉をみにしてブラック企業に3年間在籍し続け、世を呪っていた(会社だって、そんな感じで3年もいられて迷惑だったかもしれない。なんかすみません)。例えば、「制服のソックスは2回折らなければならない」。通っていた高校にはマフラーをステンカラーのコートの中に巻かなければいけないという校則まであり、生徒たちは毎朝、窒息しかけてオゲー! となっていた。
 この世には「別にダメじゃないのに、なんかダメっぽいことになっている」ものがまだまだあるような気がする。ダメと言われてぼんやりと守ってしまっていることがある気がする。反対に、ぼんやりと誰かにダメと言ってしまっていることだってある気がする。
 というわけで「それ、別にダメじゃないんじゃない?」と気になったことをメモしていくことにした。メモなので、書きながらぐるんぐるんと同じところを回っているかもしれない。書いているうちに時代が変わって「ダメじゃない」ことになってしまったらうれしい。とにかく私は「ダメ」の大海原にぎだそうと思う。「ダメ」とは何か。その真理を求めて──。

 第一回《フレンチで女が「おあいそ」するのはダメじゃないんじゃない》

 第一回のタイトルから「いや別にダメじゃないでしょ。好きにしたらええがな」と言われそうだが、そして全くもってその通りなのだが、気になる体験があったので書かせてほしい。
 数年前の初夏、当時交際していた男性の誕生日。私は男性が前から行ってみたいと言っていたフレンチのレストランを予約しておいた。お誕生日祝いであることをお店の人に伝え、キャンドルつきのケーキを出してもらえることになっていた。ちなみに我々の支払いスタイルは平常時は完全に割り勘、全額おごられてしかるべき事情がある場合のみ、ありがたくおもてなししていただくという決まりである。
 しい食事を楽しみ、ケーキと一緒に写真を撮り、お会計の運びとなる。私が「おあいそ」の旨を伝えると、スタッフの人が一瞬、ぎょっとした。ぎょっとしつつも親切に伝票を持ってきてくれる。しかしその伝票は私の向かいに座る男性の手元に置かれたのであった。
 わー!
 私は慌てた。この人、今めちゃくちゃ祝われていたのに、自腹で支払うと思われているのか!? そして私は自分で予約しておきながらタダ飯を食うと思われていたのか!? なんということだ。お誕生日なのに、金額がバレてしまった。にわかに変な空気になったテーブルで、交際相手の男性が言った。
「ま、まあ、フレンチは男が払うのがセオリーだから……女性に渡すメニューには、金額書いてないこともあるし……」
 もちろん「女がおあいそをお願いしてはいけない」という道理はどこにもない。にもかかわらず、時々「支払いは男性がするもの」という前提で話が進むことがある。男性が払う。だから伝票を男性に渡す。しかし、純粋な疑問なのだが、支払いをするべき存在としての「男性」かどうかはどうやって判断するのだろう。お店の入り口で性別を確認でもしない限り、見た目がいわゆる男性っぽいか女性っぽいか、という観点でしか見分けがつかない。マニッシュな女性とフェミニンな男性の組み合わせだった場合、マニッシュな女性が支払うのだろうか。それとも生まれたときの身体からだの性別に厳密に従うのだろうか。見た目と性自認が異なる人の場合は何を基準に決めるのだろうか。

「それがマナーというものなんだから全体の調和を重んじた方がいいよ」と言う人がいるかもしれない。しかし、それがマナーだと言うのなら、マナーとは何を達成するためのものなのだろう。レストラン全体の、絵的な調和だろうか。本当にそんなもののために私たちは行動しているのだろうか。男性ばかりが支払いをしている中で、女性がチェックのために手を挙げたとして、「うわっ、あの人、女なのにお会計してる」とか思う人、いなくない?
「そんなこといちいち考えてられるか」とか、「男性が支払うケースの方が多いんだからごちゃごちゃ言うな」とか、「常連でもないのにそんなに気を遣ってもらおうとするなよ」とか、「もうお前、フレンチなんか行くな」と言う人もいるかもしれない。できればそんな風に言わないでほしいが、言わないでほしいと頼んだところで「言う人」が口をつぐむとは思えない。人の行動はなかなか変えられない。お店の人も忙しい合間を縫ってサーヴしてくれているのだし、何かこちらから働きかけることはできないだろうか。
 どうすれば性別以外の要素で、「こいつ、明らかに支払いするな」と思ってもらえるか考えてみた。

(1)ものすご~くお金を持っていそうな装いで行く。同時に、同行者の服装をできるだけラフにしてもらう。
 両者にコントラストをつけることによって、消去法で支払いしそうな感じを演出する。これはちょっと良いアイデアっぽいが、実は悪手である。「見た目で扱いを変えてもらう」という発想が「ブルーデニムで来店した客を追い返したレストランが、同じ客がスーツに着替えて再来店したら席に案内した」的なエピソードを想起させ、苦々しい気持ちになるので却下。
(2)頭に札束のカチューシャをつける。
 相対評価が後味の悪さを呼び起こすなら、絶対評価方式はどうだろう。ここまで馬鹿馬鹿しいメソッドだと逆に笑えるかもしれない。しかし、せっかく金額を伏せてくれているメニューを見ていても、視界に現金が入ってくるシチュエーションでお誕生日を祝われるのはあまり嬉しくないだろう。隠しきれない生々しさが漂う。却下。
(3)祝われる人物に「あんたが主役」たすきをつけてもらい、「明らかにゲスト側である」ことを全身で表現してもらう。
 せっかくのハレの日なのに祝われる側の負荷が大きいが、お祭り好きの人ならやってくれるかもしれない。頭に王冠などを載せてもらうとなお良い。しかしレストラン全体における調和はどのみち崩れるであろう……。私はおめでたくて好きだが、ここでは却下。
(4)事前にカードで振り込む。
 これはいいかもしれない。カード支払いはお店に手数料がかかるから、ごひいのお店ではやらない方が良いという説もあるが、振込なら手数料もこちら持ちだし、あつれきなく支払いができるのでは!?


 ……と、ここまで妄想して我に返った。なぜ、ただ飲食代金を支払うためにこんなことをしなければならないのだ。振込手数料の数百円、完全に無駄ではないか。お店の人も、なんだか当てこすられているみたいでイヤだろう。
 結局、具体的な解決策としては
 ・予約時に誰が支払うかについてのコンセンサスをお店とお客さんの間で取っておく
 ・基本的に、チェックを頼んだ人の手元に伝票を置く
 が妥当かしらね~、というところに落ち着いた。色々妄想した割に地味な結論である。

 そもそも「男性が支払う」「エスコートする」、ひいては「女性をもてなす」「レディファースト」は、現代では「女性を優先し、恭しく接する」という意味で用いられるが、かつては「女性を軽んじ、奉仕させ、その場から排除する」というトラディションだった。くだんの精神がヨーロッパに発祥した中世から、ゆうに数百年はつ。数百年で何が変わっただろう。女性が裾の長いドレスを日常的に着ることが減り、パンツスタイルを選ぶことができるようになった。生計を立てるための手段が細分化し、市民化し、広く共通する生活のテンプレートが少なくなった。男女ともに労働しているケースが多くなった。
 とはいえ、お互いに労働しているのだから今後一切の支払いは割り勘するのが正義だ!と結論づけるのは早計な気もする。厚生労働省の「平成29年賃金構造基本統計調査」によると男性を100としたときの女性の賃金は73・4。この男女間賃金格差は昭和51年の調査以降で過去最小と言われているが、まあ、別に喜ばしくはない。言うまでもなく、この差が単純に女性自身の参画意欲に由来すると考えるのはもっと早計である。女性にしかできない出産と、女性にしかできないわけではない育児&家事がなんとなくセット化され、キャリア形成に大きな影響を与えている。幼児期から、出産となんとなくセット化された育児&家事が想定されたあらゆる外部刺激を受けるため、個人の努力で立ち向かうことが非常に難しい。もちろん「じゃあ明日から幼児教育を刷新しましょう!」「よっしゃ! 任せろ!」で即日解決……などということにはならない。風が吹けばおけもうかるからといって、風とともに儲かるわけではないのだ。

 それではやはりお金を多く持っている方──多くの場合は男性──が多く負担すればオールOKなのかというと、そう言い切ってしまうことにも一抹の不安を覚える。自分の行動にかかった経費を誰かに支払ってもらうことに言いしれない不穏さを感じる。何らかの業績を生み出して料金を支払ってもらったり、その過程で発生する経費を請求することは、バリューに対するバックだから等価交換だ。だけど一緒に過ごすために発生した料金を払ってもらってしまうと、何か返さなければならない気分になる。何を返せばいいのか考えていると、行動全てが対価のように思えて、不用意にパワーバランスが崩れているように思えて、ますますいやになってくる(これはもちろん個人的な感覚であり、エスコートを楽しめる人や、異なる計算式を持つ人にはあまり親和性がないものだろう)。だから私にとって交際相手のお誕生日というのは、珍しく大々的に一方的な支払いを楽しむ機会だった。そんなときに伝票をもらうこともできないというのは、何ともやるせないではないか。私だって親しい人をスマートにもてなしたい。

 ……ちょっと恨み節のようになってしまったが、正直、この「恨み」をぶつける先はない。テーブル越しに伝票を自分の手元に回してもらい財布を取り出すと、ベテランの店員さんはもう事態を察知し、紙幣を受け取ってくれた。この人が悪いわけでは決してない。だけど言葉の意味をアップデートしてもいいように、その周辺の習慣を書き換えることだって、ダメじゃないのではないだろうか。少し余白を残しておいてもいいのではないだろうか。そう思いながら、私は自分の財布にお釣りをしまうのだった。

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「文芸カドカワ」2019年7月号収録「ダメじゃないんじゃないんじゃない」第 1 回より


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