パートナーから見た自分は、こんなに違う――窪美澄【コロナの時代の読書】
コロナの時代の読書〜私たちは何を読むべきか
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文字と想像力があれば、人はどこにでも行ける。
世界の見え方が変わる一冊、ここにあります。
窪美澄さんが選んだ一冊
『アダムとイヴの日記』
マーク・トウェイン・著 大久保博・訳(角川文庫)
https://bookwalker.jp/debbe8ee0b-9606-4120-8437-5dc3745f27d2/
コロナの自粛期間を経て、人と人とのつながりについて考えた人も多いと思う。特にパートナーと暮らしていてリモートワークを体験した方は、今まで以上に一緒にいる時間が長く、うんざりしたり、時には喧嘩をしたり、また、改めて、パートナーがいることの大事さについて思いを馳せたのではないだろうか。
相手が見ている私と、私が思っている自分はこんなにも違う。また、その反対に、私が見ている相手と、相手が抱えているセルフイメージというものにも大きな隔たりがある。そのふたつはこんなにも違うのに、人間は言葉や行動を通してしか、その差異を埋めていくことができない不器用な生きものだ。そのことが悲しくもあり、また、救いでもある。
そんな関係性の真理を、ユーモアを交えつつ描いたのがマーク・トウェインの『アダムとイヴの日記』だ。聖書に登場するあの世界最初の男女、アダムとイヴがもし日記を書いていたら――。アダムから見たイヴ、イヴから見たアダム。その視線は多くの場合、交わることがない。同じ出来事を体験していても、「同じ体験をした」ということすら定かではない。同じエデンという楽園にいたとしても、彼らの思いは同じではない。恋や出産という大きな出来事でも、彼らの思いの多くは交差しない。そこに悲喜劇がある。エデンを追放されたあとも、彼らの人生は続く。それでも、イヴの日記の最後にあるアダムの言葉に胸が詰まる。二人で生きていく、ということにはどんな意味があるのだろう、そんなことに迷っている方に是非読んでいただきたい一冊だ。
窪美澄(小説家)
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