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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.38

【連載第38回】東田直樹の絆創膏日記「食事は大仕事」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす25歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第37回】東田直樹の絆創膏日記「雲の上の夏休み」

 NHK教育テレビ「おかあさんといっしょ」のうたのお兄さんだった横山だいすけさんが、歌番組に出演されていた。
 家族が「だいすけお兄さんがテレビに出てるよ」と僕に教えてくれたが、僕は、歌っている人がだいすけお兄さんだと、全くわからなかった。どうしてこの人がだいすけお兄さんなのだろう、と考えている内に、だいすけお兄さんの出番は終わってしまった。
 その人が誰だかわからないことがよくある。僕は、人を覚える時、場所とセットにして記憶していることがほとんどだ。場所は、時間が動いても、そこにあるものだから、人も場所と一緒に覚えるようにすると頭に残りやすい。
 人は、その時々で変わる。髪形や服装、持ち物だけでなく、場所が変われば、声の調子や雰囲気まで違う人もいる。
 相貌失認そうぼうしつにんという「人の顔を見ても表情の識別が出来ず、誰の顔かわからない」とされる障害もあるが、僕の場合は少し違う。
 相手の表情自体は読み取れているような気がする。怒っている顔、悲しんでいる顔、喜んでいる顔、それぞれの区別はつくが誰だかわからないのだ。名前を聞くと、そうかと思う。けれど、自分の中で納得した訳ではない。
 誰だかわからないなんて、さぞ困ったり、不便を感じたりしているのではと心配されることもあるが、仕方ない。小さい頃から人の区別がつかなかったので、これが僕の普通だとも言える。
 いいこともある。
 相手によって、自分を変える必要がないことだ。
 誰に対しても同じように振る舞えるのは、利点だと捉えている人が、案外多いのではないだろうか。
 人からは、裏表のない人間だと思ってもらえている可能性がある。

 セルフサービスのレストランでシルバーカーを押した一人の高齢の女性を見かけた。その店では、注文したメニューが出来上がると、渡されたブザーが振動する。
 高齢の女性は注文をした後、席に座っていたが、自分の番が近くなって来ると、何度も椅子から立ち上がったり、座ったりを繰り返していた。店員さんを待たせたらいけないと、すぐにカウンターに取りに行けるようにしているのかと思っていたが、そういう感じでもない。
 もしかしたら、心配でたまらなかったのではないのか。自分の番が抜かされるという不安があったのかもしれない。
 店員さんが間違って自分の分を他の人に渡してしまったら大変だ、そう思うと居ても立ってもいられない。この気持ちはよくわかる。食べることに関しては、僕も待っていられないからだ。今食べなければ飢え死にしてしまうくらいの勢いで、いつも僕はご飯を食べてしまう。
 食べることそのものが、大仕事なのである。
 食べたら満足するというより落ち着く。すると、しばらくは食事のことは頭から消えるけれど、次の食事の時間が近づくと、またそわそわし始めるのである。食べることに関しては、僕も執着が強い。
 店員さんも、高齢の女性のことを気にかけていたらしく、出来上がった料理は、その方の席まで運んであげていた。
 高齢の女性が食べ始めると、お店の中全体が、ほっとしたような空気に包まれた。
 みんな安心して自分の分を食べたいのだ。

 認めてもらいたいと思っても、何事も結果を残さなければ難しいのが現実である。それはビジネスでも、スポーツなどの勝負の世界でも言えることだと思う。よりよい結果を出した人が勝ちだということが、はっきりしているからである。
 けれど子育ては違う。
 子どもがどのような大人になれば成功したと言えるのか、一概には決められない。生きていく上で、何に幸せを見出すかは、さまざまだからだ。
 親が子どもの理想的な未来を描いても、思い通りにならないことの方が多いに違いない。だからといって、子育てに失敗したわけではない。
 子育ては、結果ではなく、その歩みが重要なのだろう。
 子どもが成長するまで、親子、そして家族で、どういった時間を過ごすかを、大事にするべきだと思う。
 子どもが本当に望んでいるのは、ささやかな毎日の幸せではないかと考えることがある。
 親が笑ってくれると、子どもは嬉しくなる。親が子どもの幸せを願うように、子どもは、いつも親の幸せを願っているものだ。幸せな子ども時代を過ごせるかどうかは、親の責任だけではないが、親の役割は大きいような気がする。
 今でも僕の心の支えになっている親との思い出は、自分が辛い時にかけてくれた言葉や握ってくれた手の温もりである。
 お金で買えないものの中に、かけがえのない幸せは眠っている。

 生きる上での「生産性」についての議論がされることがある。仕事をやっていたり、子どもを産んだりしている人は、生産性が高いというようなことを言う人がいるらしい。
 生産性とは、「生産過程に投入される生産要素が生産物の産出に貢献する程度」(小学館『デジタル大辞林』)という意味である。経済学で使われる用語を人に当てはめていること自体が、批判の対象となっているのではないだろうか。
 生産性が高ければ、人類は発展するのだろうか。一概にはそうとも言えない。人類の発展とは、そんな単純な理論では判断できない奥深いものだからだ。
 生産性を妨げるものとは何か。
 人間が戦うべき相手は、人間だけではない。目に見えない病原体や有害物質、自然災害、動物や植物に至るまで、脅威は、そこかしこに存在しているのである。どのような遺伝子や個性を持った人間が生き残れるか、必要とされるのかは誰にもわからない。
 生きる価値に優劣をつければ、やがて人は滅んでしまうだろう。
 生きることが尊いことなのだ。
 そうでなければ、いつか自分も社会に不要な人間だと見なされてしまう日が来る。
 みんな誰かのおかげで、この世に生まれた。全く同じ人間が存在しないことが奇跡なのである。
 生きているだけで、誰もが立派な勇者なのだ。


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