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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.35

【連載第35回】東田直樹の絆創膏日記「文字たちの行進」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす25歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第34回】「戸棚の中の宇宙」

 僕が9歳の時、ハムスターを飼っていた。名前はラッキー。
 よちよちと歩いていたかと思うと、つかまえられないくらいチョロチョロと動き回ることもあり、予想できない行動をするので、僕は最初ラッキーのことが苦手だった。
 僕の足にまとわりついて来たらどうしよう。
 ラッキーが近づいて来ても、僕の方が逃げていた。
 夜になると回し車の音が、カラカラ、カラカラと家中に鳴り響く。
 そっとゲージの中を覗くと、ラッキーが一所懸命に走っている。その姿は、草原を走るライオンみたいだ。
 こんな風に立派に走ることが出来るんだ、びっくりした。
 回し車の中で思い切り走り続けるラッキー。
 どんなに走っても風景が変わらないことを、ラッキーは気づいてる?
 回し車の中のラッキーは、少しかわいそうだ。
 手の平の上では、ちょこんと座り、もそもそ動くラッキー。
 いつものえさとは別に、時々、ラッキーには、ひまわりの種をあげた。両手を伸ばし、受け取ってくれる、なんて、かわいいのだろう。僕は、ひまわりの種を続けて5つもラッキーに渡してしまい、家族に叱られた。食べさせ過ぎはいけないらしい。「ごめんね、ラッキー」
 僕は、視界の隅っこで、毎日ラッキーを確認した。
 今は何をしているのかな。昼間は、ゲージの中で寝ていることも多い。
 ラッキーが大人しくなって来たと感じていたある日、ラッキーは動かなくなった。そして静かに息を引き取った。悲しくて家族はポロポロと泣いた。
「ラッキー……」
 僕は死んでしまったラッキーを見ることが出来なかった。
 小さな箱の中には、ラッキーが好きだったひまわりの種と庭に咲いていた花が添えられた。
「ラッキー、さようなら」そう言おうとして、僕は言葉を飲み込んだ。
 突然の別れに体が震える、心が痛い。
 ラッキーがいなくなった家の中、僕の視界に寂しさが広がった。

 映画やテレビの最後にエンドロールとして、出演者や制作者、協力者などの氏名が字幕で現れる。
 僕は、それを見るのが好きだ。誰が出ていたのかを知りたいわけではない。文字が次々と流れるのが快感なのである。
 文字は普通、自分が目で追って読むものである。けれど、エンドロールは、文字の方が僕の目の前を移動していくのが楽しい。
 一文字一文字がきちんと並び行進する。兵隊さんみたいに、どの文字も胸を張って歩いている。
 見とれてはいるが、僕は流れるエンドロールの文字を読んではいない。読んではいないが、エンドロールが少しでも長く続くことを応援している。
 一定の速度で移動していく文字の列が、滞りなく流れ続けるよう、文字の動きと同じ速度で、右手の人差し指を右から左へ、あるいは上から下へ、くいっ、くいっと動かすのが、僕の役目である。字幕が止まることなどないが、こうせずにはいられないのだ。
 字幕が延々と流れる番組があれば、きっと僕は、何時間でも眺めているだろう。
 あきることなどない。僕ではなく、脳が快感のために見ているものだからだ。
 みんなが不思議がる。
「どこが楽しいの?」と聞かれても答えられない。これは、どんなに説明しても理解してもらえないこととは正反対の状況だ。しかし、自分以外の人が、疑問を解消できないという点では同じだと思う。

 7月7日は七夕だが、それどころではない状況だ。
 今現在も、たくさんの地域で河川の氾濫や土砂崩れ、浸水の危険が続く。救助を待っている人や安否のわからない人をみんなが心配している。
 言葉も出ない。
 どれだけ大変か、僕には想像もつかない。
 自然災害は恐ろしい。被害にあわれた人たちが、「生まれて初めての経験だ」と口をそろえて言っていた。数十年に一度の災害だから当然である。
 見たこともない甚大な被害、元の生活に戻るまで、どれくらい時間がかかるのだろう。
「どうして、こんなことになったのか、頭の中は真っ白だ」と言う人もいた。
 予想外の事態に陥り、そうなった理由を探ろうとする。理由がわかれば気持ちを整理しやすいからだ。そういう人こそ、理性的ではないのか。現状を分析し、自分に何が出来るのかを、真っ先に考えようとしているに違いない。
 それでも思考が停止してしまうのは、おそらく脳が、非常事態のためのプログラムを再構築しているのだ。
 考えられない時には、考えない方がいい場合もある。
 思考が追い付くまで、少しの間だけでも、脳を休めた方がいいと思う。
 笹に飾られた色とりどりの短冊は、神様の元へ届いたのだろうか。
 災害に巻き込まれた方たちの無事を祈る願いも、必ず叶えてほしい。

 言葉というものは興味深い。
 奇声や大声を聞いて振り向かない人も、「あれっ」とか「ほら」という言葉になると注意を向ける。何を指しているのかわからなくても一応見る。
「わぁー」や「おー」では、だめなのだ。その言葉に意味がないからだろう。
 知っている言葉になったとたん、そこに関心は生まれる。
 文字盤を使わない時の僕は、原始人みたいに「あーあー」とか「うーっ」という声で、自分の意思を伝えることが多い。言葉が出て来ないからである。そんな僕も、声だけは出したい時に出せるようになって来た。
 相変わらず、意味のないおかしな声も出てしまうが、自分が話したい時に声が出るようになったおかげで、周りの人に自分の気持ちが届きやすくなったと思う。 
 言葉にしなくても何を言いたいのか、察してもらえた、そんな経験は、誰にでもあるだろう。
 わかり合おうとする思いと積み重ねた時が、お互いの心をつないでくれるのだ。
 意味のない言葉にも関心が向けられた、誰かが自分の言葉をわかろうとしてくれた、そんな経験のひとつひとつが、話せない人の心を成長させる。
 何とかして気持ちを伝えたいと思うのは、自分の言葉を聞いてくれる人がいるからだ。
 相手の心に寄り添うことで、大切な絆は結ばれる。


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