【カドブンレビュー】
殺されてしまった赤の他人の霊なんて見たくないし、死者の声が急に聞こえて来たら、精神をやられかねない。
しかし、もしも最愛の人の命が理不尽に奪われたら、どんな形でもいいからもう一度会いたいと思うはずだ。
この本は、生きている人間が霊の存在を感じることで、心が救われる様々な瞬間を描いたオカルト小説集だ。
無駄を排した短編の中に、恐怖と悲哀と静かな感動が同居している。
第1話は「世界で一番、みじかい小説」。
中央線沿線のマンションに二人暮らしをする夫婦、僕と千冬。ある日を境に、急に室内に“男”の幽霊が出没するようになる。“男”はなんの前触れもなく、壁際だったり、廊下の隅であったり、お風呂場だったりに現れ、ホログラムのようにただ静かに佇む。程なくして、会社や外出先にも現れるようになる。しかも“男”は、僕と千冬以外の人には見えないようなのだ。
いつ幽霊が現れるか分からない恐怖に、僕は精神を蝕まれ、倒れてしまう。
しかし、千冬はいつも通りクールなままだ。冷静に“男”を観察し続ける。そして、倒れた僕のために、再発防止に取り組むことを宣言する。
千冬の推理と行動力によって、男が誰なのか、なぜ死んだのか、そして二人に取り憑いてしまった理由が判明する。
その時、読者には千冬がこの心霊現象にクールに対処できた理由も分かってしまうのだ。
千冬はずっと、産まれることのできなかった自らの赤子について考え続けていた。そして、“魂がなにかに取り憑く可能性がある”というその事実が、彼女の心に癒しをもたらす。
短編であるが故に、僕と千冬の年齢も、胎児の死因も直接的には書かれていない。そのため、読者は自分が望む二人の過去と未来を思い描くことができる。この余白の部分が読者にも癒しをもたらしてくれる。
そして5話目の「子どもを沈める」も印象的な短編だ。
4人組の女子高校生がクラスメイトの生田目頼子をいじめ続け、ついには自殺に追い込む。しかし、彼女たちが法によって裁かれることはなかった。
時が経ち、彼女たちのうちの3人は、それぞれ自分が産んだ赤ん坊を自らの手で殺してしまう。なぜか赤ん坊が生田目頼子そっくりに育っていき、耐えきれなくなったためだ。
そしてついに4人組の最後の一人、吉永カヲルも出産を迎える。彼女の赤ん坊もやはり、生田目頼子そっくりになっていく。
カヲルは赤ん坊に愛情を注ぐことができない。二人の間にあるのは緊張感と恐怖だけ。
自分の子どもは愛さなければならないという理性と、それに反する醜い感情のあいだで揺れ動くカヲル。
しかし、この絶望的な状況の中で、自殺してしまったクラスメイトに対してできなかった贖罪の機会が、いま与えられていることにも気付いていくのだ。
最後には、ある種の爽やかさまで感じることができる。
疲れている時、気分が上がらない時、この本を手に取ってほしい。そっと寄り添って、一歩を踏み出す手助けをしてくれる短編がきっとみつかるはずだ。