京極夏彦が描く新選組である。しかも主人公は近藤勇局長の右腕で、卓抜した剣の腕前を持つ副長・土方歳三である。ところが、冒頭からイメージを裏切る土方像が示される。
「浅黒い指が白い頸に喰い込む。」
最初の一行である。冒頭から、土方は女郎をくびり殺そうとしている。そして、頸を絞めるのは汚らしい、見てくれが悪い、喉笛を切り裂く方が良い、という独白へと続く。京極版土方はいかなる人物なのか。
時は幕末。尊皇攘夷運動が吹き荒れ、倒幕ムードが盛り上がるなか、幕府の呼びかけに応じて集まり、京都守護職の下で活動した治安維持部隊——それが新選組である。しかし、『ヒトごろし』で描かれるのは農民、町民上がりと、食い詰めた武士の吹きだまり。尊皇攘夷派を斬るだけでなく、内通者、脱走者を容赦なく処刑した暗殺集団である。土方歳三は局長の近藤とともにこの血なまぐさい組織の中心人物なのだ。
一般的な土方のイメージは、司馬遼太郎の『燃えよ剣』に描かれているように、剣がめっぽう強く、冷静沈着。つねに近藤につきしたがい、その腹心として新選組をつくりあげ、幕府に忠誠を尽くした「ラスト・サムライ」の一人といったところだろう。なかなかのイケメンである、という情報を付け加えてもいいかもしれない。しかし京極夏彦が描く土方はまったく違う。人を殺したくてならない、殺人狂なのである。冒頭から遊女の頸を絞めようとするのもその嗜好ゆえだ。
たしかに新選組内の権力闘争、綱紀粛正でおびただしい数の人間が殺されているのは史実のとおり。正気の沙汰ではない。しかし、『ヒトごろし』の土方は狂ってはいても馬鹿ではない。自分を客観的に見る知性がある。殺人を犯したくてたまらない自分を「人外」、人間ではないと規定し、その欲望を分析的に見ている。そのうえで、欲望を抑え込むのではなく、どうしたら邪魔されずに実行できるかを考える。その思考の行き着く先が新選組というシステムだった。
人外の殺人鬼、土方は知恵を巡らし、新選組内の権力闘争に乗るかたちで次々に隊士を斬っていく。そこには土方独特の道理がある。武士たちだけに帯刀が許され、事と次第によっては人を斬ることが認められる。生殺与奪の権利を特定の階層の人間が握っているのは異常なことではないのか。しかも時代は幕末から明治維新にかけての内戦時代。人殺しはいとも簡単に正当化される。つまり土方は殺したいという欲望を人外だと認識しているが、佐幕派も討幕派も人間のまま人を殺している。どちらの頭がおかしいのだろうか。
『ヒトごろし』の本文は実に一○八三ページにのぼる。それだけの分量で描かれているのは、土方が物心つく頃からその死まで、つまり人一人の人生であり、同時に幕末の歴史である。武士の世の中から西洋式の国民国家へ。封建主義から近代へ。劇的な変化のなかで、武士たちと武士になりたかった男たちが翻弄されていく。しかし、そういった価値観の外にいる「人外」土方は彼らを冷徹に見つめている。そのまなざしは土方が振るう剣よりもさらに切っ先鋭い。
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『鬼談』
京極夏彦
(角川文庫)
土方は実際に「鬼の副長」と恐れられた。鬼、すなわち人外である。『鬼談』は「談」シリーズの1冊。子供の片腕を切り落とす親の話、つれあいを亡くした男女の会話から明らかになる事の真相など、奇談の数々を収めた短篇集。さまざまな姿で現れる「鬼」とは。
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