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レビュー

【解説】物語の展開がスピーディで、読者を飽きさせない――『考える葉 新装版』松本清張【文庫巻末解説:南陀楼綾繁】

松本清張『考える葉 新装版』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!



松本清張『考える葉 新装版』文庫巻末解説

解説
なんろうあやしげ(ライター・編集者)

 まつもとせいちようが一九九二年に亡くなってから、三十二年が経つが、主要作はつねに文庫で読めるし、復刊も続いている。
 私は没後三十年に「新潮文庫の松本清張を全部読む」という記事を書いたが、そのとき手に入る新潮文庫は四十五点だった(『波』二〇二二年八月号~九月号)。その後、一点が追加されている。
 清張作品はほかにも、文春文庫、光文社文庫などから刊行されている。角川文庫では、教科書販売の闇を描いた『落差』上・下、清張唯一のSF『神と野獣の日』など、どちらかと云えばシブい作品が多い。また、昭和三十年代の短篇から選んだ『男たちの晩節』『三面記事の男と女』『偏狂者の系譜』は、テーマとセレクトが素晴らしいアンソロジーで何度も読み返している。
 今回そこに長篇『考える葉』が加わったのは、喜ばしいことだ。
 同作は『週刊読売』(一九六〇年四月~一九六一年二月)に連載後、一九六一年に角川書店から単行本化された。光文社のカッパ・ノベルスで刊行されたのち、一九七三年に角川文庫で刊行。二〇一三年に光文社文庫の「松本清張プレミアム・ミステリー」の一冊として復刊されているが、現在は品切れ。そしてまた、角川文庫で復活したというわけである。
 物語は、夜の銀座からはじまる。くたびれた洋服を着た男が着飾った女に抱きついたり、ステッキでショーウィンドーを破壊したりする。当然逮捕され、留置場に入れられる。いのうえだいぞうというその男は、同房のさきひろきちという青年に「釈放されたら自分のところに来い」と誘う。
 井上は、いたくら鉱業株式会社の青年社長である板倉あきひでの元に出入りし、彼のために何かを画策している。自ら留置場に入ったのも、それに関連しているようだ。身分不定だが、妹ののことは大事にしている。
 板倉に書道を教えている書家のむらせきは、山梨県のおちいしという村に向かう。ここはすずりの原石が採れることから腕のいい硯職人が多かったが、現在では廃れてきている。露石はそこで、釈放され郷里に戻ってきた崎津弘吉と出会う。
 その頃、東京の西の方で男の死体が発見される。工員風の身なりで、鋭利な刃物で右乳の辺りをえぐられている。彼のズボンの折り返しからは安山岩のかけらが見つかった。それを分析した結果、警察は甲府の鉱山に行きつく。その鉱山の持ち主は、東京の板倉彰英だった。
 井上と再会した弘吉は、ある晩に指定された場所で立っているよう指示される。そこに見知らぬ男がやってきて、弘吉にピストルを渡す。その直後に彼は警察に逮捕される。東南アジアのR国から来日した調査団の団長であるルイス・ムルチが射殺され、弘吉が犯人に仕立てられたのだ。
 R国は戦時中、日本の占領地だった。日本軍は同国からすず、金塊、ダイヤなどの物資を奪い、それを内地のどこかに隠匿した。当時、軍需省の雇員だった板倉は、その隠匿に関わることで戦後にのし上がったらしい。その背後には政界に権勢をふるうなかはくけいがいる。
 その後、井上代造が何者かに殺され、その通夜の席で妹の美沙子も誘拐される。残された弘吉の孤独な闘いがはじまった。そして、過去の謀略と現在の殺人事件が結びつき、事件はクライマックスへと向かうのだ。
 本作は、原稿用紙で七一〇枚という長大なものだが、物語の展開がスピーディで、読者を飽きさせない。
 日本社会の闇を描いたノンフィクション『日本の黒い霧』は、本作と同時期、『文藝春秋』で一九六〇年一月号から十二月号まで連載されている。一九六〇年は日米安保条約の改定問題をめぐって闘争が行なわれた年だ。全学連と警察の衝突のなかで、東大生のかんばさんが死亡している。
 本作では、最初の死体が武蔵むさしの風情が残るK町で発見され、井上代造の死体もはちおうで発見される。いずれもちゆうおう線の沿線だ。
 清張は『或る「小倉日記」伝』であくたがわしようを受賞した年に上京し、すぎなみおぎくぼしんせきの家に寄宿。その後、ねりせきまちを経て、杉並区かみたか(現・高井戸)に自宅を建てた。東京の西側は清張にとってなじみ深い地域であり、『歪んだ複写─税務署殺人事件─』『影の地帯』など多くの作品に登場する。清張作品では、武蔵野は人が殺される「お約束の場所」なのである(『松本清張 黒の地図帖』平凡社)。
 なお、私は中央線を舞台にしたアンソロジー『中央線小説傑作選』(中公文庫)の編者として、清張の『新開地の事件』を選んだが、これも中央線沿いの郊外で起こる殺人事件を描いている。
 板倉彰英の自宅も「中央線O駅の南口から歩いて十四五分はいった一画」にある、元総理大臣の住居だったところだ。
「そこは、この付近でもひときわ大きなやしきが片側にあった。武蔵むさしの面影をもつ雑木林が多いこともいちばんだった。(略)表門は、それほど大きくないが、檜皮ひわだぶきしようしやな構えだった」
 この「りんそう」のモデルとなったのは、荻窪の「てきがいそう」である。一九二七年(昭和二)にとうちゆうの設計で建てられたもので、一九三七年(昭和十二)、内閣総理大臣に就任したこのふみ麿まろの自宅となった。敗戦後、戦犯とされた近衛が自決したのもこの家だ。現在は国の指定史跡として保存されている。
 広大な屋敷の中で謀議が行なわれる点で、名作『けものみち』に出てくる政界の実力者・とうの家を思わせる。
 中央線が武蔵野を横切って向かうのは、山梨県だ。本作でも落石村に続くだんがい絶壁の道が魅力的に描かれる。
 デビュー当時は歴史小説をよく書いた清張は、『信玄戦旗』『乱雲』などでたけしんげんを描き、『甲府在番』で金鉱をめぐる争いを描いた。また、何度も映像化された『砂の器』では、中央本線のえんざん付近を走る列車の車内での出来事が印象的だ。
『地方紙を買う女』では、女主人公がある目的のために『甲信新聞』の購読を申し込む。同紙に小説を連載していた作家が、女に疑惑を抱く。
 物語の節目で新聞というメディアを使うのも、清張の特徴だ。本作でも、殺された男が行動を起こす動機は、新聞記事を見たことだった。
 お人好しの書家・村田露石、どこか暗い影のある鉱山会社のすぎいちろう、政界のフィクサー・中野博圭ら、脇役も多彩だ。
 短い登場ながら印象に残るのが、板倉が出資する鉄鋼財閥の社長である。
いわむらしゆうへいの額からは絶えず汗が流れている。それをく役がきれいな若い女秘書だった。おしぼりをいくつも用意して、社長の汗を傍から拭き取ってゆく。奇妙なことに、その汗は顔の右半分だけ流れるのだった。その奇妙さはまた、岩村修平という人間の奇妙さを象徴していた」
 事件に巻き込まれる崎津弘吉は、無気力な青年として登場する。
「全精神を打ちこむものが、彼にはこの世のどこにもなかった。乾いた灰色の世間だけが、自分を取り巻いている。無意味で退屈でつまらないのだ」
 しかし、井上代造が殺され、美沙子が誘拐されたことをきっかけに行動的になり、意外な真相に到達する。タイトルの『考える葉』は、フランスの哲学者パスカルの「人間は考えるあしである」というしんげんに由来するものだが、ひとりの弱い人間が巨大な権力に立ち向かう様を思わせる。
 もっとも、清張自身はタイトルの付け方について、こう話している。
「こういう抽象的な題名をつけるのは、実は締切りと関係があるのです。(略)ことに連載ものとなりますと、締切り前に予告というものが出ますので、題名を一応作らなければいけない。しかし筋はまだできておりませんので、どんな小説になってもいいような題名をつけておく。中身がないのだから、題名はつい抽象的になってしまう。それがすばらしいと褒めてくれるのであります」(「推理小説の題材」、『松本清張推理評論集1957‐1988』中央公論新社)
 しかし、清張ファンにはその抽象的なタイトルこそがたまらない味なのだ。
 また、清張作品にはときどき偶然が重なりすぎると思われる点がある。本作でも、いくつかそういう箇所がある。
 だが、それがご都合主義に感じられず、すんなり読めてしまうのが、清張の筆力なのだ。と書くと、さすがにひいの引き倒しが過ぎるだろうか。
 だって、中篇『二つの声』(『松本清張全集9 黒の様式』文藝春秋)の登場人物も云っているではないか。「必然の中に偶然がまじり込むと、その偶然まで必然に見えてくることがあるよ」と。
『考える葉』で初めて清張作品に触れた読者は幸せだ。本作には、清張らしい要素がたっぷりと詰まっており、読み終えるとかならず次の作品を読みたくなるはずだから。

作品紹介



書 名:考える葉 新装版
著 者:松本清張
発売日:2024年12月24日

外国要人を巻き込んだ連続殺人事件の真相は。ミステリの巨匠による傑作長編
東京西部の川辺で男性の遺体が発見された。心臓を刃物で刺され右胸を抉られるという不審な事件で、警察は男が愛知の硯職人であることを突き止めるが、捜査は難航。犯人逮捕に至らないまま新たに殺人事件が起こる。さらなる被害者は、旧日本軍憲兵の前歴を持つ人物と、東南アジアから極秘の目的で来日した外国高官だった。思いもよらず陰謀の渦中に巻き込まれ殺人の容疑をかけられた青年・崎津は、独自に真相を追い始めるが……。社会派ミステリの巨匠による傑作推理長編。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322407000025/
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