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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.15

【連載第15回】東田直樹の絆創膏日記「言うことを聞かない体」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす25歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第14回】「やさしさは義務ではない」

 今日は、バレンタインデーである。日本中いたるところで、チョコレートをもらった人が喜んでいることだろう。
 僕も午後のおやつは、チョコレートを食べることになっている。
 僕の頭の中でバレンタインデーというのは、女性から告白される日という認識はない。では、何か。ずばり、チョコレートをたくさん食べていい日である。それも、普段は食べることのない高級チョコや珍しいチョコレートが、お腹いっぱい食べられる夢のような一日なのだ。
 小さい頃は、どうして、この日だけチョコレートをたくさん食べていいのか不思議だったが、その理由がわかったのは、いわゆる年頃になってからである。
 みんながバレンタインデーのために、わくわくどきどきしているのを見ても、僕は特別何とも思わない。外国でお祭りが行われているのをテレビで見ている感覚に近い。こんなことをしているんだなと感心はするが、自分がそのお祭りに参加している姿を想像するのは難しいのである。それでも、誰かからチョコをもらえると嬉しい。お祭りに参加することは出来ないが、番組の視聴者プレゼントに当たったみたいに「やった!」とうきうきする。
 僕のバレンタインデーは、チョコレートをパクパク食べてもいい日。甘い物は食べ過ぎないように気をつけている家族も、この日ばかりは、みんな笑顔でチョコレートを頬張る。
 本来のバレンタインデーの意味とは、かなりずれているが、2月14日を楽しみにしている気持ちは、みんなと同じだと思う。

 文章で説明することと映像で表現することは、似ているけれど違うと思う。
 文章を読んでいる間、人は無意識の内に心の中で、こうであって欲しいと願いながら、ページをめくっているのではないだろうか。テレビで映像を見ている際も同じかも知れないが、どちらかというと自分の姿を登場人物に投影し、ドラマの主人公になりきっているような気がする。映像に自分が惹き込まれるのだろう。見ている世界と自分の世界が同化し、ドラマの中の主人公になった気分に浸れる。文章であれば、登場人物になりきるというよりは、少し離れたところから、その様子を眺めている感じだと、僕は捉えている。
 映像の世界は刺激的だが、登場人物に感情移入し過ぎて、僕の場合、思考が止まることがある。そういうこともあって、テレビの画面を見ずに聞くことに、より意識が向くのだと思う。その方がテレビを楽に楽しめる。
 テレビを聞きながら何を見るかは、その時々で違う。絵本を見ていることもある。目の保養のため、僕が目にきれいな絵を見せてあげているという感覚でページを広げていることも多い。
 DVDを見る時は、テレビの前に座り、見ながら聞いている。だからといって、じっくり見ているわけではない。目も耳も、ちゃんと使ってはいないのだ。それでも、テレビの前に座っていられるのは、自分の予想通りにストーリーが進むからである。
 頭の中にお気に入りのDVDの場面が記憶されていて、同じ場面がテレビで再生される、そのマッチングを脳が求めているのだと思う。パズルをしている感じに近い。
 脳がマッチングを楽しむ。それが僕のDVDの見方である。

 オリンピックが始まっている。今日は、フィギュアスケートの羽生選手と宇野選手が金銀のメダルを獲得した。素晴らしい演技に日本中が湧き立つ。我が家でも、家族でテレビの前に釘付けになって応援した。「おめでとうございます」と心からのお祝いの言葉を送りたい。
 オリンピックの競技を見ていると、同じ人間とは思えない体の動きにびっくりする。どうして、あんなことが出来るのだろう、僕にとっては信じられない気持ちの方が強い。自分もやってみようなんて思うことすらない。僕とは別世界の人たちなのだと、ただただ感心するばかりである。
 体というのは、こんな風に動いて欲しいと念じれば、その通りに動くわけではない。それが、自閉症の僕がこれまで生きて来てわかったことだ。
 僕の場合、たとえば、右に向かって歩かなければいけないと思っても、気が付けば左に歩いていることがある。足が勝手に僕を連れて行くとしか言いようがない。足というよりは、脳がそう指令を出すのだろう。
 手は、少し事情が違って来る。僕がこうしなければならないと思っても、うまく動いてくれない。それで困っていると、叱られたくない僕の手は、自分で出来る作業を開始するのである。関係のないものをいじったり、手遊びを始めたり、やはりこちらも、僕の言うことなど聞いてはくれない。
 手と足だけならまだしも、目や耳、口など他の体の器官も自分のやりたいことを始めてしまえば、脳はお手上げとなり、やめなさいと指令を出す気力も失せ、休眠状態になる。もう、どうしようもない。僕もあきらめ気分で、体の各部分が沈静化して収束するのを待つだけだ。
 落ち着いたら、反省会が始まる。僕が体の各部分に注意をする番である。オリンピックの選手とはかなりレベルが違うが、自分に勝てるよう、これからも努力を続けたい。

 誰でも困ることがあれば、大変だと思うだろう。けれど、何が大変かは、人によって違う。
 生き辛さを抱えている人が、みんなに自分のことをわかってもらえれば、誰かが助けてくれると信じるとしよう。その願いは叶うのか。苦労せずに生きている人などいない。みんながそれぞれに自分だって大変だと言い始めたら、どうなるのだろうと考えることがある。
 大変だから助けて欲しいという気持ちは当然だ。それが悪いわけではない。
 これまでは、助けてあげなければいけない人という枠が、今よりはっきりしていたような感じがする。
 文明は発展しているのに、楽に生きられる人は減っている。それは、人口が減少しているせいだとか、高齢化が進んでいるからとか、いろいろな理由が思い浮かぶだろう。
 一番の原因は、自分の人生のゴールが見えにくくなったからではないかという気がする。
 自分の夢が叶えられないのだ。希望する職業に就いたり、好きな人と結婚したり、老後にのんびりしたりなど、人生設計が達成できないまま年を取ることに対して、不安が強くなっているのだと思う。
 だからどうするのかを社会全体で考えなければいけないのだが、助けてもらいたい人だらけで、生活するうえでの息苦しさは増すばかりである。
 助けて欲しいと言っている人が、誰かに助けてと言われたら、どう答えるのだろう。その返事を問われる時代が来たのかもしれない。



第16回は3月7日の更新予定です。


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