【特別公開】メキシコ最凶の化け物登場! 鬼才・佐藤究がアステカの呪いを解き放つ!「テスカトリポカ」#8
佐藤 究「テスカトリポカ」

※本記事は「カドブンノベル」2020年12月号に掲載された第一部の特別公開です。
鬼才・佐藤究が三年以上かけて執筆した本作は、アステカの旧暦に則り、全五十二章で構成される。
時を刻むように綴られた本作の第一部十三章を、直木賞、山本周五郎賞受賞を記念して特別公開する。
第八章より、舞台は再びメキシコへ。最兇たちの最悪な戦争がはじまる。
>>前話を読む
8 chicuëyi
処刑、暗殺、死者──
橋に
殺人、報復、犠牲──
燃え上がるスクールバス、泣き叫ぶ親、旋回するヘリコプター、現実、通学路で加速する警察の装甲車。
悪夢、惨劇、死体──
爆破されたビル、床に転がった手足、こぼれだした腸、現実、黒煙を背にコカインを積んで走りだすピックアップトラック。
タマウリパス州ヌエボ・ラレド、メキシコ北東部の戦場は、この国を呪っている現実、
国境を隔てるアメリカ合衆国、テキサス州西部の都市サン・アントニオに本社を置く『サン・アントニオ・ジャーナル』は、二〇一五年九月十一日の朝刊に、つぎの記事を載せた。
二年におよんだ最新の麻薬戦争が、最終局面を迎えようとしている。メキシコ北西部シナロア州クリアカンと同様に、北東部タマウリパス州ヌエボ・ラレドも今や無法地帯となった。市民が暮らし、犬が歩き、車が走り、交差点の信号機も明滅しているが、町に潜む危険さは計り知れない。
わが州と国境を挟んで隣接するヌエボ・ラレドは、黄金の「サーティー・ファイブ」とつながっている。州間高速道路35号線。ミネソタ州までをつなぐこの長大なルートは、メキシコからアメリカに密輸される麻薬の四十パーセントを運んでいる。これが天文学的な金額の利益をドラッグディーラーにもたらす。たとえ北東部の麻薬戦争が終結してもコカインの密輸量は減少しない。変わるのは勢力図であり、
北東部で起きた麻薬戦争を、北西部を支配する勢力は静観している。シナロア州を拠点とする彼らは、メキシコから密輸される麻薬の半分を管理している。ライバル同士のつぶし合いは大歓迎だ。どちらも傷ついてくれれば、自分たちの〈
かつての北東部の支配者〈ロス・カサソラス〉は劣勢だ。彼らはティラノサウルスのように滅びるだろう。そして〈ドゴ・カルテル〉の時代が到来する。
コカインの密輸量は変わらない。もう一つ変わらないのは、アメリカ合衆国がその最大のマーケットであるという現実だ。
San Antonio Journal
ベラクルス出身のカサソラ兄弟がメキシコ北東部に進出し、二十年かけて巨大化させた〈ロス・カサソラス〉、彼らの
北東部でロス・カサソラスに刃向かう者はひさしく途絶えていた。新たな麻薬戦争はメキシコ当局だけではなく、アメリカの
ドゴ・カルテルのリーダーは、生粋のメキシコ人ではなかった。その男はアルゼンチン生まれの移民で、率いるカルテルの名はピューマすら
二つのカルテルは連日のようにヌエボ・ラレドの町で撃ち合い、血を流し合い、アスファルトに
どこにいようと相手が見つかれば発砲し、市民を巻きこむ。
五十人以上の
麻薬戦争が激化する一方で、地元の新聞社の言論も封じられた。紙面では犠牲者が
一面トップを連日飾るはずの見だしは、報復の恐怖に屈してまったく印字されることがない。
アジョセ・ルビアレス、五十五歳、新聞記者。
トマス・テジェチェア、四十一歳、新聞記者。
ペルペトゥア・ルシエンテス、三十三歳、ジャーナリスト。
ビビアノ・フリアス、二十七歳、ライター、ブロガー。
アンヘル・ガルサ、三十八歳、テレビ局プロデューサー。
勇気を持って麻薬戦争を非難し、カルテルに脅迫されたのち、無残に処刑された人間をかぞえ上げればきりがなかった。そうした人々の声は地の底に葬られ、町中におびただしい血が流される毎日のうちに、法の秩序とジャーナリズムは死に絶える。
独自の情報網とゆたかな見識を持ち、ロス・カサソラスと地元警察の癒着を一貫して糾弾してきたベストセラー作家、カシミーロ・サン・マルティンの死は、メディアに重くのしかかり、カルテルの報道を自粛させられる契機となった。
二十四時間体制で同行していた十一人のボディガードをあっさりと殺され、ロス・カサソラスに拉致されたカシミーロ・サン・マルティンは、五日後に
右腕、左腕、右足、左足、いずれも原形を留めていなかった。検視の結果、七十三歳の作家は生きたまま腕と足を凍結され、それから硬いハンマーのようなもので砕かれていたことが判明した。死因は失血性ショック死だったが、おそらくその前に恐怖と苦痛で、老作家の心臓は止まったはずだった。おそらくは。調べようにも心臓がなかった。えぐりだされて、胸に穴が空いていた。
ロス・カサソラスの
燃え上がり転倒した仲間のジープをよけきれず、後続車がつぎつぎと追突する。ロス・カサソラスの男たちはすかさず銃撃を浴びせ、引き金を引きつづけ、さらに
警察の特殊部隊が到着すると、ロス・カサソラスはしばらく撃ち合うが、基本的にはすぐに撤退する。ライバルに惜しみなく銃弾を贈る彼らも、警察に同じことをやるのは「経費の無駄」だと考えていた。それはカルテルを特徴づける
ヘルメットや防弾ベストなどの装備が充実した特殊部隊とやり合うには何千、何万発もの弾が必要になる。しかし警官個人の出勤時、帰宅時を襲えばたった数発で仕留められる。そのために
指揮を執る者を一人ずつ暗殺し、家族も殺す。三百六十五日つけ狙うことで、カルテルは警官を怖れさせ、戦意を喪失させる。敵対する検事や裁判官も追いつめる。辞職して
ロス・カサソラスを仕切っている四人の兄弟。
〈
〈
〈
〈
敵対するドゴ・カルテルは、アメリカの
米軍が中東でくり返しているドローンを使った空爆は、二〇一五年九月九日の午前四時に実行された。
暗闇を飛行してきたドローンは大型で、翼の全幅は八メートルあった。カサソラ兄弟の潜伏先に軍用の
眠れずに寝室を出て、ゲートを警備する
まだ月と星が光っている空を旋回するドローンの影の大きさに、バルミロは
それなら
妻と子供たちが邸宅の地下に身を隠していた。逃走ルートのトンネルは崩落したコンクリートで塞がれてしまい、兄弟の四男、ドゥイリオ・カサソラの判断で、家族は地上に連れだされた。
バルミロは、頭から血を流して叫んでいる弟の姿を見た。アメリカ製のアサルトライフルAR‐18を抱えていた。ドゥイリオの趣味は、捕まえた敵の指を生きたまま豚に食わせることだった。そのために彼は
「
「行くな」とバルミロは声を張り上げたが、二度目の空爆が襲いかかってきて地面が揺れ、木々をなぎ倒す爆風が駆け抜けた。火柱が上がり、ドゥイリオの姿が見えなくなった。
バルミロの妻や子供の乗った車は、間一髪で走りだしていた。それを二機目の大型ドローンが追いかけていた。無人機の追跡は正確で、チェロキーに乗ったロス・カサソラスの男が身を乗りだし、ロシア製の対戦車
バルミロの持つ無線機に「ドゴ・カルテルの車列が接近中です」と連絡が入ってきた。しかし手遅れだった。列をなす車のヘッドライトの光がもう見えはじめていた。
銃と手榴弾をかき集め、ピックアップトラックのラム1500に乗りこんだバルミロは、背後に迫る銃声を聞きながら、夜明け前の林道を走り抜けた。アクセルペダルを踏み、大型ドローンに搭載されているはずの高解像度カメラについて考えた。
おれの顔も識別できるのか。おそらくできるだろう。だったら追ってくる。
潜伏していた邸宅からおよそ二十キロ離れた空き地に逃げ、以前の住人に
やがて現れたアンドレスは、双眼鏡を携帯し、プラスチック爆弾の
「軍用無人機ですが──」とアンドレスは言った。「空軍のものではありません。見るかぎり〈ボーイングX‐45〉に似ています」
メキシコ陸軍除隊後に
おれが逃げた映像を奴らははっきりと見ている。
大型ドローンの捜索をやりすごしたバルミロとアンドレスは、町の中心へと移動した。そこまでは追ってこないはずだった。ラム1500に乗りこんで走りだし、五分もしないうちに、ドゴ・カルテルの車両部隊に見つかり、激しい銃撃を浴びせられた。ピックアップトラックの防弾ガラスは霜が降りたように真っ白になって弾を防いだが、まもなく砕け散り、撃たれたタイヤが破裂して車は大きくスリップした。
バルミロとアンドレスは車を飛び降りて反撃した。アンドレスは銃を撃ちながら手榴弾を投げ、だがすぐに右肩を撃たれた。噴きだした血がバルミロの頰にかかった。転倒したアンドレスは這って逃げ、敵の弾がアスファルトを跳ね返って道路標識に当たり、連続して甲高い音を立てた。
バルミロにアンドレスを救うことはできなかった。落ちていたC‐4の入ったバックパックをつかみ、アンドレスとは逆方向に逃げた。国道に向かって自分の足で走る途中、路肩に停まっているトヨタのトラックを見つけた。
運転席に乗りこむと、助手席に農夫の妻が座っていた。バルミロは彼女の額を撃ち、ドアを開けて死体を蹴り落とした。すばやくトラックを降りてシートをめくり、荷台をたしかめた。農夫の息子でも乗っているのではないか。しかし誰もいなかった。荷台には
セルフサービスのガソリンスタンドに入った。
敷地の隅にトラックを停めると、自販機でガムを買った。それからバックパックを開け、C‐4の起爆装置の電話番号をたしかめた。起爆装置と一台のスマートフォンが配線でつながっていた。そのスマートフォンにかければ装置は作動する。銃で撃ったり、火を放ったりする程度ではC‐4は爆発しない。起爆装置が不可欠だった。スマートフォンの番号を覚えると、個別包装された粘土状のプラスチック爆弾の一つに起爆装置を挿入し、荷台の
トラックを走らせて東へ向かった。目当ての民芸品店が見える路肩で停車し、農夫の
「民芸品店に来い」と言った。「
アンドレスはおそらく撃たれて死んでいるか、拷問を受けて殺されているはずだった。バルミロのメッセージは、無線機を回収したドゴ・カルテルに聞かせるためのものだった。
午後一時すぎ、雨季の曇り空の下で、バルミロ・カサソラは
息を深く吸い、吐きだした。四十六歳になっていた。だが体力も精神力もいまだに衰えてはいない。そうでなければ
家族が殺された瞬間から復讐の月日がはじまる。おれの神は罪を許す神ではない。バルミロは思った。地獄をも超越する戦いの神、
二丁の銃を膝に載せて、残弾数をたしかめた。オーストリア製の拳銃グロック19には四発残り、スイス製のマシンピストルTP9には三発が残っていた。どちらも同じ規格の弾、九ミリ×十九ミリパラベラム弾を使っている。
マシンピストルの残弾を取りだしたバルミロは、それをグロック19の弾倉に移した。マシンピストルのほうが弾丸の初速もあり、射程距離も長いが、これからやることを考えれば、あつかいやすい拳銃に七発の弾丸を集めておくべきだった。
拳銃をにぎってシートに寄りかかり息を整えた。左耳が聞こえなかった。空爆の衝撃波で鼓膜がやられていた。めまいがした。
七年前にバルミロは、コロンビア人のカルテルが用意した小型潜水艦に同乗した。小型潜水艦はジャングルで建造され、人間六名とコカインを乗せて海中を潜航する。その内部は刑務所の懲罰房並みに狭く、酸素が薄くなり、メキシコ湾の海底を進む途中で、コロンビア人の一人が吐いて意識を失った。艦内にたちまち嘔吐物の悪臭が充満したが、
あの鋼鉄の棺桶は最悪だったが、水のなかを進んでいただけまだましだった。バルミロはそう思った。今はもっとひどい。
船は自分のカルテルだった。そこにすべてがふくまれていた。すべてが。
トラックの運転席に深く身を沈め、
民芸品店の駐車場に一台の車が入ってきた。停まった車から降りてくる老人と老婆、その小さな孫。孫は七歳くらいの男の子で、子犬を抱えるように〈バットモービル〉を両腕に抱きしめていた。悪を倒す〈バットマン〉専用のスーパーカー、それはおもちゃにしてはサイズがずいぶん大きく、バルミロの目には太いタイヤの直径が輪切りにされた
老人は周囲に目をくばり、妻と孫をうながして
バルミロはトラックのエンジンをかけ、民芸品店に向かってアクセルペダルを踏んだ。見張り役が正面から撃ってくると、頭を低くし、体を丸め、運転席のドアを開けて飛び降りた。
走っている車から飛び降りるのは、若いころに何度も経験してきた。メキシコで知られる麻薬密輸のスタイルの一つに、コカインを積んだピックアップトラックを岸壁から海に落とし、波間を漂う商品をモーターボートに乗った相手が回収する方法がある。バルミロたちは海に転落する直前までピックアップトラックのハンドルを握り、どこまで乗っていられるか、おたがいに金を賭けて競い合った。
民芸品店の駐車場を転がったバルミロは膝立ちになり、弾数を逆に数えながらグロック19の引き金を引いた。
突っこんでくる無人のトラックをよけようとした見張り役を一人撃ち、MP5を連射するもう一人の頭を撃ち、次弾で三人目の腹を撃った。撃たれた相手はなおも立ち向かってきたが、バルミロは反撃せずにスマートフォンの通話開始ボタンを押した。
トラックが民芸品店に突っこむのと、
▶#9へつづく
◎全文は「カドブンノベル」2020年12月号でお楽しみいただけます!