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連載

佐藤 究「テスカトリポカ」 vol.12

【連載小説】2月19日の単行本発売日迫る! 三冠作家・佐藤究がアステカの呪いを解き放つ!「テスカトリポカ」#12

佐藤 究「テスカトリポカ」

※本記事は連載小説です。

鬼才・佐藤究が三年以上かけて執筆した本作は、アステカの旧暦に則り、全五十二章で構成される。
時を刻むように綴られた本作の第一部十三章を、発売までの毎週、特別公開する。

>>前話を読む

12 mahtlactli-om-öme

 小さなウーゴのひつぎが埋められた十字架の墓の前で、リベルタはもう十字を切らなかった。彼が死んでひと月がすぎ、カトリックカトリコの追悼ミサがきのう済んだばかりだった。
 四人の孫を連れて墓地を訪れた彼女は、それぞれの目を見つめて話しかけた。「ベルナルド、ジョバニ、バルミロ、ドゥイリオ、悲しむのはもうおよし。これからおまえたちは、四人で一人だ。カサソラ兄弟は四人で一人。いいかい? よく聞くんだよ」
 抑えた声でスペイン語を話すリベルタの口調には、聞く者の心を惹きつける響きがあった。それは呪術師の声だった。
 リベルタは長男のベルナルドを近くに呼んで言った。「ベルナルド、おまえを護ってくださるのは、北にいる黒のテスカトリポカ様だ。おまえは宇宙の果てで、その向こうにはもう誰もいない。おまえが三人の弟を見守ってやるんだよ」
 つぎにジョバニを呼んで言った。「ジョバニ、次男のおまえを護ってくださるのは、西にいる白のテスカトリポカ様だよ。西はメキシコシティにあった大神殿テンプロ・マヨールの向いていた方角だから、おまえはアステカの神様への祈りを忘れちゃいけない」
 バルミロを呼んで言った。「バルミロ、三男のおまえは用心深くて、それに早起きだ。いいことだよ。だから、東を護る赤のテスカトリポカ様がおまえについてくださる。おまえは人より早く目覚めて、誰よりも早く夜明けの薄闇に立ち、兄弟を助けておやり」
 ドゥイリオを呼んで言った。「さて、最後はおまえだね、ドゥイリオ。四男のおまえには、南にいる青のテスカトリポカ様がついてくださるよ。戦争の神ウィツィロポチトリ様もいっしょだ。おまえの背は小さいけれど、今にきっと強くなる」
 十月の正午だった。死者の十字架の並ぶカトリックカトリコの墓地が、雨季の雨が降る前の日射しに輝いていた。四人は自分たちが祖母アブエリータに何か大事なことを告げられ、と感じていたが、どれほど考えても意味がわからなかった。
 雲の影が墓地に落ちた。リベルタを見上げたバルミロが、太陽の光に目を細めながら聞いた。「テスカトリポカって何ケ・エス・テスカトリポカ?」

 つぎの朝、帽子ソンブレロをかぶって屋敷を出たリベルタは、四人の孫を連れて市場メルカードに向かった。カサソラ家には車もあり、運転手も雇われていたが、リベルタは町を走るミニバスペセロに乗ることにしていた。孫たちにも世間の暮らしを学ばせておかなければ、イシドロのような遊び人になってしまう。
 市場メルカードでは生きている雄鶏ガジヨを買った。四人は大喜びして、雄鶏ガジヨの入ったかごを自分の手で持ちたがった。それからみんなで屋台のタコスを食べ、帰りのミニバスペセロに乗った。リベルタはほかの客の視線にもかまわず、雄鶏ガジヨのかごを堂々と持ちこんだ。運転手は彼女がチッププロピーナをくれるのを知っていて、何も言わなかった。
 屋敷に着くと雄鶏ガジヨが裏庭に放たれた。四人は逃げまわる雄鶏ガジヨを追いかけて遊び、昼食の時間が近づいたとき、リベルタが彼らの楽しみを終わらせた。
 リベルタは暴れる雄鶏ガジヨを捕まえて、黒曜石のナイフでひといきに首を切り落とした。首のない雄鶏ガジヨが羽ばたき、血のついた羽毛が飛び散った。突然の惨事に四人は目を見開いた。ウーゴがいなくなり末っ子になったドゥイリオが泣きだした。芝生に転がった雄鶏ガジヨの首、ブリキのバケツにどぼどぼと注がれる鮮血、祖母アブエリータの手にした黒光りする凶器、すべてが悪夢のようだった。ほかの三人も、今にも泣きそうな顔をしていた。
「この世界を創造されたのは〈二つの神オメテオトル〉様だよ」ブリキのバケツに雄鶏ガジヨの血をためながら、リベルタはそう言った。「いちばん最初の神様で、にお生まれになった。ご自分でご自分をお創りになったのさ。そんなことができるのは、あのお方だけだよ」
「聖書に書いてある?」長男のベルナルドが青ざめた表情で訊いた。
 リベルタは答えなかった。ええともいいえとも言わなかった。同じ屋敷に住む四人の両親はあくまでもカトリックカトリコで、キリスト教を否定すれば争いの火種になる。
 雄鶏ガジヨの首の切り口をしばらくたしかめ、リベルタはふたたび逆さに吊るして血抜きをした。本当は首を切らずに生かしておいて、まだうごいている心臓を取りだしたかったが、あとで調理するので血抜きしておく必要があった。リベルタは話をつづけた。「オメテオトル様は、何もないところにご自分以外のものを創ろうとなされた。まず世界の器、四つの方位を用意して、そこに四人の神様を置かれた。それが東西南北のテスカトリポカ様だよ。テスカトリポカ様は四人で一つとなって、夜と風ヨワリ・エエカトルになり、この世界を支配されているんだよ」
 四人はウーゴの墓の前で聞いた話を思いだそうとした。黒、白、赤、青、兄弟は四人で一人──幼いドゥイリオはテスカトリポカの名をきちんと発音できず、さらに自分の味方をしてくれるという戦争の神ウィツィロポチトリについても、ポチトリとしか覚えていなかった。
 雄鶏ガジヨの首から滴る血が止まったのに気づくと、リベルタは羽根をむしりだした。「世界とそこに住む神々を創造されたあと、オメテオトル様はお隠れになった。どちらに行かれたのか誰にもわからないよ。この宇宙に流れる時間の外かもしれないね。最初にいた神様がいなくなったのだから、テスカトリポカ様がいちばん古い神様になった。〈トロケ・ナワケ〉、神のなかの神、テスカトリポカ様は、神々のなかでも特別なお方だ。そのお方に、今からいけにえの心臓を捧げるよ」
 首なしの雄鶏ガジヨの胸を黒曜石のナイフで切り裂いて、リベルタは心臓を取りだした。四人は祖母アブエリータの掌に載った心臓を眺めた。小さな逆三角形に見覚えがあった。母親マドレの持っているの形によく似ていた。
 土を焼いた鉢でコパリが焚かれ、甘ったるい香りの煙のなかに雄鶏ガジヨの心臓が置かれて、ブリキのバケツにたまった血が少しずつ振りかけられた。
 リベルタが祈りの言葉を唱えるあいだ、事情のわからない四人は教会でやるように目を閉じてこうべを垂れていた。
 祈りが終わり、四人が目を開けると、血に濡れた黒曜石のナイフが日を浴びてきらめいていた。黒い氷のようで、怖ろしい眺めだった。
 四人の思いを察したように、リベルタは黒曜石のナイフを拾い上げてこう語った。「この国は、かつてアステカのものだった。ほかにも周辺に国があったけれど、取るに足らないね。いちばん大きな国がアステカだったよ。アステカの人々は、火山から生まれるこの黒曜石を削ってナイフを作り、やじりを作り、鏡を作った。鏡は〈テスカトル〉というのさ。王や神官だけの神聖なものだよ。闇を支配するテスカトリポカ様の偉大な力は、その鏡に現れる。黒曜石より黒いものはこの世になく、それこそが人間の運命を映しだすのさ。テスカトリポカ様が自在に姿を変えられるように、黒曜石にもいろんな顔がある。あるときには敵の武将の首をね、あるときはいけにえの心臓をえぐり、あるときは鏡になる」
 戦争、犠牲、運命、神──
 漆黒の石が放つ光は、人間のはかなさと、星々のかなたに広がる永遠の闇を同時に宿していた。理解できないことばかりだったが、四人の目には、その鉱物が別の世界から祖母アブエリータのもとに落ちてきた物体のように映った。

 雄鶏ガジヨの丸焼きの夕食が済むと、リベルタは四人を部屋に呼び集め、揺らめくろうそくの火が照らすテーブルの前に座らせた。薄暗がりのなかで彼女は煙草を吸い、コパリを焚き、テーブルの上に紙を広げた。四人が見たことのない紙は、アステカ時代と同じように木の皮で作られたアマトルだった。
 ブリキのバケツにあまった雄鶏ガジヨの血を灰皿に垂らして、リベルタは羽根ペンの先を血に浸した。蠟燭に淡く照らされるコンゴウインコアロの羽根の美しさに、四人は目を輝かせた。ラテンアメリカの古代文明で重宝されたこの鳥は、今ではホンジュラス共和国の国鳥アベ・ナシオナルになっていた。
「周りはすべて湖」と言いながら、リベルタはテスココ湖の輪郭をアマトルに描き、十六世紀まで湖面に浮かんでいた壮大な都市を描いた。驚くほど手早かった。雄鶏ガジヨの血の染みが線となって、勝手に浮き上がってくるように四人には見えた。
「テノチティトラン」とリベルタは言った。「〈サボテンの岩の場所〉という意味さ。これがアステカの都だよ。湖の上にいくつもの神殿テオカリがあって、神々と王、神官、貴族、戦士、商人、捕虜、奴隷が暮らしていた。テノチティトランには、農民は住んでいなかったね。どういうことかわかるかい? 今の大都会と同じさ。何十万人も暮らしていて、外国の民族も商売でやってくるから、都では農業以外の仕事でみんなが暮らしていけたんだよ。それほどアステカは豊かで、大きな国だったのさ」
 滅びた王国の絵地図がアマトルの空白を埋めていった。湖上都市に張り巡らされた水路、みち、橋、アカトルのいかだの上に作られた湖上の菜園チナンパ、そしてスペイン人に打ち壊され、今では無残な姿をさらしている大神殿テンプロ・マヨールの真の姿──その巨大な階段ピラミッドの頂上では、二人の神が祀られていた。
 西を向いた神殿テオカリの左側に〈蜂鳥の左〉こと戦争の神ウィツィロポチトリの神殿テオカリが描かれ、その壁板はいけにえの頭蓋骨をぎっしりと並べた〈頭の壁ツオンパントリ〉で飾られていた。右側には雨の神トラロックの神殿テオカリが配置され、リベルタはその入口に、考古学者が〈チャクモール〉と呼ぶひとがたの像を描いた。横たわった像は、いけにえの血と心臓を受けるための器を抱えていた。
「メキシコシティに行けば見られる?」とジョバニが訊いた。
「残骸と博物館があるだけさ」とリベルタは言った。「美しかった湖もない。コルテスマリンチエ──征服者コンキスタドールの隊長がひどいかんがい工事をやらせたせいで、水はすっかり干上がってしまった。さて、よくお聞き。おまえたちのおばあちゃんアブエリータは、ベラクルスに生まれたけれど、ご先祖様はこのテノチティトランに暮らしていたよ。とても偉いお方だった。その血がおまえたちにも流れている。このアマトルに手を重ねてごらん。目を閉じてごらん。今からアステカの都の様子を、おまえたちに見せてあげるよ」
 四人は死んだ雄鶏ガジヨの血で描かれた絵に小さな手を載せて、目を閉じた。ひんやりとしたアマトルの感触、コパリの匂い。リベルタは語りつづけ、彼女の低い声が、アステカ王国の光景を現実と同じように呼び覚ます。
「テノチティトランからカヌーに乗って、北に向かうよ。みんな乗ったかい? 見えてきたのは、トラテロルコという町さ。信じられないくらい大きな市場メルカードがあるだろう? ナワトル語では市場テイアンキストリというのさ。おまえたちが知っているベラクルスの市場メルカードよりずっと大きくて、何でも売っている。はじめてやってきたスペイン人の征服者コンキスタドールも腰を抜かして、夢じゃないのかと自分の目を疑ったくらいさ。ローマで見た市場メルカードよりも、コンスタンティノープルで見た市場メルカードよりも、はるかに規模が大きいんだからね。一日に二万人が来て、五日ごとの特別市には六万人がやってくる。さあ、市場メルカードを歩いてみるよ、ついておいで。果物売りの女がたくさんいるね。派手な服で偉そうに歩きまわっているのは貿易商たちで、〈ポチテカ〉というのさ。コパリを詰めたこうづつを売っている男がいるし、蜂蜜とを混ぜた薬売りの女もいるね。ここから湖の岸まで、ずっとずっと売り場がつづいているよ。トウモロコシエローテ唐辛子チレ七面鳥パボ子犬ペリート雄鶏ガジヨ雌鶏ガジーナガラガラ蛇セルピエンテ・デ・カスカベルインゲン豆フリホーレス松明アントルチヤ松脂レシーナ・デ・ピノ、それに南から運ばれてきたサルビアの花。『チャルチーウィトル』と尋ねまわっている男はを探していて、『シウィトル』と訊きながら歩いている女はを探しているのさ。売り場はまだまだつづくよ。黄金もあり、銀もあり、緑岩もある。耳飾り、織物、腰巻、バニラの実、サボテンの実、アステカ人の大事な食べ物〈ウァウィトル〉もあるね。これはのことさ。貴族しか買えないケツァル鳥の羽根も売っているし、アロの羽根も売っているね。私の持っている羽根ペンもその鳥の羽根でできているよ。はおまえたちも知っているだろうけれど、かわうその革は見たことがないだろう? あなぐまの革、鹿の革もある。おの、土器、つぼ、おまえたちが手を載せているアマトル、かぞえきれない種類の染料も売っているし、男の奴隷、女の奴隷も売られているね。奴隷たちは貴族にいい暮らしをさせてもらえたよ。すすんで奴隷の身分になる者もいたくらいさ。奴隷を動物みたいにでたらめに働かせたのは征服者コンキスタドールだよ。さて、向こうに人だかりができているだろう? 腕利きのが、客の前で仕事を見せているね。〈テクパトル〉、ひうちいしのナイフに模様を彫っている男がいて、黒曜石のナイフを削りだしている男もいるよ。買えるのは貴族だけだね。どうだい、トラテロルコの市場テイアンキストリを見てまわると、きりがないだろう? とても一日じゃ歩ききれないよ。でもね、この町にあるのはそれだけじゃない。テノチティトランと同じように、大神殿テンプロ・マヨールもあるのさ。ほら、耳を澄まして、よく聞いてみるんだよ」
 リベルタは目を閉じている四人の前で、テーブルを叩きはじめた。はじめは静かに、しだいに強く叩いていく。神殿テオカリから聞こえてくる太鼓の音
「見えるかい? あの山のように大きな神殿テオカリで儀式がはじまったよ。テスカトリポカ様にいけにえが捧げられるのさ。いけにえが石の台に寝かされているのが見えるだろう? 四人の神官トラマカスキが腕と足を押さえているね」
 リベルタはさらに強くテーブルを叩く。
「もう一人の神官トラマカスキが黒曜石のナイフを振りかざしたところだ。おまえたち、目を背けちゃいけないよ」
 リベルタがテーブルを叩く。リズムが速くなる。神殿テオカリの太鼓。
「ご覧、いけにえの胸から赤く光る宝石が取りだされたよ。何だかわかるかい?」
心臓コラソンだ」とバルミロが言って、ほかの三人も目を閉じたままうなずいた。
「おまえたちはかしこいね」リベルタは微笑んだ。「そのとおりさ。アステカでは〈ヨリョトル〉というんだよ。覚えておきなさい。心臓ヨリヨトルが取りだされて、空へと上っていくよ。見えるだろう? 処刑とはちがうのさ。神様に食べ物を捧げたんだよ」
「タコスみたいな?」とジョバニが訊いた。
「そうさ。人間の心臓ヨリヨトルが神様のトルティーヤなのさ。神官トラマカスキたちがいけにえの体を石段から放り捨てているよ。滝を流れる水みたいに、ごろんごろんと体が転がっていくね。おや、泣いているのは誰だい? ドゥイリオかい? 恐がる必要はないんだよ。いけにえは人間の生きる世界を支えたのさ。魂は天にかえって、残った体は抜け殻でしかないんだよ。さあ、もう目をお開け」
 目を開けた四人は、まるで自分の心臓がえぐりだされたような気がして、薄暗がりのなかで胸に手を当て、穴が空いていないかどうかたしかめた。

#13へつづく

古代アステカ神への信仰が生み出した怪物、バルミロ・カサソラの魂は〈黄金郷〉を探して彷徨う――。
第1部全13章の公開は次回で最終回。
続きは是非単行本でお楽しみください。


書影

単行本『テスカトリポカ』は2月19日(金)発売!


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