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レビュー

【解説】因果の闇を彷徨うて――『べっぴんぢごく』岩井志麻子【文庫巻末解説:朝宮運河】

岩井志麻子『べっぴんぢごく』(角川ホラー文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!



岩井志麻子『べっぴんぢごく』文庫巻末解説

解説 因果の闇を彷徨さまようて
あさみや うん(書評家)

 しばらく入手困難な時期が続き、古書店でも価格が高騰していた『べっぴんぢごく』が装いも新たによみがえった。いわがデビュー以来書き継いできた「岡山もの」の集大成にして、岩井ホラーの一頂点ともいえる傑作である。
 岩井志麻子が現代ホラー小説シーンを代表する作家の一人であることは、あらためて言うまでもないだろう。一九九九年に短編「ぼっけえ、きょうてえ」で日本ホラー小説大賞を受賞、受賞作を含む短編集『ぼっけえ、きょうてえ』でやまもとしゆうろう賞に輝き、新鋭作家として注目を集めた。二〇〇〇年には隻眼の女性霊能者を主人公にした連作短編集『岡山女』を発表、その才能が本物であることをあらためて読者に印象づけると、『きの森』(〇一年)、『邪悪な花鳥風月』(同年)、『魔羅節』(〇二年)とハイレベルなホラーを矢継ぎ早にじよう。メディアにも数多く登場し、抱腹絶倒のエッセイ集『東京のオカヤマ人』(〇一年)も執筆するなど、スター性のある作家としてたちまちホラー界に独自の地位を占めるにいたった。
 岩井の登場は、それまで海外モダンホラーの影響が色濃かった日本のホラーシーンに、あらためて土俗的な世界を呼び込むこととなる。サイコサスペンスやバイオホラーがベストセラーになっていた時代、日本人が押し隠してきた前近代的な闇を煮詰めたような『ぼっけえ、きょうてえ』は、衝撃をもって迎えられたのである。「じき」「魔羅」「おめこ」といった公の場では避けられがちな言葉を用いながら、そして貧困や差別や性欲などのテーマを扱いながらも、作者はそれに寄りかかることなく豊かな文藻と透徹した視点で、土俗の闇を描き出してみせる。その確かな筆力は、読者を圧倒するものであった。
 ところで岩井がホラーシーンに登場した二〇世紀の終わりは、奇しくも怪談文芸が盛り上がりつつある時期でもあった。はらひろかつなかやまいちろうによる伝説の怪談実話集『新耳袋 現代百物語 第一夜』が新装版としてメディアファクトリーより刊行されたのが九八年、怪談専門誌『幽』が創刊されるのは〇四年のことだ。日本的な怪異と恐怖があらためて注目を集めるのと並行して、岩井は日本的ムラ社会の暗部をえぐり出すようなホラーを、次々に送り出していく。
 そんな岩井ホラーの代表作といえば、やはり一連の「岡山もの」ということになるだろう。自らの出身地である岡山県を舞台にした作品群は、先述の『ぼっけえ、きょうてえ』『岡山女』『夜啼きの森』『魔羅節』から、『黒焦げ美人』(〇二年)、『の啼く家』(〇五年)、さらに『湯女のくし ぜん屋怪談』(一一年)を経て、近作『おんびんたれの禍夢』(二四年)へといたるさんれいをなしている。
 そのひとつのピークともいえるのが、〇六年に新潮社より単行本が刊行された『べっぴんぢごく』であった。『べっぴんぢごく』が「岡山もの」の集大成を企図していることは、作中に「乞食ほいとばしら」「ナメラ筋」「黒焦げ美人」など過去作品のモチーフが再登場していることからも、確かであるように思われるのだ。

 物語の幕開けは明治三十年代。岡山県北部の村に、乞食の親子が流れ着く。物心ついた頃から母親と放浪生活を続けていた娘のシヲには、人には見えないものが見える不思議な力があった。シヲは母の周囲に現れる人影が、死んだ父親の霊であることに気づいていた──。
 出世作『ぼっけえ、きょうてえ』同様、作者は貧しい者の暮らしを、目をそらすことなく描き出す。子供たちに石を投げつけられながらの放浪生活、「乞食柱」「乞食隠れ」と呼ばれる場所でのものい、母親はシヲのすぐそばで男と交わり、やがてある男に片足を切り落とされて殺される。事件が起こった頃、シヲは腹を壊して神社の床下で、ふん尿にようを垂れ流して倒れていた。
 こうした悲惨な現実を描く時、作者の筆にはいつも浮ついたところがない。やや扇情的ではあるのだろうが、批判的でも露悪的でもない。現実とはそういうものだ、という突き放したスタンスで、持たざる者の暮らしを描写する。
 物語を貫く価値観を象徴するのが、家々に設けられた物乞いのための乞食柱である。そこは持てる者と持たざる者が唯一交わる場所であり、さまざまな運命の交差点であった。時代の移り変わりとともに失われることになる乞食柱は、因果の連鎖によって貫かれたこの年代記を、暗い土間から照らし続ける(ちなみに「乞食柱」は本書連載時のタイトルでもあった)。
 母親の死後、シヲは村一番の分限者・たけ家に下働きとして引き取られる。ところが家の娘が不慮の死を遂げ、代わりにシヲが養女として育てられることになる。あかを落として着飾ったシヲは、人びとが目をみはるほど美しかった。そこから竹井シヲとしての新たな人生が始まる。
 本書は七歳から百四歳までのシヲの人生を、連作形式で描いていく壮大なクロニクルである(今回の新装版では令和の竹井家を描いた書き下ろし「第十三章 シヲ百三十六歳」が追加された)。竹井家の養女となったシヲは、岡山の女学校を卒業した後、岡山の旅館の三男坊と結婚、やがて娘のふみを生む。以来、竹井家では女ばかりが生まれ、しかも美女としこが交互に生まれるようになる。
 父親似で牛蛙とあだ名されたふみ枝、東京で歌手や女優をしていたびんな姿で生まれてきたふゆぼうあだで身を持ち崩した、竹井家の歴史を自分の代で終わらせようと考える。ある者はきようまんに、またある者は人目を避けるように生きた女たちと、その因果に絡め取られ、さまざまな役割を演じることになる男たち。それぞれが抱く深い業が重なり、甘美な「ぢごく」の景色を紡いでいく。
 明治から大正、昭和、平成、令和へと百数十年の竹井家の歴史を、数奇なエピソードを数珠じゆずつなぎにして物語る本書は、たとえばきたもりにれ家の人びと』やとうあい『血脈』、そしてもちろんガブリエル・ガルシア゠マルケス『百年の孤独』などの系譜に連なる年代記形式の小説である。しかしその年代記に名を連ねるのは、生きた人間だけではない。死者もまた座る席を与えられている。そこが本書の大きな特徴である。歴史の積み重なった古い家のそこここには、死霊たちがたたずんでいる。自らの因果に縛り付けられた死霊たちは、まだ生きているかのようにシヲの前に姿を見せる。
 本書の恐怖のポイントはこの生者と死者の距離感にあるだろう。『ぼっけえ、きょうてえ』の表題作には岡山北部の寒村で生まれ育った主人公が、間引きされた水子の霊を遊び相手とするという衝撃的なくだりがあるが、その生者よりむしろ死者に身近さを感じる死生観は、本書でも変わらない。
 ある者にとっては恐ろしく、ある者にとっては懐かしい死者との交わり。岩井がデビュー以来書き継いできた彼岸とがんが溶け合うような光景が、本書では最上の形で表現されている。もしかすると作者は、積極的にホラーを書いたつもりはないのかもしれない。作者の頭の中にある世界を丸ごと表現しようとすると、死霊や彼岸が否応なく現実に入り込んできてしまう。それが実情に近いのかもしれないが、多くの読者にとって本書が「きょうてえ(怖い)」物語であることに変わりはないだろう。
 また本書が描いているのは、美醜が人びとにもたらす幸福と不幸、悦楽と絶望である。「女子はべつぴんに生まれて分限者の男にめられるか、どれだけよう働いてよう子どもが産めてよう親や婿に尽くせるか。それだけが女子の価値であり、務めであった」というのは、作中で語られる大正半ばの岡山の価値観だが、そうした今日の社会にもまだ存続している。
 では「別嬪」ならば一生安泰に暮らせるのかといえば、決してそんなことはない。美女には美女の、醜女には醜女の地獄があり、男たちにはまた違った形の地獄がある。それを生み出しているのは、性欲を中心とした人間の根源的な欲求だ。赤裸々な欲望に突き動かされて、美女も醜女も地獄を呼び込んでしまう。どうしようもなく愚かで卑小で、ある意味では美しくもある人びとの姿は、単行本刊行から二十年近くが経ち、外見にまつわる差別への意識が高まった今日においても、少しも力を失ってはいない。
 私見によると『べっぴんぢごく』は、ホラー小説によってある一族の歴史を描く、という課題に挑み、鮮やかな成功を収めた作品である。竹井家の歴史を縦に貫いているのは、言うまでもなく旧家に染みついた呪いの連鎖だが、同時に放浪というモチーフがくり返し描かれ、物語に横の広がりを与えていることも見逃してはならない。物語は流れ者であるシヲ母子の登場によって幕を開け、岡山から外の世界に開かれる形で終わる。変わらないものと、どこかに消え去るもの。その交わりによって生まれた物語は、やがて消えゆくことが運命づけられているわれわれ読者の胸にも、深い感銘と余韻をもたらす。
 その余韻をさらに強めているのは、「第十一章 乞食隠れ」の存在である。全編通して三人称が貫かれている本書において唯一、一人称で語られるこのパートにおいて、竹井家の因果の歴史はあらためて「物語」として提示される。懐かしくて、恐ろしい物語として。
 一人称語りが絶大な効果をあげている「ぼっけえ、きょうてえ」以来、岩井作品では語るという行為は重要な意味をもつ。人はそれぞれ個々の物語を生きており、その語りの中では虚が実に転じることもあれば、実が虚に転じることもありうる。そうした変幻自在の語りは、現時点での最新作『おんびんたれの禍夢』でいよいよすごみを増しているが、『べっぴんぢごく』でも一族の歴史を記述するうえで、重層的な語りが効果的に用いられている。たいの語り手・岩井志麻子の本領を味わえるという意味でも、本書は価値のある作品なのである。

 百数十年に及ぶ物語は、シヲの死と新たな因果の始まりを描いて幕を閉じる。しかし『べっぴんぢごく』という物語自体も、思わぬところで新たな因果を生み出していた。解説の最後にそのことについて付言しておこう。新たな因果とは、さいどうアザミが二〇二一年に発表した『むら家奇譚 ある憑きもの一族の年代記』(文庫版では『あわこさま 不村家奇譚』)である。作者自身が『べっぴんぢごく』に影響を受けたと公言する物語は、呪われた旧家の物語をやはり年代記形式で描いている。
 もちろん岡山を舞台にした『べっぴんぢごく』と、彩藤が自らのルーツである東北地方を舞台に描いた『不村家奇譚』は、物語もテーマも別物であるが、現代ホラーの収穫に数え上げられる『不村家奇譚』の背後に、シヲの数奇な人生があったことを思うと、感慨に打たれずにはいられない。機会があればぜひ、両者を読み比べてみていただきたい。
 この新装版刊行をきっかけに、新たな因果が令和の世に拡大することを願ってやまない。

作品紹介



書 名: べっぴんぢごく
著 者:岩井志麻子
発売日:2025年07月25日

終わることなき、怨恨と惨劇。岩井志麻子の描く、『百年の孤独』!
時は明治、岡山の北の果て。
乞食行脚の果てに、七歳の少女シヲは、
村一番の分限者である竹井家に流れ着く。
養女となり過去を捨て、絶世の美女へと育ったシヲは、
自らの子孫の凄絶な人生を見守り続けることになるが――。

美女と醜女が交互に生まれる、呪われた家系に生きる七代の女たち。
明治から令和まで連綿と受け継がれる因果は、
彼女たちを地獄の運命へと絡めとっていく。
憑きまとう死霊の影、貧困と美醜、愛欲と怨念。
時代は巡れど、この因果からは逃れられない――
『ぼっけえ、きょうてえ』の著者が圧倒的筆致で描き上げる、暗黒無惨年代記。

【角川ホラー文庫版刊行記念】
限定書き下ろし
「第十三章 シヲ百三十六歳」収録
世は令和。因果は、終わらない。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322503000698/
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