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連載

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」 vol.5

新宿二丁目のショーパブで、妻の部下と出会った夫。ノコギリを持って逃走中の犯人の話を聞く。吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」#1-5

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」

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 私の彼氏のことね、とカウボーイが敦に説明する。
「いつから」
 六花が尋ねた。カウボーイが腕時計を見た。
「三時間くらい前?」
 敦はずっこけて見せた。カウボーイが必死に訴える。
「夕方にデートすっぽかされた上、店終わったあと家行っていいって訊いたら断られたの。今日は店が忙しいって言ってたのに、店顔出したらバイトしかいないし」
 六花が説明してくれた。
「この人の彼氏、ゴールデン街でバーやってるの。『はつさん』ていう店」
 半分ふざけて、聴取風に訊いた。
「なるほど。八散の経営者。名前は?」
かわぐちマサト。あ、これは通称ね。本名は川口
「ん、女?」
 六花が「FtM」と言った。
「Female to Maleの略、トランスジェンダーね。女だったけど、いまは男。あれ、マサトは工事済んでるんだっけ?」
「おっぱい取っただけ。子宮とかは手付かず」
「てことは、戸籍も女性のままっすか」
 日本では、性別適合手術が済んでいないと、戸籍の性別変更が認められなかったはずだ。
「そうなの。本当はマサトはね、工事済ませて戸籍を男にしたいのよ。すると私たち、結婚できなくなるじゃない」
 性的マイノリティがどれだけこの日本社会で生きていくのが大変で不便か、カウボーイは敦の手を握って語り出した。
「もう自分なんかこう見えて四十五なわけ。お兄さんは」
「俺? 四十ぴったり」
「わかるでしょー、四十になれば。いろんなことがさー」
 敦はいい加減に相槌を打った。
「もうアラフィフ、還暦、老後は目の前でしょ。家とか株とか贈与とかさ。いま私死んだら、財産は殆ど、兄弟とその子供たちに行くのよ。私のことオカマだ気持ちわりいっていじくり倒した小学生とかにさ。それで愛するマサトには一円も行かないとかありえないでしょ」
「そっか。戸籍変えなければすぐ結婚できる」
「そう。妻になれば何の法的手続きをしなくても財産を相続できるでしょ」
 六花も付け足した。
「でもいつまでもマサトを女のままにしておけないし、最後の手段の養子縁組とかも考えなくもないけど『夫婦』って響きにやっぱ憧れるのよ。養子じゃなくてこのまま結婚した方がとか考えちゃって」
 殆ど聞き流していたが、『夫婦』という言葉に敦は引っかかる。自分たち夫婦はなんの障害もなく結婚したが──。
 幸せか?
 琴音のことを考える。家を出るとき布団に丸まってふて寝していた。夫のことなんか見向きもしなくなった。階級を越したことで、見下している部分もあるはずだ。
 初めて会ったのは警察学校時代だ。あのころの警察学校は教場が男女共学になってまだ間もなく、琴音は〝史上初の女性場長〟として目立つ存在だった。スポーツ万能、成績優秀で卒業時には警視総監賞も受賞した。卒業生代表スピーチのとき、切れ長の目を潤ませ、りんとした口元で警察官としての志を熱弁する様子に、敦を含め同期の警察官たちは感涙にむせんだものだ。講堂が琴音への大喝采であふれた瞬間を、いまでもよく覚えている。
 彼女はあのとき、輝いていた。
 男たちは琴音をたかの花と仰ぎ見て、女たちは姉御肌の彼女を慕った。
 彼女は変わってしまった。いつもイライラしている。疲れ果て、ため息が多い。びついている、という言葉がぴったりだった。
 六花が潤んだ目で敦を見つめていた。
 年齢はそう変わらなそうだが、かつての琴音を彷彿とさせる、輝く瞳。女しか受け付けない、女しか知らない体。木島の言う通りだ。もつたいない。男として、こんなに神聖な存在があるだろうか。これまでもこの先も永遠に、どの男も通り過ぎることができない、女体。
「ねえ聞いてる!」
 カウボーイが敦の両頰を摑み、ぐいっと首をひねった。
「聞いてない。三時間行方不明? まずは相手に電話しましょうか」
「だから、出ないの! こんなこと付き合って十年、初めてよ。定休日以外に店出ていないのだって初めてだからね。しかも成人式だよ、こんな書き入れ時の日に……!」
 六花が目をぎらつかせた。刑事なのだ。
「確かに気になるね。ゴールデン街だし」
 六花がスマホで木島に電話をかけた。敦は尋ねる。
「なんの話」
「事件の話」
 木島はすでにタクシーに乗せられているようだ。怒っているのか、嘆いているのか、受話器越しにやかましい声が聞こえる。
「昼にゴールデン街見回ったんでしょ。八散は見た?」
 敦だけでなくカウボーイも六花のスマホに顔を近づける。六花は男二人に言った。
「店内捜索済み、特異動向ナシ。マサトも普通に対応してたって」
 カウボーイはがっかりした顔で立ち上がった。六花は電話を続けている。
「ねえ、三階は見た? 三階だってば」
 馬鹿ね、とカウボーイが六花の肩を叩いた。
「八散は二階建て。ゴールデン街で三階に店舗があるトコなんかない」
 カウボーイは行ってしまった。六花はその後も木島と長電話をしていたが、最後は面倒くさそうに「わかったわかったはいはーいバイバイ」と一方的に電話を切った。
 ほったらかしの敦に、ごめんね、とほほみかけてくる。敦はウィスキーをロックで注文した。改めて彼女に身を寄せる。
「ていうか、聞いていい?」
「なになに」
 六花がショートカットの髪をかけた耳を傾けてくる。特徴のない小さな耳だが、リングピアスが妙になまめかしい。
「木島さんが、前にその──いろいろ言ってたのを思い出して。それでさっき、女しか知らない体が勿体ないとか、どうとか」
 性的指向を直接確認するのはまずいか。遠回しな言い方になる。
「気遣い過ぎ。レズビアンですけど。なにか?」
 六花はあっさり答えた。
「いやぁ……警察で。珍しいね。ていうか木島さんに相当気に入られてない?」
「あの人、年頃の娘がいるでしょ。心配で仕方ないけど口出しすると嫌われる。娘への思いを、私をかわいがることで消化してるのよ」
「太腿触ったりしてたけど?」
「ホント。たまにおっぱいも揉んでくるのよ」
 ウィスキーが来た。あおる。
「それはやっちゃまずい奴だ」
「私がその前にふざけて股間摑んだからかも」
「それは……やっちゃっていい奴かもー!」
 敦は酔っぱらい、足を広げて六花の方へ近づいた。ばっかじゃないの、と頰をつねられるが、痛くなかった。撫でられたようにすら感じる。
「やっべ。超楽しくなってきた。飲んでよ六花ちゃんお願いだから」
「ダメだって。捜査」
「聞かせろよ。俺まだ警部補だけどさ。名探偵だぜ」
「名探偵は自分のこと名探偵って絶対言わないと思うよ」
「だから話してみろって所轄よ。俺は本部捜査一課だからな」
 六花が耳を貸せ、と人差し指をくいくいと曲げてくる。顔を寄せた。耳元で、六花が殺人事件とノコギリ青年の詳細を話す。吐息が熱い。ふと視線を下にやる。六花の胸の谷間が見えていた。タイトスカートは体の線にピッタリだ。ウエストはくびれ、尻はボリュームがある。
 敦は途中から殆ど内容が頭に入らなかった。血がどんどん下半身に流れていく。頭がクラクラした。
「どう思う? タクシー使ってもう新宿出たと捜査本部は見てたんだけど、ホシを乗せたタクシーが見つかってないの」
「そりゃ、きっとまだ新宿にいるさ」
 頭の中は六花のおっぱいとお尻でいっぱいだったが、敦はそれっぽく推理した。
「新宿は隠れ放題だ。人も多いし、二丁目入ったら厚塗りのドラァグクイーンが闊歩してんだぜ。意外に、いまステージに出て歌って踊る女装した奴らの中に犯人がいるとか」
 悲鳴が聞こえた。
 歌と音楽、ダンスを楽しむ嬌声に紛れた、趣味の悪い余興のようだ。途切れ途切れの悲鳴は、近づいているようだ。どこから聞こえているのか。
 六花も気が付いたか。はっと顔を上げて背筋をピンと伸ばすさまは、サバンナに生きる女豹のようだ。
 ステージ上はスピーカーの音が大きいから、悲鳴が聞こえないようだ。七色の角刈りのカツラを被り、肩パッドの入ったスーツを着たドラァグクイーンが歌うのは『アイ・ニード・ア・マン』だ。グレイス・ジョーンズらしく男女の性差を超えた恰好をしている。
 ステージ脇の扉が開いた。カウボーイが出入りしていた、ZEROに通じる扉だ。
 血まみれの女性が転がり出てくる。
「助けて! 男が、人を刺しまくってる!」
 敦は、すぐに状況を飲み込めなかった。ミラーボールとレーザービームで彩られた異空間に、男女の定義を超えた存在が優雅に舞い踊る。全てが張りぼてのようで、メルヘンでファンタジーな場所に、〝事件〟が入り込むのはあまりにれつだった。
 客席が騒然となっている。六花が血まみれの女性を抱きかかえていた。敦は慌ててスイッチを切り替えた。立ち上がり、叫ぶ。
「誰か救急車呼んで! 警察だ、みんな落ち着いて!」
 敦はスマホで一一〇番通報した。本職を名乗った上、端的に現場住所と状況を伝える。六花が「彼女をお願い」と叫び、扉の奥に消える。女性は興奮して息が上がっている。衣服や手に血がついているが、傷が見えない。
「どこ切られた?」
「血で滑って。私はしてない」
 ──血で滑るほどの現場か。
 敦もステージ脇の扉に飛び込んだ。狭く細い通路の先にらせん階段がある。白熱灯の照明のみで、薄暗い。天井も低い。身長一七八センチの敦は、腰をかがめないと頭をぶつけてしまいそうだ。衣装の入った段ボール箱やビールのケースなども置かれていた。狭く急ならせん階段を駆け上がる。血の足跡が点々と残る。踏まないように留意した。
 泣き声が聞こえてくる。男の怒号も聞こえた。パーティイベント中だったはずだが、音楽は一切聞こえない。身を寄せ合い、震える女性が段差に座り込んでいた。二人とも腕を切られている。命に別状はなさそうだ。
「犯人はまだ、上?」
 女たちが震えながら頷く。ひとりはショートカットにジャケットを羽織り、ボーイッシュだ。レズビアンのカップルだろう。
「刃物って、ノコギリだったかな?」
 わからない、とロングヘアのフェミニンな雰囲気の女性が言う。
「いきなり悲鳴が聞こえて、なにかと思って後ろを向いたら、無言で人を切りつけている男の人がいて……」
 六花は丸腰だ。応援を待つべきだが、まずは男の自分が守ってやらねば。
 敦はらせん階段を上り詰めた。鉄の防火扉が目の前にある。重心を落とし、開け放つ。
 赤い。
 壁や椅子がどぎつい赤色で装飾された店だった。
 目の前は、ホールと受付を繫ぐ通路だった。トイレの入口とコインロッカーがある。飲み物がこぼれ、プラスチックの容器が散乱する。カーペットの色もえんで、血痕が分かりにくい。
 右手の受付には、手提げ金庫を抱いた受付の女の子が腰を抜かして地べたに座り込んでいた。怪我をしている様子はない。
 左手のダンスホールが、惨劇の舞台だった。
 音楽は鳴っていない。ミラーボールは回転したままだ。入ってすぐ左手の高台はDJスペースだった。誰もいない。右側にはバーカウンターがあった。酒のボトルやビールサーバーが並ぶ。売り子の姿はない。客も少なかった。敦が見たときは入口に行列ができていた。みな外へ逃げたか。
 ダンスホールの壁際にテーブル席が五つだけあった。ソファ席に仰向けになり、泣いている女装男性がいた。網タイツの太腿から出血している。スタッフらしき人が太腿の付け根にタオルを巻きつけ、止血している。
 他、数人の怪我人がそれぞれに傷口を押さえ、うめいている。腕、顔など、上半身を切られている者が多い。
 清潔そうな大量のタオルを持ち、負傷者を回る女性がいる。さめの被り物をしていた。この場にそぐわないこつけいな被り物を、取る余裕すらないようだ。
 小さなステージにはスクリーンが垂れていた。白黒映画が流れている。『サンセット大通り』だろうか。ラストの、落ちぶれ女優ノーマの異様な形相がアップになった。スクリーンは無音のまま『E.T.』の名場面に切り替わる。少年が漕ぐ自転車が、月とすれ違う。
 舞台のかみ側は控室か、白いカーテンが引かれていた。血で汚れた手でカーテンを引いたような痕が多数残っていた。敦はハンカチで手を覆い自分の痕跡を残さないようにしながら、カーテンをそっと開けた。
 うっ、とこらえるような小さな悲鳴がある。身を寄せ合う人々が十人ほどひしめき合っている。全員が本格的なコスプレをしていた。
「警察です。お客さんですか」
「いいえ、ここのダンサーです」
「犯人は?」
 首を横に振るもの、ステージの方に顎をやるもの、わっと手で顔を覆う者、様々だ。一人が泣きながら言う。
「静乃さんをメッタ刺しにしたあと、自殺を……」
 ステージの上に、六花がいた。
 血まみれの女性が倒れている。レトロなヨーロッパの貴族風のドレスを着ている。パニエから伸びる足首に力がない。ハイヒールの右足は天を向き、左足はストッキングだけだった。青白い足の裏に血がついている。六花は自身の赤いジャージを脱いで、女性の胸を止血している。血だまりができていた。人々が逃げまどったのか、ステージ上には血のゲソこんがあちこちにある。
 六花が「心音がしない」と泣いている。女の半開きの口に吸い付き、人工呼吸をする。息を吹き返す様子はない。
 ステージ下にひとり、スーツをまとった男が足を投げ出し、座り込んでいた。微動だにしない。絶命しているように見えた。首から血が垂れ続けている。彼の周りに丸く血だまりができていた。顔はまみれで人相がよくわからない。血に汚れた刃物をぎゅっと右手に摑んでいた。
 刃物をよく観察しようと、敦は男に近づいた。指先に反応があった。まだ生きている。
 敦はとつに数歩下がり、重心を落とした。モップが足にあたる。誰かがこれで応戦しようとしたのか。けいじよう代わりに構える。
 犯人はさい、ふうーっ、と長いため息をついた。
 息絶えた。

(このつづきは本書でお楽しみください)

「カドブンノベル」2020年3月号より


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