【連載小説】旅館〈M〉へ到着した。一行は久我の泊まる部屋へと向かうが……。 赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」#9-2
赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」

※本記事は連載小説です。
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車は、ひなびた感じの温泉町へと入って行った。
何軒かの旅館が、身を寄せ合うように並んでいる。道の側溝から白く湯気が上っていた。
「──〈M〉って旅館だったな」
村上がスピードを落として、左右の旅館を見て行く。
「──村上さん! この先の右側!」
「さすがに目がいいね」
と、村上が
車を一旦その旅館の前に停めたが──。
「いや、目に付かない方がいいな」
村上はさらに少し先まで車を動かして、空地になった所へ車を入れた。
三人は車を降りて、旅館へ向った。
「まず僕が話をする」
と、村上が言った。「騒ぎになるといけない。逃げられたら大変だ。君たちは旅館の表で待っててくれ」
「だけど」
と、有里は言った。「充代さんは久我の顔を知ってるんだから──」
「だが、有里君、一人で大丈夫か?」
「ご心配なく」
「そうだな」
と、村上は苦笑した。「何かあったら、大声を出してくれ」
「得意よ、任せて」
有里は、村上と充代が旅館の中へ入って行くのを見てから、旅館から
「久我様……ですか」
と、旅館の女将は小首をかしげて、「そういうお方はお泊りではありませんが」
「そういうお方って言うけど、もう何度もここに泊ってる、なじみの客のはずだ」
と、村上が言った。「緊急の用なんだ。正直に答えてくれ」
「ですが──」
村上が警察手帳を見せると、さすがに女将の顔色が変った。
「あの……久我様が何か……」
「事件に巻き込まれてるんだ。泊ってるんだね?」
「はあ……。でも、泊ってることは内緒にしてくれとおっしゃって……」
「久我さんが何かしたわけじゃないんだ。むしろ、久我さんの身が危いんだよ」
「分りました」
女将はもともと大きな目を丸くして、「お部屋へご案内します」
「頼む」
村上と充代は女将について、廊下を歩いて行った。
曲りくねった廊下を
案内しながら、女将も申し訳なさそうに、
「できるだけ奥の部屋がいいとおっしゃって……。珍しいんです。大浴場には遠くなるので、いいのかな、と思いましたが」
「人に見られたくないんだろう」
「そうですね。いつもは『大浴場に近い部屋』とご注文なので……」
渡り廊下を越えて、やっと別棟へ入る。
「ここの二階です」
狭くて急な階段を上ると、取っ付きの部屋の戸を開けて、
「失礼します。──久我さん、女将でございます。ご用というお客が……」
鍵のかからない、古い引き戸。
「久我さん?」
と、女将が呼んで、部屋へ入る
村上は一瞬緊張した。
もしかすると、誰かが先手を打って、久我を殺してしまったのではないか、と思ったのだ。
しかし──部屋は空だった。
「タオルがありません」
と、女将が言った。「たぶん大浴場に行かれていると……」
村上はちょっと考えて、
「大浴場へ案内して下さい」
と言った。
▶#9-3へつづく
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