中国大ヒット映画原作、SF短編集!『流浪地球』レビュー
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SFと「科幻」――劉慈欣文学の魅力
書評:加藤 徹(明治大学教授)
サイエンス・フィクションを、日本人は「空想科学」と訳し、中国人は「科幻(かげん)」(科学幻想)と訳す。
空想科学と科幻。英訳は同じSFでも、文学ジャンルとしての両者の性格は違う。
私たちが暮らしているこの地球は、二つの世界に分かれている。ゴジラ的な映画を作れる「空想科学」系の国々と、作ることが許されない「科幻」系の国々だ。
日本人は、怪獣が東京を焼き、自衛隊の戦車を踏みつぶす映画を好む。アメリカ人も、宇宙人がホワイトハウスを壊し、UFOが米空軍の戦闘機をハエのようにバタバタと落とす映画を楽しむ。イギリス人も、十八世紀の小説『ガリバー旅行記』でガリバーが小人国の王宮の火事を小便で鎮火して以来、実在の国家や社会をシニカルに風刺するはたらきをSFに託してきた。
日本をふくむ空想科学系の国々では、SFの使命は思考実験だ。いま私たちの目の前に存在する強大無比な国家やイデオロギー、宗教、社会が崩壊したら、私たちはどう行動するか。思考実験、つまり考えること、が空想科学の醍醐味である。小松左京は『日本沈没』や『物体O』を発表できた。彼は日本の作家だった。
「科幻」系の国々は違う。これらの国々では、SFといえども、現実の自国政府とは無縁な「幻想」つまり浮世離れしたファンタジーでなければならない。
もし、自国の首都を怪獣や宇宙人など外部の侵略者が焼き払うシーンを描いたら? もし、現在の国家や執政党が崩壊し自国の軍隊も人民を守るうえで無力だと作品の中で書いたら?
「科幻」系の国々では、たとえ虚構でも、そんな空想を発表した作家は、ただではすまない。
中国において、SFが長いあいだ不毛だった一因は、ここにある。
劉慈欣氏は、中国を代表する「科幻作家」である。科幻作家の必須条件は、クレバーであることだ。
劉氏の出世作『三体』の物語は「文化大革命」から始まる。未読のかたへのネタバレを避けるため詳しくは書かないが、中国政府や中国の人民の目から見て、この作品はクレバーで、安心して推奨できる。「文化大革命」は、一九六六年から七六年まで続いた混乱期だった。電信の機器も技術も、アナログで未熟だった。当時の中国は貧しかった。米ソをさしおいて、社会を恨む中国人が最初に宇宙人と交信する、というあの物語の冒頭は、科学的には不自然だが、科幻としては正しい。「文革」は、中国共産党があやまちであったと失敗を認めている、唯一の時代だからである。
本書に収められている短編もクレバーだ。
「吞食者」で、宇宙からの侵略者がむさぼり食うのは、中国ではなくて「ヨーロッパの首脳のひとり」である。
「呪い5・0」は、中国の科幻小説では珍しく、実在の中国本土の都会が火の海になる。が、ここにもクレバーな配慮が周到にめぐらされている。まず、舞台は北京ではない。漫画家の魔夜峰央氏が自分が住んでいた県をディスったギャグ漫画『翔んで埼玉』を発表したのと同様、劉氏は舞台として自分が育った山西省を選んだ。また、劉氏の作品は内省的で重厚なのに、この作品に限っては筒井康隆氏のスラップスティック小説や横田順彌氏のハチャハチャSF作品のようである。氏は意図的に、おバカ作品の筆致を徹底した。都市の壊滅の理由も、外部からの侵略者という外因ではなく、内因である。さらに自分自身を作品の中に滑稽な描写で登場させた。外国人が見ると悪ふざけのようだが、実は、どの一つの要素が欠けても「幻想」ではなくなる。ギリギリの作品なのだ。
科幻は、現実社会との間合いに対する深謀遠慮を余儀なくされる反面、想像力の面では幻想の特権をフルにいかすことができる。
そもそも、およそ三千年の歴史をもつ中国文学の歴史において、歴代の知識人や作者は、国家権力の統制の網の目をかいくぐるクレバーさと、現実をのみこむ気宇壮大な想像力をあわせもってきた。
その意味で、科幻は、正統な中国文学である。劉氏は、漢文や漢詩、『三国志演義』や『西遊記』などの古典小説、魯迅や老舎、巴金など近代小説の系譜につらなる中国文学者だ。
劉氏の作品の魅力は、壮大な想像力と、残酷なまでのリアルな「人間」の描写にある。この二つとも、中国文学の特徴である。
本書の収録作品でいえば、「ミクロ紀元」には、漢文の故事成語「
「中国太陽」と「山」は、唐の詩人・
一九六三年生まれの劉慈欣氏の子ども時代は「文化大革命」だった。当時、中国の人民は、子どもも含めて真っ赤な表紙の『毛主席語録』を手にふりかざし、内容を暗記した。毛沢東が演説の中で引用した漢文古典の四字熟語「
むかし「愚公」つまり「おバカなじいさん」という九十歳の老人がいた。家の前にある巨大な山が邪魔なので、山を移そうとした。人間がバケツで運べる土の量なんて、ほんのちょっぴりだ。人の一生なんて、悠久の天地から見れば一瞬だ。が、愚公は言った。「わしが死んでも、せがれがおる。せがれが死んでも、孫がおる。人間は子々孫々、限りがない。が、山はどんなに大きくとも、土の高さは増えぬ。土をちょっとずつ運べば、だんだん減る。いつか必ず平らにできる」。愚公の情熱は天帝を感動させ、山は動き、広大な平野が開けた――と「愚公移山」の寓話は伝える。
子どものころから「愚公移山」を暗記してきた中国人にとって、「流浪地球」の世界観は、すんなり胸に響く。
劉慈欣作品の最大の魅力は、中国文学の特徴でもあるが、「人間」の描写である。人間の愚かさ、業の深さ、ちっぽけさを残酷なまでに描く。そのうえで人間への希望を捨てきれない。それが人間だ、という人間の真実を描くのが、中国文学三千年の伝統である。
「流浪地球」での、加代子の死や五千人の処刑のようなことは、リアルな中国史ではよくあることだ。「吞食者」の
「もう二度とモラルを語るな。宇宙において、それは無意味だ」
とうそぶく。「宇宙」を「中国」に置き換えると、科幻ではなくなる。大牙が、存亡をかけた死闘の末、地球人を、
「おまえたちはもっとも傑出した戦士だった!」
と激賞するのは、『三国志』で、蜀の
日本の中学校の国語の教科書は、中国の作家・魯迅の短編「故郷」を載せる。魯迅は、人間の愚かさと小ささを、毒を含んだユーモアをまじえてシニカルに描きつつ、それでも、人間への希望を捨てきれない。劉慈欣文学には、魯迅と共通するものがある。
本書の二人の訳者のうち、古市雅子氏は北京大学の現役の教員であり、日本最高の中国通の一人である。SFの専門家である大森望氏とのコンビネーションにより、劉慈欣氏のSF作家としての才能と、中国文学者としての魅力の双方を満喫できる、最高の日本語訳が誕生した。
今回の文庫化により、中国文学の世界に接する日本の読者が増えることを、喜びとしたい。
作品紹介
流浪地球
著者:劉 慈欣 訳者:大森 望、古市雅子
発売日:2024年01月23日
第54回星雲賞受賞作。中国大ヒット映画原作、SF短編集!
●ぼくが生まれた時、地球の自転はストップしていた。人類は太陽系で生き続けることはできない。唯一の道は、べつの星系に移住すること。連合政府は地球エンジンを構築、太陽系脱出計画を立案、実行に移す。こうして、悠久の旅が始まった。それがどんな結末を迎えるのか、ぼくには知る由もなかった。「流浪地球」
●恒星探査に旅立った宇宙飛行士は先駆者と呼ばれた。帰還した先駆者が目にしたのは、死に絶えた地球と文明の消滅だった!? 「ミクロ紀元」
●世代宇宙船「呑食者」が、太陽系に迫っている。国連に現れた宇宙船の使者は、人類にこう告げた。「偉大なる呑食帝国は、地球を捕食する。この未来は不可避だ」。「呑食者」
●歴史上もっとも成功したコンピュータ・ウイルス「呪い」は進化を遂げた。酔っ払った作家がパラメータを書き換えた「呪い」は、またたく間に市民の運命を変えてしまう――。「呪い5・0」
●高層ビルの窓ガラス清掃員と、固体物理学の博士号を持ち、ナノミラーフィルムを独自開発した男。二人はともに人工太陽プロジェクトに従事するが。「中国太陽」
●異星船の接近で突如隆起した海面、その高さ9100メートル。かつての登山家は、単身水の山に挑むことを決意。頂上で、異星船とコミュニケーションを始めるが。「山」
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