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ブレイク必至の要チェック作をご紹介する、
熱烈応援レビュー!
『どうしようもなく辛かったよ』朝霧 咲(講談社)
評者:吉田大助
「どうしようもなく」と「辛かったよ」。どちらも日常遣いされるありふれた言葉だが、この二語を組み合わせたフレーズは初めて目にしたかもしれない。タイトルに惹かれて読み進めていくと、なるほど、だからか、と納得のため息をつく瞬間が何度も訪れた。
鮮烈な青春小説の書き手を発掘する場として認知されつつある「小説現代長編新人賞」の第一七回受賞作だ。どこにでもありそうな中学校を舞台に、序章と本編全五章からなる連作短編形式が採用され、各章ごとに主人公=視点人物が変わる。
全ての物語の起点となる、「一章 若菜 私たちは私たちに夢中」がとにかく素晴らしい。部員が二年生七人しかいない女子バレーボール部の一員・若菜は、三年生が抜けた新チームでの練習に情熱を燃やしている。最後の大会ではトーナメントを勝ち抜いて、大好きな顧問の藤吉先生を上の大会まで連れていきたい。その思いはみんなも同じであることが、他の部員たちとのコミュニケーションの描写を通して伝わってくる。小説で表現することは極めて難しい、三人以上が参加する会話を書く、という大胆不敵さには驚かされた。無理にキャラを立てたり語尾を変えてまで、七人をきっちり書き分けなければいけない、というこだわりが書き手の中になかったからだろう。この七人は、ひとかたまりの存在なのだ。そのことを、若菜はこう表現している。〈私たちは、特別〉。
バレーボールという競技が題材に選ばれた理由は──『桐島、部活やめるってよ』(朝井リョウ)の本歌取りという面も当然あるが──ここにある。〈見ようによっては格闘技に見えなくもないバスケやハンドと違って、コート内には味方しかおらず、声を掛け合えば衝突も起こらない〉。ドッジボールのように、外野の存在もない。味方だけで、ひとかたまりとなって行う競技なのだ。
若菜たちは、自分たちがひとかたまりであると感じられることを喜んでいるし、望んでいる。なにしろ約一年前、下の代が入ってこないよう部員総出で暗躍し、新入部員をゼロに収めた過去があるのだ。そして、ひとかたまりであるからこそ予期せぬ悲劇が生まれる。新年度から、藤吉先生がライバルの強豪校に転任し、三年生となった七人は、負ければ即引退となる夏の大会に臨むが……。その後の展開は、予想通りと言える。しかし、その結果をもたらすこととなった理由が、予想外のコースから飛んでくる。そこで炸裂する青春の痛みは、あまりにも鮮烈だ。
第二章以降は最後の試合を終えた女子バレーボール部員たちの「その後」、それぞれの人生に訪れる選択──他人にとっては小さな、本人にとっては大きな──が綴られていく。〈冬は女子から順に来る。夏は男子だ〉〈舐めてしまった口紅がまずい〉などハッとくる一文を、要所に織り交ぜながら。
一章目に匹敵する衝撃は、最終章のラストにも現れる。実は、「どうしようもなく辛かったよ」というフレーズは、あるフレーズの対義語として導き出されたものだった。そちらのフレーズは、多くの読み手が自分あるいは誰かに対して一度は、もしかしたら何度も口にしたことがあるはずだ。そうか、そのフレーズの対義語が「どうしようもなく辛かったよ」なのだと気付かされた瞬間、自分の内面は深く広いものであると当たり前のように認識しているにもかかわらず、他者の内面はそこまでではない、と見積もってしまう己の浅はかさを突きつけられた。
青春にフォーカスしながら、ここまで輝きが排除された小説は稀だ。本作は青春小説であって、青春小説ではないのかもしれない。青春という題材を用いて、他者の内面の計り知れなさを表現した、ただの、優れた小説だ。
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『桐島、部活やめるってよ』朝井リョウ(集英社文庫)
男子バレーボール部キャプテンの桐島が部活をやめたというニュースから始まる、17歳の高校生たちが織りなす群像劇。〈くだらないかもしれないけど、女子にとってグループは世界だ〉。青春の中に訪れる「ひかり」の有無や「世界」の表現の仕方に、ミレニアル世代とZ世代(朝井リョウは1989年生まれ、朝霧咲は2004年生まれ)の違いを見てとることができるかもしれない。
(本記事は「小説 野性時代 2023年10月号」に掲載された内容を転載したものです)