物語は。
これから“来る”のはこんな作品。
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ブレイク必至の要チェック作をご紹介する、
熱烈応援レビュー!
『くもをさがす』西 加奈子(河出書房新社)
評者:吉田大助
一般的に、性悪説が採用された言説は、人間存在を鋭く観察したリアルなものだとされている。それが小説としてアウトプットされている場合は、文学的に深いと評価される傾向がある。そんなことは重々承知しながらも西加奈子は、二〇〇四年のデビュー以来、人間存在と世界そのものの美しさについて書き続けてきた。ブレイク作の『さくら』、直木賞受賞作の『サラバ!』、近作の『i』や『夜が明ける』……。それぞれ全く異なる身体性やセクシュアリティ、価値観やコンプレックスを持った個人を創造し、人生に悩み葛藤する様子を追いながらも、それぞれが自己に宿る光や希望のありかを見出し、誰かと手を繫いで生きていくプロセスを描き続けてきたのだ。言葉で構築された小説は、言葉で構築されて(しまって)いる人間の内面に関わる。西加奈子の作品には、性悪説に引き寄せられがちな人々の心を逆方向へと引っ張り上げる力がある。引っ張り上げる「やり方」を、読者は彼女の作品を通して教わってきた。
最新刊『くもをさがす』は、西にとって初となるノンフィクション作品だ。西加奈子文学の最新作、と言った方が適切かもしれない。一度でも彼女の作品を読んで勇気付けられたり希望の感触を得たことがあるという人は、その時と同じかそれ以上の感動が得られると伝えたい。もちろん、彼女の本を今回初めて手に取るという人にも。
舞台はカナダのバンクーバーだ。夫と息子と猫と一緒にかの地へ期間限定で移住していた西は、足に赤い斑点を見つけたことがきっかけで病院を訪れる。医師の診断によれば、蜘蛛に刺された可能性があるという。「なんか質問ないな?」(現地の英語ネイティブの人の言葉はみな関西弁表記)。右の胸に硬いしこりがある、と伝えたことから急速に事態が進展し、検査を経て乳がんであると宣告される。二〇二一年八月一七日のことだった。
当時は新型コロナウイルスの感染者数が拡大の一途を辿っていた。西は帰国のための手続きや隔離期間の存在、がん手術等が遅延している日本の医療情況などを考慮して、バンクーバーで治療することを決断する。自分の思いを言葉で十全に伝えることができず、医療制度の違いにより日本であれば起こり得ないディスコミュニケーションが発生する中で、西は心と体を震わせる。そのことを隠さず「泣いた」と記している場面もあるが、本当はもっとたくさんの場面で泣いたであろうことが行間から伝わってくる。西は抗がん剤治療を経て、両乳房を摘出する。
作中、当時の日記の一部が挿入されている。その日記を〈追うようにして〉〈ほとんど同時進行で〉書いていった文章が本書となった。書くことが、いったいどれほど心身を慰撫していただろうかと思う。作中ではさまざまな作家たちの本がリファレンスされており、文章が引用されている。読むことが、いったいどれほど心身を慰撫していただろうかとも思う。
支えてくれた家族や友人、隣人たちの愛や振る舞いは、まるで西作品の登場人物たちのようだった。そして、闇の中に光を見出そうと手を伸ばす西の姿は、西作品の主人公のようだった。その事実から、もしかしたらと想像が膨らんでいった。西は自らを救い自らを祝福し、絶望の底から引っ張り上げる「やり方」を、かつて自分が書いた作品から学んできたのではないか。その「やり方」を、この本の元となった文章を書いていく経験の中で、自己に適用してみせたのではないか。
この本のすみずみに、性悪説とは別種のリアルさや深さが宿っている。この一冊を機に、これまでとは異なる物語がたくさん語られる世界になることを願う。
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