貴志祐介が描くホラーミステリの極北 。あなたの罪が、あなたを殺す。
『梅雨物語』レビュー
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『梅雨物語』
著者:貴志祐介
書評:千街晶之(ミステリ評論家)
ホラーから出発し、SF、本格ミステリ、サイコ・サスペンス……と手掛ける領域を拡げてきた作家、貴志祐介。特定のジャンルに囚われず、絶えず越境を繰り返すその作風をたっぷり味わえるのが新刊『梅雨物語』だ。昨年刊行の『秋雨物語』に続き、先の読めない展開から人間の罪業を浮かび上がらせる作品集となっている。
本書には三つの中篇が収録されているが、巻頭の「皐月闇」は、梅雨の午後、元中学教師の老俳人・作田慮男のもとを若い女性が訪れるところから始まる。彼女は、中学生の時に作田が顧問を務める俳句部に所属していた萩原菜央だった。その双子の兄の龍太郎も同じく俳句部員だったが、菜央によると、彼は『皐月闇』と題した句集を遺して自殺したという。
収録作のうち、この作品が最もミステリ色が濃い。というのも、本作では作田が、菜央の持参した『皐月闇』をもとに、龍太郎の死の理由を推理する展開になっているからだ。凡庸な句ばかりに見えた『皐月闇』から、作田は幾つかの注目すべき句を拾い上げ、そこから龍太郎の身に起きた出来事を驚くべき洞察力で浮かび上がらせる。長年、俳人として研鑽を積んできた作田の博識ぶりが真実を射抜くかに見えるのだが、その後、物語は異様な方向に曲がりくねってゆく。この作品の不穏極まる読み心地は、世界ミステリ史に残る傑作として名高いクリスチアナ・ブランドの短篇「ジェミニー・クリケット事件」を想わせる。
二篇目の「ぼくとう奇譚」は、打って変わって昭和十一年の東京が舞台。二・二六事件や阿部定事件が起こり、世情が騒然としていた頃だ。高等遊民を自任する木下美武は、銀座で通りすがりの男から「お主、このままでは死ぬぞ!」と声をかけられる。千里眼の行者だというその男は、美武がこのところ黒い蝶の夢を見ていることを見抜き、「黒い蝶が、お主を導く先は、地獄の他ない!」と不吉な予言をするのだった。
その後、美武は夢の中で巨大な妓楼に通いはじめるのだが、そこである選択をすれば助かるらしいことが判明する。もちろん、そう簡単に助かるわけがないのであり、逃げ道のない恐怖が美武を容赦なく追いつめてゆく。「ぼくとう奇譚」というタイトルから思い浮かぶのは永井荷風の「濹東綺譚」(「濹」は隅田川を意味する)であり、実際、本作の中にも荷風が脇役として顔を見せるのだが、本作の「ぼくとう」に当てはまるのは違う漢字だ。その真の意味が明らかになるラスト数ページの生理的な気色悪さは、著者の初期作品『天使の囀り』を想起させる。心理的な恐怖だけでなく、こういうグロテスクな描写でも著者は天下一品なのだ。
最後の「くさびら」もまた、実に奇妙な物語である。軽井沢で暮らす工業デザイナーの杉平進也は、ある日、庭の芝生一面に異様な模様が拡がっていることに気づく。よく見てみると、それはキノコだった。やがて、進也は庭がキノコだらけだと主張し、シャベルと鍬で庭を掘り返すようになった。
「くさびら」というタイトルは、同題の狂言からの引用である。ある男の屋敷に得体の知れないキノコが生え、取ってもまた生えてきて気味が悪いので、男は山伏を呼ぶ。山伏は祈祷を始めたが、キノコは消えるどころか逆にどんどん増えてゆく……という内容の狂言だが、本作には実際に山伏が登場するなど、タイトルのみならず展開も原典をなぞっている。その突飛さもさることながら、なんといっても、ミステリとしての謎解きのロジックが異様極まりない。普通、ミステリでこんなロジックは成立するわけがない。だが作中の世界では、何故かそのロジックが登場人物たちによって当たり前のように受容されてしまうのだ――ある一人の人物だけを除いて。作中と現実の常識が反転することで、読んでいるこちらがおかしくなったのかと思ってしまうような怪作である(なお、作中のある人物は長篇『我々は、みな孤独である』にも登場していた。通常のミステリの枠に収まらない謎解きという点も共通している)。
いずれも謎解きの要素を含みつつ、それを支えている理屈は異様そのもの――そんな三つの仄暗い物語は、作中人物のみならず読者の拠って立つ常識をも転覆させながら、何とも言えない不穏な読み心地で迫ってくる。そして、梅雨時の湿った空気のような忌まわしい雰囲気が、いつしか読者を取り巻いて逃さないのである。ミステリとホラーの双方を極めた異才ならではの境地と言える。
作品紹介
梅雨物語
著者 貴志祐介
発売日:2023年07月14日
貴志祐介が描くホラーミステリの極北 。あなたの罪が、あなたを殺す。
・命を絶った青年が残したという一冊の句集。元教師の俳人・作田慮男は教え子の依頼で一つ一つの句を解釈していくのだが、やがて、そこに隠された恐るべき秘密が浮かび上がっていく。(「皐月闇」)
・巨大な遊廓で、奇妙な花魁たちと遊ぶ夢を見る男、木下美武。高名な修験者によれば、その夢に隠された謎を解かなければ命が危ないという。そして、夢の中の遊廓の様子もだんだんとおどろおどろしくなっていき……。(「ぼくとう奇譚」)
・朝、起床した杉平進也が目にしたのは、広い庭を埋め尽くす色とりどりの見知らぬキノコだった。輪を描き群生するキノコは、刈り取っても次の日には再生し、杉平家を埋め尽くしていく。キノコの生え方にある規則性を見いだした杉平は、この事態に何者かの意図を感じ取るのだが……。(「くさびら」)
想像を絶する恐怖と緻密な謎解きが読者を圧倒する三編を収録した、貴志祐介真骨頂の中編集。
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