物語は。
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熱烈応援レビュー!
『ごっこ』紗倉まな(講談社)
評者:吉田大助
人間がキスをする理由は、唾液から相手の遺伝子情報を取り入れ、生物学的な相性を判断するためだという説がある。真偽のほどは定かではないその説がまことしやかに語られている裏には、キスをした瞬間に相手と合うか合わないかがなんとなく分かってしまった、という人々の経験値が作用しているだろう。その先のセックスにまで及ぶとなれば、「体の相性」というパラメーターが幅を利かせる。ところが世の恋愛小説のほとんどは、本能的かつ経験知的な「合わない」という感覚の存在を排除している。事情はよく分かる。ロマンティックさがかけらもないからだ。紗倉まなが全三編収録の最新刊『ごっこ』でトライしたのは、「合わない」の感覚を恋愛小説の中に取り入れることだった。その結果、ユーモアとともに腐臭が漂う、独創的な恋愛模様が描かれることとなった。
第一編「ごっこ」は、渋滞中の東名高速道路で、運転席にいたミツキが助手席のモチノ君に「なんたらフラペチーノ」をぶつけられ、車外に放り出される場面から始まる。ここまで明確なデートDVを受けながらも、彼女はモチノ君に誘われて始まった動機なき逃避行の継続を選ぶ。六歳年下の男の幼すぎる言動を見下しているし、体の相性がいいわけでもない。相手の要望に一方的に応えるだけだし、初めて裸になった時、直感的な忌避感情を示されたのはこちら側なのだ。にもかかわらず彼と一緒にい続けたいと思う、その感情を何と呼ぶか。やがて訪れる意外な結末は。
続く第二編「見知らぬ人」の主人公・那月は、ベンチャー起業家の雅士と不倫をしている。夫が不倫していると知ったがゆえの「復讐」だ。雅士はセックスの相性が「抜群にいい」と主張するが、那月は初めて訪れた男の家で抱きしめられた瞬間から「なんだか違うなあ」と思い続けている。〈なんだか違うなあポイントはどこにも還元されることなくたまっていった〉。そんなある日、友人の結婚式に夫の不倫相手が交じっていることに気付く。アクシデントですんなりナチュラルに始まってしまった夫の不倫相手との会話を通して、那月は夫との関係を見つめ直す。一年前からセックスレスとなったため肉体的な相性でジャッジすることはないが、夫に対して「なんだか違うなあ」と思うことはある。多々ある。けれど──〈風見鶏のようにその良し悪しは反転するのだ〉。「なんだか違うなあ」と思い続けるだけの相手との関係と、「なんだか違うなあ」の反転を信じることのできる相手との関係は、同じ名前であるはずがない。二者の峻別を、この小説は結末部に据える。
最終第三編「はこのなか」のヒロインは、田舎町の中学で出会った奔放な女友達タクボに一方的な思いを寄せ続ける戸川だ。大人になった彼女の願いは、結婚したタクボの隣室に住むことだった──こう記すと同性に対する秘めた恋心の物語に思えるのだが、上述二編の後に読むことで印象はガラッと変わる。戸川はタクボに至極曖昧な告白しかしていないし、身体的な接触もしていない。「合わない」あるいは「なんだか違うなあ」というジャッジを下されない・下さない状態であり続けることで、恋を終わらせないよう努力しているようにも感じられるのだ。この一冊で、著者は(恋愛)小説史に残る決定的な仕事をした。
著者はAV女優として活動しており、その体験を綴った『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』というエッセイの著作もある。しかし、「たった一つ」と言わず、小説もまた天職だと思っていてほしい。紗倉まなの小説は、紗倉まなにしか書けないのだから。
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『恋とそれとあと全部』住野よる(文藝春秋)
高校二年生の夏休み、片思い中の同級生の女の子となぜか小旅行をすることになった男の子の物語。体育会系男子な男の子は性欲の存在に重々自覚的ではあるものの、片思い相手に対しては性欲を動かさ(せ)ない。意識的かつ人工的に作中から性欲を排除することで、ピュアな恋愛が実現している。だからこそ、二人の「その後」に対する密かな危機感も漂う。