ある街にひっそりたたずむ、椎木夫妻が営むメンタルクリニック。さまざまな悩みを抱えて訪れる人に対して、夫婦は優しく寄り添っていく。
『夜空に浮かぶ欠けた月たち』レビュー
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『夜空に浮かぶ欠けた月たち』
著者:窪 美澄
しんどくて今にも泣きだしそうな背中を優しくさすってくれる
書評:井上智介(産業医・精神科医)
誰にも言えない“生きづらさ”を抱えた人が、町のちいさなクリニックの精神科医やカウンセラーをふくめた色々な人の声に耳を傾けながら、自分のペースで傷ついた心を回復させていく様子をおさめた6つの物語からなる短編小説集です。この6つは完全に独立しているわけではなく、ゆるい繋がりがあって、前半で悩みを抱えていた人物が成長して、後半では傷ついた経験があるからこそ、次に悩める人物のよき理解者になってひょっこり顔を出すなど、随所にいろいろな工夫がこらされています。
全体を通して、とてもやわらかくあたたかい文体で肩の力を抜いて読み進めることができます。「誰にも嫌われたくないから、手を抜けない……」「大切な人が急に居なくなってしまって苦しい……」「愛する人のはずだけど受け入れられない時がある……」など、だれにでもそういう時はあるけど、「なかなか人には言えないよね」というしんどさを抱える登場人物が、そんな自分の気持ちと葛藤しながらも、強引に解決しようとするのではなく、それがあっても自分なんだと焦らずに受け入れながら自分の生きる道を探していくストーリーが連なっています。
まず何よりも、精神科医の私からみても、生きづらさを抱える人たちの描写がとても繊細でおどろきました。医学書には書かれることはない本人の心理背景ややりがちな行動など、現場で関わったことがある人しか知らないような感情の機微までがちりばめられており、「そうそう。そのようなことで悩んでる!」と何度も膝を打ちました。
世の中には直接的な解決法が見つからないこともたくさんあります。そこからうまれる“生きづらさ”に終わりが見えない時間は、孤独感や自信喪失を大きくしてしまって、ジワジワと自分の心をしめつけてきます。しかし、この物語を読みすすめていくと、知らぬうちに登場人物に自分のこころを重ね合わせて「それでいいんだよ」「大丈夫だよ」と、物語にでてくる先生たちがまるで自分に話しかけてくれているように、自分という人間を理解して優しく受け入れてくれる感覚になります。読み終わったあとには「自分だけじゃないんだ」「そんな考え方してもいいんだ」と、自分がひとりで抱え込んでいた心の荷物をそっとおろしていました。何かが欠けていてもいいし、弱くてもいい。改めて、世の中にはそんな完璧な人なんていないことに気づかされます。私自身も精神科医という立場でありながら、仕事を制限するくらいに大きくメンタルの調子を崩した経験もあるので、心がしんどくなった時には何回でも読みかえしたくなりました。
今、どれだけ生きづらさを抱えている人でも、存在をまるごと認めて包み込んでくれる言葉がここにはたくさん存在しています。たとえ、うまく行かないことが続いていても、生きているだけで自分は価値があるんだと、あたたかい気持ちになって自信を取り戻すことができます。大人になれば、だれかに甘えることがどんどん苦手になっていくものです。まずは、この本を「人に甘えるのって、どうやるんだっけ」と思い出すきっかけにするのもいいですね。そこからは、自分であえて見ないようにしていた心の隙間にそっと光が差し込んで、たった半歩でもいいから自分の幸せのために人生の再スタートを切ってみようと思えるように背中をおしてくれます。いつも心のどこかに空虚感や漠然とした不安を抱えて、だれよりも自分を責めてしまったり、失敗した時に落ち込みやすい人には、ぜひおすすめしたい作品です。
作品紹介
夜空に浮かぶ欠けた月たち
著者 窪 美澄
定価: 1,870円(本体1,700円+税)
発売日:2023年04月11日
きれいな形でなくてもいい。 きっと誰かが照らしてくれる。
東京の片隅、小さな二階建ての一軒家。庭に季節のハーブが植えられているここは、精神科医の夫・旬とカウンセラーの妻・さおりが営む「椎木(しいのき)メンタルクリニック」。キラキラした同級生に馴染めず学校に行けなくなってしまった女子大生、忘れっぽくて約束や締め切りを守れず苦しむサラリーマン、いつも重たい恋愛しかできない女性会社員、不妊治療を経て授かった娘をかわいいと思えない母親……。夫妻はさまざまな悩みを持つ患者にそっと寄り添い、支えていく。だが、夫妻にもある悲しい過去があって……。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322101000286/
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