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レビュー

フランスでゴンクール賞ほか6賞ノミネート、センセーショナルな問題作!――アベル・カンタン『エタンプの預言者』レビュー【評者:豊崎由美】

昭和の価値観から抜け出せない 亜インテリ大学教師が、まさかの炎上!?
『エタンプの預言者』レビュー

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エタンプの預言者​』

著者:アベル・カンタン 訳者:中村佳子



今読むべき21世紀の必読小説!

65歳、大学教師。リベラルでしがらみのないインテリのつもりだった。
それが一発逆転のはずの書籍刊行で、超ド級の厄災に見舞われることに。

書評:豊崎由美

 ジャン・ロスコフ。1960年生まれの65歳。フランス人。白人。シスジェンダー男性。冷戦史を教えていた元大学教授。
 フランスの名だたる文学賞レースにおいて、ゴンクール賞など6賞で候補となった話題作、アベル・カンタンの『エタンプの預言者』は、前時代の価値観を更新しないまま初老の域に入ったこのロスコフという男が、己の言動ゆえにとんでもなくひどい目に遭うさまを、〈私〉という一人称語りで描いた辛辣な風刺小説にして、失笑や哄笑を生むコミック・ノベルだ。
 歴史学者として名を揚げんと、アメリカで吹き荒れていたマッカーシズムによってソヴィエト連邦のスパイとして処刑されたローゼンバーグ夫妻の無実を証明する論文を1995年に刊行。ところが出版直後、CIAが機密文書を公開したことから、ローゼンバーグ夫妻が本当に諜報活動を行っていたと判明して、5年もかけて完成させた野心的な論文が一夜にしてクズに。以来、アルコール依存症を抱えた、ぱっとしない大学教師として諦念の日々を送っており、5年前にはついに愛想を尽かした妻アニエスに離縁されてしまった。
 そんなロスコフが、同性愛者である娘レオニーの新しい恋人、目覚めた(woke)フェミニストであるジャンヌに前時代の遺物扱いされたことから発奮。40年以上前から心惹かれていた、アメリカの詩人ロバート・ウィローの研究書を出すことを決意する。共産主義者ゆえにマッカーシズムの嵐を避け、50年代にフランスに亡命。サルトルやボリス・ヴィアンらパリの綺羅星たちと親交を結ぶも、突然姿をくらまして、エタンプという小さな町で隠者のような生活を送りながらフランス語で詩篇を生み出し、1960年に自動車事故で命を落とした。そんな、今では忘れ去られている詩人を再発見し、ひと花咲かせてやろうと意気込んだのだが、この本がロスコフに二度目の失敗をもたらすことになる。一度目とは比べものにならないような超ド級の厄災が降りかかることになるのだ。
 最初のつまずきは出版記念トークショー。そこで聴衆の一人からウィローが黒人であることを軽視したのはなぜかと問われるのだけれど、これまでロスコフの〈私〉語りによって早逝の詩人の生涯と作品に接してきた読者は、この出来事で初めてウィローが黒人だったことを知って驚き、眉をひそめることになる。ロスコフってもしかして「信用できない語り手」なのかと疑いの目を向けるようになるのだ。この質問にしどろもどろになったロスコフは、翌朝、自著を批判するブログを発見。これをきっかけに、白人である優位性を利用するレイシストのレッテルを貼られ、さらにツイッターで自分を擁護した有名人が極右政党に入党したことを知らないまま「ありがとう」と返信してしまったのをきっかけに大炎上を招くことになる。
 これを収めるには、何が批判に晒されているのかを精確に理解し、その上で誠実な反省と謝罪の意を示すことしかないのに、人種差別に反対する1980年代のムーブメントに乗って、本人曰く輝かしい20代を過ごしたことがアイデンティティの根幹になっていて、自分がリベラルであると信じてやまないロスコフはそうしない。〈この試練は不当だ。他人におもちゃにされたり、無関係なフラストレーションの捌け口にされていいわけがない。私はなにもやってない〉と、頭に血を上らせてしまうのだ。「文化の盗用」という新しい概念を知らず、この大炎上騒動に際して「これだけはやっちゃいけない」ことばかりをしでかしていくロスコフ。結果、ネット上で言葉の攻撃にさらされるだけに収まらず、自宅のドアの鍵を壊されたり「レイシスト」という落書きをくらうことになり――。
 このダメーな亜インテリの、ほとんどが自分のせいで招く悲劇のあれこれが、もはや喜劇。読者はロスコフのそうした有様を、憐憫の眼差しと苦笑失笑を伴いながら検分していくことになる。その過程で、主人公と共に「インターセクショナリティ」や「文化の盗用」「シスジェンダ―」「トランスジェンダー差別」といった、前世紀にはなかった“正しさ”について学び、と同時に、ネット上に存在する獲物を見つけると舌なめずりして過剰な攻撃を仕掛けてくる匿名アカウントの恐ろしさと弊害を目の当たりにすることになるのだ。1961年生まれのわたしは自分の中のロスコフ性に気づかされ、読みながら幾度か冷や汗をかいた。昭和の価値観を更新できていない人や、ネットで有名人を吊し上げることに淫靡な喜びを覚える人にこそ熱烈推薦したい、これは今読むべき21世紀の必読小説だ。
 しかも大炎上から5年後を描いた「第十章 エピローグ」には、ロスコフが1995年に経験した一度目の失敗をなぞるようなサプライズが用意されていて、声を上げて驚くこと必至。学びと自戒が得られるだけでなく、物語としても無類に面白い長篇小説なのだ。

作品紹介



エタンプの預言者
著者 アベル・カンタン 翻訳 中村佳子
定価: 2,640円(本体2,400円+税)
発売日:2023年04月24日

フランスでゴンクール賞ほか6賞ノミネート、センセーショナルな問題作!
65歳、元大学教師。リベラルで、しがらみのないインテリのつもりだった。まちがえた選択をし続けて65年。どうやら私は、社会から取り残されたらしい。

フロール賞受賞のほか、ゴンクール賞、フェミナ賞、ルノードー賞、アカデミー・フランセーズ小説賞、ジャン・ジオノ賞の6賞候補! 現代社会への痛烈な批判を込めた超弩級の注目作!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322112000929/
amazonページはこちら


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