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【書評】横溝正史を知る編集者、大坪直行が思い出を語る――野本瑠美『父、正史 母、孝子 日本ミステリの巨匠・横溝正史と家族、仲間、そして末娘』レビュー【評者:大坪直行】

横溝正史の次女、野本瑠美さんが思い出を綴ったエッセイ集『父、正史 母、孝子 日本ミステリの巨匠・横溝正史と家族、仲間、そして末娘』の発売に合わせ、探偵小説専門誌『小説』の編集者として、江戸川乱歩や横溝正史と親交があった大坪直行さんによるレビューをお届けします。

野本瑠美『父、正史 母、孝子 日本ミステリの巨匠・横溝正史と家族、仲間、そして末娘』レビュー



評者:大坪直行

 横溝正史ファンにとって、必読の書だ。探偵小説の鬼、横溝正史の作品の裏側、作家たちとの交流が、次女野本瑠美のきめ細かい観察力と洞察力で綴られている。
 ミステリファンにとっては、戦時中、戦後の作家たちの葛藤がよく出ていて、興味深い書でもある。
 江戸川乱歩編集・探偵小説専門誌『宝石』の編集者だった私にとっても、お世話になった江戸川乱歩、城昌幸(宝石社社長)との関係を改めて知ることができ、楽しく一気に読了した。
 国の政策によって、探偵小説は敵国の文学という理屈で書くことも読むことも禁止された時代、横溝正史は肺結核で長野県上諏訪に4年間の療養中、絶望のどん底に落ち込み、諏訪湖に入水しようと言ったことまであったという。それだけに、終戦を知ったときの喜びようはなかったに違いない。
 この書によると「終戦のラジオ放送で悲しみに暮れる人もある中で、父の心の奥底は奮い立っていた。戦時中閉ざされていた創作意欲は、不幸な終戦とは裏腹に熱を帯び、燃え上がっていった。(中略)心に沈殿していた探偵小説への情熱が、創作の深みへと向いて、世界の壁を打ち破りたいという焦りを乗り越えていく。日本独特の本格探偵小説の誕生であった」。
 私が直接、横溝正史から聞いた話によると、両手の手のひらに熱を感じ、「さあ、これからだと思った」という。それくらい探偵小説を書きたかったのだろう。
 また、当時のことを江戸川乱歩に聞いたことがある。「書けない苦しみはわからないだろうな、当時唯一の楽しみといったら、西田政治氏(横溝正史の中学時代の親友西田徳重の兄、翻訳家)や横溝君らとカー、クロフツ、クイーン、クリスティなどの原書を密かに読んで、交流していたことだな」とも言う。
 そんな飢餓状態にあった横溝正史のところへ、戦後すぐ城昌幸が岡山県岡田村字桜の疎開先に訪ね、長編を書いてみないかと頼んだ。当然、横溝正史は引き受けた。
「父にとって城氏の来訪は、喜びを通り越して、晴天の霹靂であった」とこの書にある。
 そのくだりのことを、城さんに聞いたことがある。
「行く前に乱歩さんに連載の件の相談をすると、それは横溝君しかいないと言われた。私もそのつもりだったので、一大決心でお願いに行きましたね。いや、汽車は大混雑で、屋根まで客が乗っていたな」という。それだけ、城昌幸の情熱はすさまじいものがあったに違いない。
 岡山の疎開先で、村の人たちとの交流が金田一耕助を生み、多くのトリックも生んでいた。戦後の探偵小説の振興の原動力となった。そして、横溝正史は長編『本陣殺人事件』(『宝石』連載)『蝶々殺人事件』(『ロック』連載)を並行して書きあげた。
 その頃「岡田村字桜の家の前の広場に小さなジープが止まった。昭和二十二年十一月、わたしが尋常小学校二年生のときのこと。(中略)初めて見る自動車。そして、今まで出会ったことのない顔つき、身じまいの人が乗っていた。何よりの驚きは、父が抱きつかんばかりの迎え振り。江戸川乱歩氏と西田政治氏との再会の瞬間だった。(中略)感動的な3日間が始まった。それまで聞いたことのない高いトーンの父の声と乱歩氏の低い落ち着いた話し声が果てしなく続き、襖一枚隔てて床に就いているわたしの眠りに一晩中まといついた。(中略)不思議に思ったのは、やせっぽちで浅黒い父の顔が上気して赤く見えたことだ。思えば、ずっと、興奮しきっていたのだろうか。(中略)『探偵小説はこれからだ、ヨコミゾ君頑張ろう』という熱気にあふれていた」。
 このことがあって、「好評を得た父は、やっと重い腰を上げて帰京を決める」。江戸川乱歩をはじめ、多くの作家たちからせがまれての上京だった。
 その後、傑作『犬神家の一族』『八つ墓村』などを発表、その活躍はすさまじいものがあった。
 1958年『点と線』『眼の壁』を松本清張が発表すると、水上勉、黒岩重吾、笹沢左保などの出現により、社会派推理小説ブームが起こり、『宝石』も廃刊、確か横溝正史の書く出番も少なくなっていたと思う。
 それからしばらくして、私が予想していた以上に横溝正史ブームが起こった。1971年、『八つ墓村』をはじめとした作品が角川文庫から刊行されたからだ。『宝石』連載中に中断していた『仮面舞踏会』も完成させた。文庫の売り上げは、1981年までに5500万冊に達したという。
 今だから言うが、これには私も関係していた。ある日、角川春樹が私のところへ訪ねてきた。どうも角川書店が傾きかけているようだった。驚いた私は「よい企画を提案するから」と言い、しばらくして、横溝正史の作品リストと書籍を渡し、文庫で出すのがいいと伝えた。当時、岩波書店、角川書店の文庫というと、堅苦しい感があった。私は文庫は大衆化するべきと考えていたからだ。これが大いに受けたに違いない。後日私は角川春樹を伴って、横溝正史邸を訪ね、紹介した。
 そのあとの角川春樹の活躍は言うまでもない。内心、私は「しめた」とほくそえんでいたものである。
 なによりも、横溝正史の復活が、私にとってこの上もなくうれしかった。
 最後に、横溝正史を選んだきっかけは、江戸川乱歩から「10年に一度、必ず探偵小説のブームがくる」と聞いたことだとつけ加えておきたい。

作品紹介

書 名: 父、正史 母、孝子 日本ミステリの巨匠・横溝正史と家族、仲間、そして末娘
著 者:野本瑠美
発売日:2025年09月26日

ビリビリと真剣な電波を発するようにして、父は小説を書き続けていた
『犬神家の一族』『八つ墓村』『獄門島』『人形佐七捕物帳』……
膨大な名作を残した“探偵小説一代男”の生涯と、妻の温かな献身。
末娘がとっておきのエピソードを鮮やかに綴る。
角川書店創立80周年記念作品!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322506000559/
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