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桜庭一樹『小説 火の鳥 大地編』(朝日新聞出版)
評者:吉田大助
「漫画の神様」こと手塚治虫が三四年にわたって執筆し続けたライフワークであり、未完のシリーズとして知られる傑作『火の鳥』。手塚が原稿用紙に自筆で記したわずか一〇〇〇文字の構想メモが存在し、漫画では描かれることのなかった「大地編」を、直木賞作家の桜庭一樹が小説にした。オリジナルの『火の鳥』と共鳴する哲学的なテーマはしっかり内包されているものの、読み心地はどエンタメ。上下巻五六〇ページ、一気読み必至の仕上がりとなっている。
一九三八年一月、日中戦争の勝利に沸く上海で、日本大使館主催の大夜会が開かれている。きらびやかな喧騒のなか、関東軍の司令部付きの副官・間久部緑郎は、満州国大陸科学院の猿田博士に声をかけられる。大陸の西方にあるタクラマカン砂漠の〝さまよう湖〟に、火の鳥と呼ばれる不老不死の鳥が存在する。貴殿を日本軍による現地調査隊の隊長に推薦しておいた、と。大本営によれば、火の鳥の不思議な力を戦争に利用するのだという。その密談の周囲に現れる人物は、緑郎の妻で三田村財閥の末娘・麗奈、実弟の間久部正人、正人と行動を共にする美貌の中国人男性・ルイ、謎の白人女性……。
上巻のわずか二五ページで、手塚の構想メモにある情報は書き尽くされている。ここを出発点としながら、その先にどのような物語を展開するべきか。激変する世界情勢の記述と共に、シルクロードを進む緑郎の過酷な旅路を描き出しながら、桜庭一樹は第三章において勝負手を放つ。それは「輪廻転生」を主題に取り入れた『火の鳥』シリーズらしく、それでいて無類の読書家であり古典の力をよく知る桜庭一樹らしいもの。本作は、火の鳥のオリジナルな特殊能力によって実現される、いわゆる歴史改変SFなのだ。
そもそもがイデオロギーのこんがらがったなんとも面倒な時代であり、歴史改変SFは丁寧な情報整理が必須で、説明過多に陥りかねない物語ジャンルだ。そればかりか、読めば想像の一七倍(!)ほど度肝を抜かれる、破格の構成が採用されている。にもかかわらずストレスを感じることなく読みこなすことができるのは、オノマトペを活用しキャラクター表現に程良くデフォルメを効かせた、この作家ならではの軽やかな語り口によるところもあるだろう。シリアスな場面でも、意外なほど笑える、スラップスティックコメディの感触がある。それ以上に重要なのは、物語のフォーカスがくっきりと絞られている点だ。歴史が具体的にどう改変されるのかは読みどころの一つではあるものの、メインではない。歴史を改変するという行為によって生じる個人の感情こそが、この物語が見つめるポイントなのだ。
最終盤に至り、記憶の継承というテーマが前景化していく。その裏には、先の大戦の記憶や、あるいは今年で没後三二年となる手塚治虫と彼の漫画作品の記憶をどう継承していくか、という問題意識が反映されていたのかもしれない。人は忘れられるからこそ生きていけるが、忘れてはいけない記憶がある。絶対にある。桜庭一樹の『火の鳥』は、著者のキャリア史上最高のどエンタメであると同時に、忘れざる記憶を継承するツールでもある。
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▼柳広司『アンブレイカブル』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322008000549/