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レビュー

人はなぜ永遠の生命を求めるのか? 漫画の神様が人間の愚かさも美しさも全て封じ込めた傑作『火の鳥1』

火の鳥前史

 手塚治虫が最初に『火の鳥』を描いたのは、1954年。学童社の月刊誌『漫画少年』7月号だった。長編連載マンガ『ジャングル大帝』の完結を受けて、よりスケールの大きな作品にチャレンジするために手塚が選んだのは、過去から未来へと続く日本の歴史だった。
 全編を通じて狂言回し役を務めるのは、永遠の生命の象徴である火の鳥と、火の鳥の血を飲んだために不死の体を手にしたナギとナミの兄妹。「第1部・黎明れいめい編」は古代日本の邪馬台国を舞台に始まったが、55年5月号で『漫画少年』が休刊したために未完のまま中断した。これがのちに『漫画少年』版と呼ばれるバージョンで、本文庫では第13巻に収録予定だ。
 1956年になって、手塚はそれまで『リボンの騎士』を連載していた講談社の月刊誌『少女クラブ』から、「次作は『火の鳥』で」という打診を受けた。しかし、『漫画少年』の続きをそのまま描いたのでは、読者層も違うので無理があると考え、構想も新たにした「エジプト編」を1956年5月号からスタートさせた。
 舞台は日本ではなく西洋。火の鳥は天界から下界に逃げ出したという設定になっている。ヒロインは火の鳥の血を飲んで永遠の生命を得た古代エジプトの奴隷娘・ダイヤ。彼女を軸に、西洋史をたどる構想だった。だが、連載は1957年12月号の「ローマ編」までで、いったん完結する。
 原因は手塚の超過密スケジュールだった。後半になると締切に間にあわず、デビュー間もない横山光輝よこやまみつてるをはじめさまざまな若手マンガ家が助っ人に駆り出されるという状態で、手塚もこのまま続けることはできない、と判断したようだ。これが、のちに「ギリシア・ローマ編」と呼ばれるもので、本文庫ではやはり13巻に収録予定である。

蘇った火の鳥

 このあと長く眠り続けていた『火の鳥』はおよそ10年後にふたたび飛び立つことになった。手塚が設立したアニメ製作会社「虫プロダクション」の版権管理や出版のセクションだった虫プロ商事が1966年冬に月刊雑誌『COM』を創刊。手塚はこの機会に『火の鳥』に再度挑戦することを決めたのだ。
 ベースになったのは「漫画少年版」だが、それまでの手塚マンガにはなかった劇画的要素を取り入れ、人類の誕生から終焉までを描くというスケールの大きな構想だった。
「第1部・黎明編」がスタートしたのは1967年1月号。手塚自身はこのシリーズで講談社出版文化賞を受賞するなどした。しかし、虫プロ商事は1971年12月号で『COM』を休刊して、72年1月号から青年向けの娯楽誌『COMコミックス』へとリニューアルすることを発表。『火の鳥』は新章の「望郷編」第2回で打ち切りとなった。
 このとき、「続編をうちで描いてはどうか」という申し出をしたのは潮出版の月刊誌『希望の友』だった。しかし手塚は、読者層の違う雑誌で『火の鳥』をそのまま描くのは難しいと判断して、『火の鳥』と同じテーマを使ったまったく別の作品を構想した。それが、釈迦の一生を描いた『ブッダ』である。
 1973年夏には、『COM』復刊が決まり『火の鳥』も再開されたが、手塚は中断した「望郷編」ではなく、『平家物語』に題材をとった「乱世編」を新たにスタートさせた。だが、まもなく虫プロ商事が倒産。新生『COM』は、復刊1号即休刊となった。
 これが『COM』版だが、『COM』版「望郷編」「乱世編」は後述するような事情から長らく単行本には収録されなかった。

不死鳥・手塚治虫

 虫プロ商事に続き、アニメの虫プロダクションが倒産。70年代に入って少年マンガ誌でのヒットが出なくなっていたこともあって、「手塚治虫は過去の人」という声が親しい編集者からも聞かれるようになった。
 だが、73年11月から秋田書店の『週刊少年チャンピオン』で短期集中連載として始まった『ブラック・ジャック』の大ヒットで手塚治虫は火の鳥のように蘇った。
 1975年6月から朝日ソノラマ(現・朝日新聞出版)が新書判で刊行をスタートさせた代表作『鉄腕アトム』がベストセラーになったことも追い風になって、『火の鳥』復活への道もできあがったのだった。
 朝日ソノラマは1976年に月刊誌『マンガ少年』を創刊。創刊号(9月号)から、『火の鳥』の新章「望郷編」がスタートした。
『マンガ少年』の「望郷編」は『COM』版とは全く違う設定で、これに続く「乱世編」も『COM』版とは別の作品になっている。本文庫の14巻には『COM』版「望郷編」「乱世編」を新たに収録する予定で、両者を読み比べてもらえるはずだ。
『マンガ少年』では、「生命編」「異形編」と続いたが、1981年4月号で『マンガ少年』が休刊したために、5度目の中断を余儀なくされる。
 復活しては中断するという数奇な運命は、ある意味では『火の鳥』にふさわしいのかもしれない。5年後、『火の鳥』は角川書店の月刊文芸誌『野性時代』に舞台を移して再び蘇った。これが、1986年1月号から88年2月号まで連載された「太陽編」である。
 連載に先立って、手塚はこれまでに虫プロ商事、朝日ソノラマから出されていた単行本を見直し、新たなディレクターズカット版の刊行を決めた。文芸誌での新連載にあわせ四六判ハードカバーの文芸書スタイルで出された単行本は、マンガとは縁が切れていた大人の読者を掘り起こして、ベストセラーになった。これをきっかけに、他社も四六判ハードカバーのコミックを「豪華版」として刊行。出版界には豪華版コミック・ブームが起きた。
 本文庫は、このディレクターズカット版を文庫化したものだ。
 当時の手塚はさらに続編「大地編」を構想しており、1989年春から同じ『野性時代』に連載するための準備も進めていた。しかし、手塚は89年2月9日に胃がんのために死去。「大地編」は幻の作品になった。
 デビュー間もない1954年から、35年間描き続けた『火の鳥』は、まさに手塚治虫のライフワークだ。そして、手塚が最後に手直しを入れた角川版は、巨匠のマスターピースと呼んで差し支えないだろう。

黎明編について

「黎明編」は、『COM』1967年1月号から11月号に連載された。はじめにも書いたように『漫画少年』版をもとに新たな構想で描いたもので、主人公の名前と冒頭に出てくる動物たちのキャラクターがオリジナルを意識したものになっている。
 モチーフには、邪馬台国の女王・卑弥呼の伝説と、当時話題になっていた考古学者・江上波夫えがみなみおの「騎馬民族征服王朝説」を取り入れていて、新しい話題を常に見逃さない手塚らしい貪欲さの出た作品だ。
 1978年夏には市川崑いちかわこん・監督で東宝が実写映画化。火の鳥が飛ぶシーンなどではアニメ合成が使われ、手塚治虫はアニメパートの作画総指揮をつとめている。虫プロの倒産以来、手を引いていたアニメへの復帰第1作とも言われている。


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