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第二次世界大戦末期、ユダヤ人の財産を守った小役人たちの意地と誇りを見よ! 『黄金列車』

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(評者:杉江松恋 / 書評家)


 一口で言うなら、宮仕えの土性っ骨ってやつだ。
 佐藤亜紀『黄金列車』の舞台は第二次世界大戦末期のハンガリーである。東部戦線からのソ連軍侵攻に備えて同国は、経済資源の多くを貨物列車によって国外へと退避させた。後に「黄金列車」と呼ばれるのはその中でも異質な存在で、ユダヤ人からの没収財産を移送する目的で秘密裡に運行計画が立てられた。指揮を執ったのはユダヤ資産管理委員会委員長であるトルディ・アールパードだが、作者は大蔵省官吏のエレメル・バログを視点人物として置いている。第一章の章題にもなっている一九四四年十二月十六日はこの黄金列車が動き出した日付だが、小説は「バログが妻を亡くしたのは、七月の初めのことだった」という文章で書きだされており、彼が亡き妻・カタリンと過ごした日々の回想が現在の出来事と並走する形で綴られていく。
 戦地は混沌としており、列車の運行は困難を極める。積み荷を狙ってくる者もたびたびあるのだが、バログたちはそれを武力ではなく文官ならではの交渉術によって撃退するのである。自分たちが国有財産の管理をハンガリー王国政府から任されたのであり、正規の命令なしにその責任を放棄することはできない、ということだ。このへんのやりとりが実に痛快で、すごすごと引き下がる相手は馬鹿面しているんだろうなあ、などと想像する。
 以下はロナルド・W・ツヴァイグ『ホロコーストと国家の略奪』(昭和堂)を参考に書くが、二十世紀初頭のハンガリー王国はユダヤ人迎え入れにむしろ寛大であった。イディッシュ語を捨ててハンガリー語を話しさえすれば、すなわちユダヤ文化を放棄しさえすればハンガリー人と認める政策がとられていたのである。だが極右勢力の台頭と共に変節し、文化的に同化を果たしても出自が違えばハンガリー人とは認めないという民族主義がとられるようになって、ついにはユダヤ人から資産を没収することが合法化されてしまう。ユダヤ人の側も迫りくるナチス・ドイツへの恐怖から、資産を捨てさえすれば身の安全は保証するという政府の甘言を進んで信じようとした節がある。莫大な没収財産がこうして形成された。
 バログたちが運んでいるものはそのユダヤ人から奪った財産なのであり、読者の中には彼らの倫理観に疑問を抱かれる向きもあるかもしれない。しかし官吏とはそういう存在なのであり、何があっても決められたことを守るものなのだ。では、私人としてのバログは自らの行為をどのように考えているのか。それを示すために置かれているのが彼の回想であり、妻への思いは、かつての親友であったヴァイスラーの記憶へとバログを誘っていく。ヴァイスラーは母親がユダヤ系であるために公職から追放され、何もかもを失った男なのだ。ヴァイスラーとの別れによって心に消えない刻印を残されたバログは、そのために複雑な陰翳を持つ人物になっている。
 バログに接触してくるリゴーという裏稼業の男が言うように、強殺は「一人でもやって捕まりゃ死刑」だが「仲良くお揃いの制服を着」てやれば「お国の為」と言われる。ユダヤ人からの強奪も同じ理屈である。その欺瞞の始末をつける話なのだが、一方でお国とやらは敗戦によって雲散霧消しているという皮肉もある。実体がないもののために体を張る官吏たちの滑稽さを描くことにより作者は、国と個人の関係を浮かび上がらせていく。この構造は国に使い潰されまいと抵抗した若者を描いた『スウィングしなけりゃ意味がない』と共通するものだ。他人の痛みに鈍感だった者たちが招いた悲劇の話でもあるのだが、その哀しみはバログの胸の奥にしまわれて、これみよがしに誇示されることはないだろう。しかし物言わぬ男の声に耳を傾けよ。

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