世界から猫は消えないし、宝くじで三億円当たることもなければ、世界中の絶景を巡り歩く旅人も出てこない。川村元気の小説第四作『百花』は、これまでの作品が華やかな花束だったとしたら、タイトルとは裏腹に、一輪挿しだ。地味だと感じる人もいるかもしれないが、他の花へと目移りせず、一輪の花の美しさや不思議さをじっと観察するためには、この装いがふさわしかった。
小説は、母の語りから始まる。
ドアを開けると、黄色の空が広がっていた
ほぼ改行なしに綴られていくのは、過去と現在が混線し独特な粘り気を持った記憶だ。二ページ後に、大晦日の夜に帰省した息子の語りが始まる。
家に帰ると、母がいなかった
近くの公園ですぐに見つけたが、母は以前会った時とは雰囲気が違っていた。時間の経過とともに、徐々に露わになっていくのは六八歳になった母の記憶が失われつつあるということ。医師からは、アルツハイマー型の認知症と診断される。息子の泉は母の記憶を少しでも繋ぎ止めるために、父はおらず二人きりの暮らしを営んできた日々の記憶を、母に語りかける。
泉はできるだけ支えたいと思うが、音楽会社の宣伝プロデューサーとしての仕事が忙しく、二年前に結婚した妻は妊娠し出産を控えている。しかも、母――葛西百合子という人間と向き合うことは、「あの時」の苦い記憶を思い出すことにも繋がってしまうのだ。「あなたを捨てたから、私も捨てられるの?」。過去に何があったのか、というミステリー的な回路を稼働させながら、物語は親子の関係に光を当て続ける。
映画プロデューサーとしての顔も持つ著者は、作中で映画の固有名詞を数多く登場させ、当該作品の物語や文脈、名台詞を引用することによって、自身の物語をエンパワーメントすることに成功してきた。今回は、その矯正ギプスが外れている。代わりに入り込んできたのは、市井の人々のリアリティだ。誰しもの記憶に刺さる情景、言葉にはできなかったけれど知っている感情が、驚くべき密度で詰め込まれている。また、それと分かるような形で引用されているのは太宰治の『走れメロス』とミヒャエル・エンデの『モモ』くらいだが、有吉佐和子が著した日本初の認知症文学『恍惚の人』を念頭に置いていることは明らかだし、認知症患者の一人称の語りという点では、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』を本歌取りしているとも言える。文芸評論家の江藤淳が戦後の日本文学を検証し、
「成熟」するとはなにかを獲得することではなくて、喪失を確認することだからである
と記した『成熟と喪失』も含め、先行する文学者達の仕事を積極的に取り込んでいる。取り込んだうえで、現代的にアップデートするためだ。
優れた小説がみなそうであるように、本作は優れた物語でありながら、優れたデータベースでもある。どのエピソード、どのシーン、どの一文に心をフックされるかは、読み手次第だ。そこから芽が出てどんな花が咲くのかは、個々の人生、個々の想像力に委ねられている。殻を破る、とはこのことだ。この一作で川村元気は物語作家から小説家になった、と言われるだろう。
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新海 誠『小説 君の名は。』(角川文庫)
言わずと知れた大ヒットアニメーション映画を、新海誠監督自らがノベライズ。巻末解説は、プロデューサーを務めた川村元気が担当。本作は「記憶」の物語であると指摘したうえで、
ひとは大切なことを忘れていく。 けれども、そこに抗おうともがくことで生を獲得するのだ。
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