電子書籍とは異なり、紙の本は必ず、最後は閉じられる運命にある。その時、目に飛び込んでくるのは表紙だ。表紙には、本の世界で味わった経験や感情を、増幅させる機能もある。第十一回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞した、酒本歩『幻の彼女』の表紙は、まさにそれ。三人の女性を描いた谷川千佳によるイラストは、本編を全て読み終えた後で見直すと、鳥肌ものの衝撃を放つ。
本作は『幻の彼女』というタイトルが赤裸々に表しているように、米国の作家ウィリアム・アイリッシュが一九四二年に発表した長編ミステリー、『幻の女』を本歌取りしている。主人公は三六歳の真木島風太。東京の下町で、ドッグシッター(本人いわく犬関連の「何でも屋」)として働いている。二〇一八年十一月のある日、郵送されてきた喪中はがきをきっかけに、三年前に付き合っていた美咲の早すぎる死を知る。ドッグフェアで出会った美咲には、半年足らずで一方的に振られた。そんな昔話を、姉御肌の年下の友人・雪枝を相手にしているうちに、美咲の前に付き合っていた蘭の消息が気になり始める。美咲の後に付き合った、エミリのことも。すると、風太がドッグシッターを始めて以降に付き合った三人は全員、死亡もしくは行方不明になっていた。三人の家や学校、友人たちの元を訪ねると、彼女たちの存在の痕跡は見当たらず、誰もがそんな女性は知らないと証言する。風太の三人の元カノたちは「幻」だったのか?
大胆不敵なことに、真相に直結するモチーフは、いかにも重要だというムードをまとい序盤で早々と披露される。それゆえ頭の片隅に、うっすらと一つの可能性を浮かべながら読み進めることになるのだが、何かがおかしい。やがて幾つもの展開が連鎖していった先で、真相が明らかになる。その中身は、賞の選考委員を務めた島田荘司の言を借りるならば、「驚天動地」。古今東西で書き継がれてきた「幻の女モノ」の中でも、屈指のトリックであることは間違いない。
だが、ミステリーとしての衝撃と同じかそれ以上に印象に残るのは、前代未聞のトリックを採用したからこそ描くことのできた、主人公が味わうことになる前代未聞の感情であり、主人公の感情を通して届けられるメッセージだ。人間は言葉を用いたコミュニケーションしかできない以上、相手をどんなに思いやり、励まし、心地よくさせようとしていたのだとしても、傷つけてしまう可能性がある。他者の人生を完全に想像することはできないからこそ、傷つける言葉を完全に排除してコミュニケーションをとることなど不可能だ。だから口をつぐむのではない。傷つけたと思ったならば間違いを認め、反省すればいい。謝ることから、また新しいコミュニケーションを始めればいい。
パタンと本を閉じ、表紙を目にしてゾワっと鳥肌が立った。その後で胸にせり上がってきたのは、本編中はずっとダメダメに思えた主人公の優しさであり、彼が周囲に愛される理由だった。トリックとドラマ、キャラクターが見事に融合した、破格のデビュー作。今回の座組みでの続編、期待しています。
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26歳の研修医・碓氷蒼馬は、不治の病を患う28歳のユカリと出会う。お互いに惹かれ合っていたはずが、蒼馬は告白を断られ故郷へと戻る。意を決して再び病院を訪れた時、医師や患者たちは「そんな女性はいなかった」と口々に証言する……。医療ミステリーの雄が綴った「幻の女モノ」。
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