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レビュー

確かにこの目で見た 『鳥籠の小娘』

 まるで古い山水画のような絵が、まず現れる。鋭くそびえる山々、切り立った崖、砂嵐を思わせる空気。ここはどこだろう、と思うと次のページで老婆が登場する。そして物語が幕をあける。いつの時代の、どこの国の話かはあかされない。が、私たちはすでにそこにいる。「小さな、なんの変哲もない村」、「誰も裕福ではないけれど、雪に覆われる冬でも誰かが飢えることはない村」に。
 ストーリーはシンプルだ。籠を編む、気難しくて目の見えない老婆と、その老婆が町から連れ帰った裸足の娘、それに魔物の三者が主要登場人物で、彼らの言動によって物事が動き、村が変っていく。
 娘と魔物の出会う場面で、「さびしい小娘よ」と呼びかけられた娘が、「魔物よ」とこたえるところがいい。この娘は無口だけれど、頼もしいのだ。「黒い毛並みがぐっしょりと濡れ」、その「黒い毛の間からは金属や歯車のようなものが飛びだしてい」て、「山羊の角が生え、蝙蝠こうもりの羽が背中にたたまれ」ているという、魔物の奇怪な風貌もいい(この頁の絵、すばらしいです)。魔物というのは往々にして漠然と、姿かたちが曖昧なままおそろしいものとして語られるが、ここではきわめて具体的、かつ個人的な存在なのだ。個人的なものは信用できる。個人的だからこそ、その存在に心を揺さぶられる。
 物語のはじめの方で娘の瞳が「朝焼け色」であることがあかされていて、後半に登場する魔物の「まなこ」が「夕焼け色」だと描写されることからもあきらかなように、娘と魔物には何か通じるものがある。互いに引き寄せ合い、響き合うものが——。つまりこれは美女と野獣の変奏なのだが、その古典的な枠組みのなかに「からっぽ」をめぐる寓意ぐういがくり返し投げ込まれ(なにしろ鳥籠はつねにからっぽなのだし、「なぜ、なにも欲しがらない」と魔物に問われた娘は、からっぽでいたいからだとこたえる。「草花や空の色も、朝の澄んだ空気も夜の湿り気も、からっぽだから入ってくるの」と。老婆は人が誰も足を踏み入れない、からっぽの森の奥に消えるのだし、竹林はられて「切り株しかない荒野」になり、毛皮は脱ぎ捨てられ、しまいには村自体がからっぽになって、「いっさいの人の声が消え」る)、結果として、娘と魔物の瑞々しい生命力の物語になっている。
 さらに、この一冊を特別なものにしているのは、全編にちりばめられたイメージの豊かさと美しさだ。たとえば、まっ白な長い髪を持つ小娘(だいたい、『鳥籠の小娘』というタイトルからして好奇心をかき立てられる。少女でも娘でもなく小娘だなんて)、村じゅうの家々の軒先に吊され、風に揺れる鳥籠、娘の白い足首で「はじけてぱちぱちと散」る朝露、蜂蜜酒のふるまわれる夏祭り、からの鳥籠をすり抜けるホタル、「水滴のように輝」く木苺や柘榴ざくろや赤すぐり、山をこえていくたくさんの鳥の、羽音や鳴き声やさまざまな色、かたち、大きさ。あるいはまた、首に鎖をつけられた娘、「喉をのけぞらして吼え」る魔物の声、夜気に燃えあがる小屋——。鮮やかなディテールの一つ一つが物語を力強く支えている。読み終ったとき、そのすべてがここに閉じ込められているのだと思うと、一冊の本を所有することの喜びがふつふつと湧いた。そこらじゅうにからの鳥籠のぶらさがった村を、かつて確かにこの目で見た。何年たっても、私はそう思うだろう。
 千早茜の平明でクリアな文章と、宇野亞喜良の濃密で精緻な絵が、余白まで物語で満たしている。クラシックな趣の扉も、ところどころで文頭に配された赤い書き文字も利いていて、風味のいい、凝った造りの、印象的な絵本だ。


>>千早 茜 / 絵=宇野 亞喜良『鳥籠の小娘』


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