【カドブンレビュー】
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った」
子供の頃、何気なく行っていた約束の儀式。大人になってから、言葉の意味をよくよく考えて、恐ろしいなと思った人もいるのではないだろうか。当たり前だと思っている日常でも、見方を変えれば、そこに得体の知れないモノが潜んでいることもある。
『きのうの影踏み』はそうした私達のすぐそばにある恐怖を切れ味鋭く描いている。13の短編全てが、自然と頭に情景が浮かんでくるような身近な物語になっている。だからこそ、見慣れた日常が反転した後に見えてくるリアリティのある恐怖にドキリとさせられる。
13の短編はどれも違う面白さがあり、読む度に好きな作品が変わるだろうと思わせる奥行きを持っている。現時点での私のお気に入りは、「だまだまマーク」「スイッチ」「丘の上」の3編。
「だまだまマーク」は13編の中ではダントツに怖く、全身に鳥肌が立った。自分の子供が口にする「だまだまマーク」という謎の言葉。遊びながら歌うように発せられるその言葉の響きは一見可愛らしく思える。しかし、「だまだまマーク」の意味を理解したとき、気味の悪さと同時に、子供がその言葉を覚えるに至ったプロセスを想像して、青ざめた。「指切りげんまん」の様に、記号であった言葉が、意味を宿すことによって印象が一変してしまう。まだ何も知らない無邪気な子供が発するからこそ、不気味さが一層際立つ。
「スイッチ」は多くの示唆に満ちた、触媒となるような作品だ。電車で音楽を聴いていた主人公は、隣に座っている女性から突然話しかけられる。その出来事がきっかけとなって、まるで何かのスイッチが押されてしまったかのように、自分の世界の秩序がガタガタと崩れていく。バスに乗れば、血まみれの手をしたおばあちゃんを見かけ、通りを歩けば、顎のない女性とすれ違う。誰もいないはずの場所では、自分を呼ぶ声が聞こえる。実は日常の中にも、気づいていないだけで、おかしなモノがたくさん存在しているのかもしれないと思わされる。
「丘の上」では大切な人が死んでしまうことの恐怖が描かれる。濁流に襲われて、水の届かない丘の上に逃げてきた、という非日常的な場面から始まる。その丘の上から一匹の犬をパラシュートで安全な場所に下ろそうとする少し不思議な物語が展開していく。大切な人を死から守りたいという願いのこもった5ページのショートストーリーには、母となった辻村深月の血の通った優しさが凝縮されている。
多くの小説は、私達を日常から物語の中に存在する未知の世界へと連れ出して、興奮や楽しみを与えてくれる。しかし、本作は「今ここ」に存在する現実こそが、見方を変えれば、未知の世界なのだと気付かせてくれる。『きのうの影踏み』を読むことで研ぎ澄まされた感覚が、目の前にある世界を変えてしまう。ページを閉じた後からじわじわと広がってくる居心地の悪さに、いつもと違うことが起こる予感がして、縮こまる。「何かを発見してしまうのではないか」という不安な気持ちにさせられる。しばらくは、天井をじっと見たり、押し入れを開けたりすることはとても出来そうにない。