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レビュー

“文スト”原作者も太鼓判!辻村深月が描く、幽霊も怪物も出てこないのに怖い世界 『きのうの影踏み』

 幽霊は「怖い」か?
 みなさま、「怖いお話」と聞いて、どんなお話を連想しますか?
 幽霊の話。妖怪の話。殺人鬼の話。血や肉の飛び散るスプラッタ。悪意ある怪物が出てくる話。あるいは、悪意ある怪物さながらの人間が出てくる話。
 つまり、怖いモノが出てくる話。
 それが「怖いお話」あるいは「ホラーもの」の条件だと思っているのではないでしょうか。
 少なくとも、まだこの短編集『きのうの影踏み』を読んでいない人は。

 少しだけ私の話を。
 私は、幽霊を怖いと思ったことがありません。もう少し正確に言うと、「この世にひそむほんものの怪異」と、「人間の脳が『怖い!』という感情シグナルを発するもの」は、それなりにズレがあるのではないか、と思っています。
 人間の脳が恐怖を感じる対象は、ある程度パターンが分かっています。
 たとえば暗闇。暗闇は視覚情報に乏しいため、何か危険な獣や罠があっても気づけない。だから「暗闇を怖がり離れる」本能は生存上、有利にはたらく。
 たとえば悪霊。悪霊は普通の刃物や鈍器と違って、よく分からない方法で人間を傷つける。存在そのものの成立原理もよく分からないし、行動のルール(何に怒るか、何をすると危ないか)もよく分からない。そういう予測不能な存在に対しては、「怖がって離れる」というのが唯一の正解で、その他の本能はあるだけ無駄ということになる。
 知らない異国も、豹変する隣人も、姿の見えないモンスターも、根本的にはすべて同じ。「先が読めない」から怖い。
 つまり、恐怖という感情は「危険なモノ」というより、「危険っぽいけど、よく分からないモノ」に強く反応するという法則性を持つのです。
 すべての感情は、生物として生き残るために発達した技術です。
 恐怖も同じ。よく分からないもの――もう少し言えば「情報の不足」に人は恐怖を感じる。そして原始時代から、情報の不足に恐怖を感じる人間は、感じない人間より生存率が高かった。
 そうした淘汰の結果、現代に「恐怖を感じる人間」が生き残ったのです。

 だから、作家が効率的に読者を怖がらせようと思えば、そのルールを徹底すればよい。
「危険なモノ」の「情報を不足」させればよいのです。
「銃」はルールが分かるから怖くないけれど、「何をどうしたら弾が出るのか、どこから弾が出るのか分からない、肉塊のような銃」だと怖い、というように。
 おまけに血、肉、骨、悲鳴といった、「仲間がダメージを受けたと思える証拠」にも脳はすばやく反応するので、それらの小道具で物語を彩ってやれば、立派なホラーのできあがりです。

 ……ここまで読んだみなさん、私が「でもね」と言うのを待っていますね?
 言います。
 でもね。
 この短編集『きのうの影踏み』は、違うのです。

 この世にひそむほんものの怪異
 幽霊やモンスターが「ほんものの怪異」ではなく、ただ恐怖がシステム的に惹起じゃっきされているだけ、なのだとしたら、「ほんものの怪異」はどこにあるのでしょう?
 それはここ、この本の中にあります。

 私たちは、この世界は完全無欠のルールによって運行されていると信じています。
 日常には予測可能な一定の法則があり、こう押せばこう返ってくるという無言の約束事があり、それに沿っている限り理不尽なイベントは起きないと、そう信じて生きています。
 電車の人混みにも、夜の自宅の薄闇にも、よく知った友達にも、すべてに「無言の約束事」が充填されていると信じています。
 現代の人々はそれを科学に教わりました。科学がない昔の人々は神さまに教わりました。
 しかし……その約束事が世界の果てまで、まんべんなく広がっている保証なんて、本当はどこにもないのです。
 ルールの「やぶれめ」が、どこかにあってもおかしくはないのです。
 それがあなたの、今日そこに生活している、すぐ横にあったとしても。

 短編集『きのうの影踏み』は、「やぶれめ」にまつわる物語です。
 その「やぶれめ」がどんな様子で現れるのかは分かりません。十円玉の儀式かもしれないし、ファンレターかもしれないし、脚が長い虫かもしれない。
 少なくとも言えるのは、それに遭遇してしまったら、「世界は予想どおりルールどおりに、あたりまえに進んでいくんだな」と信じることはもうできない。
 ひとつ信じられなくなると、すべてが信じられなくなる。
 だって本当はこの世に約束事なんてないんだから。
 その事実に、気づいてしまうこと。それが「ほんものの怪異」です。単なる感情のパターンを超えた先にある、この世界にあらかじめ内包された、真のホラーです。

 主人公が殺されそうになるから怖いのではなく。
 血や骨が突然バーンと出てくるから怖いのではなく。
 もし、この短編集の中に出てくる怪異のひとつが、今日の夜、寝ているあなたの足を、ベッドから出ている足を、ひゅっと掴んだら……
 そう思えるから怖い。
 だって、そんなことはないと、誰にも言い切れないから。
 この世に「やぶれめ」が発見されることは今後も絶対にない、とは、どんな科学者も宗教者も確かめられないのだから。

 こんな怪談を書ける人は、日本の中にもそう何人もはいません。
 未読のかたはぜひ一度、もう読んだ人はこの解説を参考にもう一度、この珠玉の怪談集を楽しんで頂ければと思います。


 楽しみ方の参考といえば、もうひとつ紹介を。
 ここに収められた13の短編には、随所に「母」という隠されたテーマがちりばめられています。
 さまざまなインタビューや書評で、この本のテーマは母親となった辻村先生の世界の見え方を反映したものだ、と説明されています。
 母の思い、子との絆。
 この短編集が「やぶれめ」の物語だとすれば、母から子への愛は「世界がやぶれても切れず残る糸」です。
 怪異を見せて終わりではなく、ただ絆や愛という美しいものを見せて終わりではなく、そのふたつが同時に現れることによって見えてくる風景。
 母の愛が怪異を縫い合わせてくれるのか、あるいは怪異をいっそう引き立てるコントラストになるのか……それぞれの短編の中で、その目で確かめてみてください。


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